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39 八門陣

 自身に衝突すると思われた寸前、刮目した彩は『 臨!! 』と念じつつ、そのまま敢然と刃で薙ぎ払う。


 〝かつ!〟の音・手ごたえと併せ、下顎の大きな牙が切断され吹っ飛び、直後見舞った爆風のような衝撃を、全身で受け止めた。


 彩本人の鍛え上げた腰の据えがなければ、両腕と刀を吹き飛ばされる程の強力な負荷が襲い、それを耐える。堪えて、猶も顎へと押切る。


「 う わ ぁ あ あ あ あ あ あ あ ぁ ぁ――――――――――――!! 」


 大量の血液が巌に打ち砕かれた波しぶきの如く噴出し、返り血が少女を真紅へ染め上げるのと合わせ、幻さながら霧散し消えて行く――――そして、絶叫もろとも振り斬った。


 渾身の氣力で打ち込まれた霊剣『霧刃』の切っ先は一八〇度後方、構えと同じ位置まで振り抜かれ、敵の肉を薙ぎ別けた後、水平に留める心持ちが斜め下へ逸れた。

 刀身に纏わりつく大量の黒血が打ち水同様地面へ叩き付けられ、微かな土埃を立てる。


 抑制を失った魔物は地面に激突、横転した。


 【 オ……ノ……レッ………… 】


 バウンドし仰け反った頭部は、俯瞰で視界を横切ったヴィジョン――――彩の背中を見て、呪詛の念を吐く。


怪物の巨体全てが地表へ落下し、最後の地響きが学び舎全体を揺るがせた。


 かく体は校庭中心部から半径百メートル強もの巨大な蛇。あるいは類似の環形生物で、右口元を大きく切り裂かれながら、体を持ち上げようと胴をくねらせ、蜷局を巻こうと足掻いていた。

 少女は両手で刀の柄に縋りついたまま力なくその場へ両膝を着いて、搾り出すような荒い息をしている。


 響也は、彼女の体力が限界に達していることを知った。


「 もういいんだ! 彩っ、逃げろ!! 」


 (…………師君様。今こそ、禍根を断ちまする)


 両手小指を交差した少女は、互い違いの人差し指を背面へ反り返して組み合わせ〔ジャクに召し、ウンひき鎖でバンし、鈴にてコクす〕と四(しょう)真言を唱えた。

 加え、親指を握り突き立てた左手人差し指を、右手の同じ指先と親指頭を合わせた金剛拳を用い、包み隠す形の印を締結する。


 それは『大日如来印』であった。



「 臨むる兵、闘ふ者、皆陣烈れ前に在り。オン・アビラウンケン・バザラダト・バン 」



 刹那、怪物の巨体を眩い八角形の閃光が包囲する。

 グラウンド広範を線で結んだ平面体から、天空へ向けて峻烈な光芒が幾重も放射された。


 破口からその光景を目撃した2年α組の生徒をはじめ、これまで見た事もない未知の荘厳な光輝は、学院全体に驚きと感嘆のどよめきを広げてゆく。


 彼らをして、校庭全域を満たしたのは《煌めく黄金の海》だった。


 燦爛さんらんの底なし沼へ沈降する状態から逃れようと、巨大な蛇は苦しげに身をくねらせている。

 胴体部分の殆どを呑み込まれ、尻尾と背の一部と首だけを残す状態となった。


 今度は咽だけでなく躰の四分の一を膨張させ、再び天空へ向け咆哮する仕草を見せ、歯茎を露出させた。


 「【うぎゃああぁぁぁああああ! 死ねやっ死ねや、死ぬぅうぅうぅ――――――!!】」


 教室で御狼が断末魔の絶叫を上げると同時に、すうっと仰向けで倒れていく。

 背後の女子が受けとめ、支えたおかげで、後頭部を床へ打ちつける事なく済んだ。


 彼女は、完全に意識を失っていた。




 空を照らしていた烈光が、校庭の中へ引き込まれて次第に消え去りつつある。


 流動内へ没した妖物の頭部は、黄金の泡で侵蝕され原型を留める能力を急速に低下させた。

 瞼を失い眼球が遊離し、虚しく宙を彷徨い、それすらも光子細胞が食い尽くしていく。


 魔物はいま回顧していた。ここは心底恐怖して已まなかった未知の場所ではない。


 自らの奥底で封印していた、遙か太古の記憶。――――己が想い歩み始めた原初の地。

 母の懐へ抱かれる至福の時を、悲哀にも似たその中へ浸溺して呼び覚まされ、ようやく辿り着いたのだと理解する。


 だから、もう憎しみや恐怖、苦痛は無かった。


 映像が霞む。

 ついで視界が眩い白金で満ち溢れ、意識が散りぢりに遠のき やがて




             …………何も分からなくなった。


















 何時しか雨が降り出していた。


 暫し彩はその場で立ちつくしていたが、やがて顔を空へ向け、天を仰ぎながら大きく息を吐ききって、霊剣霧刃を地面にふり抜く。 空を切る軽快な音がした。


 ――彩……!


 声も掛けられぬまま、響也は振り返った少女の目を見つめた。


 彼女は泣いてはいない。ただ雨が偶然、左目下から伝ってそう見えていただけ。その他は額と右の頬二箇所から、返り血と思われるものが認められる。


 (なぜ、あの血は消えないんだろうか)

 取りとめもない事を考えながら、校舎外へ出て居並んだクラスメート達と同様、雨に濡れるのも構わず、響也は見守り続けていた。

 刀をその場へぐいっと突き立てた少女は、ゆっくりと踵を返して歩きだした。


 遮那堂かほるを始め、彩を気遣っていた女子達も誰一人として止める者はいない。無言のまま只、去っていく少女の背中を見送った。


 感極まって抑えられないとき、天を仰ぐのが彼女の癖かもしれない。


 (ああいう部分は正直だよな。……隠しようもないくらい、不器用なやつなんだ…………)




 それから


 続々と駆け付ける救急車と、パトカーのサイレンが鳴り響いて街中は騒然となり、教職員達は対応で大わらわだった。

 怪物を見ているうち、気分が悪くなって倒れたのがクラスメート数名だけでなく、全学年クラスまで波及していた事実を知った響也は(こりゃヤバイな)と思った。


 石臼をゆっくり挽き回す様な低くザラついた不気味な声の感触を、彼は寒気と共に思い出す。


 生徒達はそれぞれの教室内で、体調不良を訴えて倒れた仲間を保健室へ運んだが、廊下まで溢れてしまい養護教諭は救急車を要請していた。

 彼女だけでなく、生徒達も各々が自分の判断で119番通報し、周辺住民も地響きと、学院の校庭から上がる大量の砂埃を確認していた。


 警察は「怪物」の出現を信じなかった。

 広範囲に及ぶ土煙と、やがて起こった校庭の発光。其所へ怪物が呑み込まれた過程を、ほぼ全校生徒と教員が実見。

 或いは近隣の病棟三階の患者や医師・看護士ら数人と、一部周辺住人も目の当たりにしていた。だがこの時点で全ての経緯プロセス(真相)を知っていたのは、2年α組の生徒達だけだった。


 2年α組担任の烏丸頼子は嘘の入電をしたと追及されたが『怪物出現の通報を無視するからだ。ウソも方便だ』と堂々開き直り、刀もいち早く回収して、彩のことは一言も触れず隠し通した。


 生徒達は〔外へ避難せよ〕という放送をスルーしていて、わざわざ行った直接の呼びかけも馬耳東風だったのだが「私は、生徒を守るためなら手段を選ばん」とまで言ったらしく『名言』ではないけど【迷言】とも言い切れない、中々良い〝明言〟として語りぐさになり、結局(何かが起こった事は間違いないので)不問とされた。


 おそらく警察も、他の教師の証言や生徒達が撮った大量の動画を見たのだろう。


 妖物は一切合財消滅した。校舎の大穴も修復工事が行われている。


 こうして、いつもの日常が戻った。


 彩は再び姿を消してしまい……空夜老人は黙して語らず。


 彩がどこへ行ったのか響也には分からず、気持ちの整理も付かぬままお手上げ状態である。

 それから数日後、彼は鬱屈とした重たい気分で溜め息を付き、教室の引き戸を開いた。


 ――俺は……結局何一つ、あいつの気持ちを…………。



          *          *          *


「 皆様 ご迷惑とご心配をお掛け致しました 」


 教室へ入りかけた所でその声を聞いた俺は、壮絶に脚がもつれ転倒した。


「いやー、元気そうで安心したよ~。彩ちゃん」


 ――何か聞き覚えがある声だと思えば、ヘンな忍者、ちゃっかり復帰してんのかよ!


「彩――――!!」


「あっ、ご主君さま!」


 みんなに囲まれ、何事も無かったかの様な明るい笑顔で振り返ったくノ一は、ルイス・フロイス学院の白いブレザーを着て、見た目は我が学院の女子生徒そのものという装い。


 但し、スカートの下はジャージを穿いた無粋な姿であるが。


「――お……お前、その服……?!」


「……はい」


 彩は、手前で重ねた両手の指を絡ませ、モジモジしながら少し顔を赤くしながら言った。


「総帥様が現代ここで暮らすなら、響也様を見習い……『生活も同じゅうせよ』との仰せで」


「きゃあぁ――――っ♪、同棲確定ですって――――――ッ!!」


 〝とも寝〟公認と履き違えた女子が、黄色い歓声をあげ喜びを爆発させると、男子連中からも「バンザーイ! バンザーイ!」と祝福する三唱が起こって……。


 ――してやられた! 内緒で会ってたのかっ。


「あ、……あのジジィ!!」


          *          *          *



 祖父は神社設えの庭園で池を泳ぐ鯉たちを眺めていたが、突然大きなクシャミをした。


「揃そろ届く頃合いかのォ」


 ほくそ笑んで呟き空を見上げると、意味も無くVサインなどしてみながら思った。


 ――響也よ。ジィちゃんからのプレゼントぢゃ!



「オメデトウ! 響也くん!!」


「やかましい、外野っ」


 歓声と祝意で満たされた教室の中、御狼沙織は皆から少し離れた所から、この成り行きを愕然とした表情で見ていた。


 その時、後ろから優しく彼女の手を取る者がいた。


 はっとして振り向いて顔を見下ろし「セリちゃん」と相手の名前を呼ぶ。

 同じ寮生で七歳の鴨川セリが、傍らへやってきていた。


 女児は微笑んで静かに、なお且つ力強く語りかけた。

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