40 花
「諦めること無いから。……キョウヤくんは『ご主君さま』で、恋人じゃないもの」
御狼沙織もそれを聞くと、少し涙を滲ませながら頷いて言った。
「……うん。…………」
バンザイの連呼の中、羞じらう風で身体を縮め申し訳なさげな少女を側で見ながら、響也は(まあ、いいか)と思った。
「あのな、彩。俺は、ずっと言ってなかった事がある」
「はっ?!」
「ええと……ほら、あれだ。初めて襲われかけた時があっただろう」
彩は推知したのか少し俯いて目を閉じ、柔和な表情の顔を上げた。
「皆まで仰有いますな。臣下として、当然の事をしたのみ。面映ゆう御座いますれば」
「簡単な話じゃねぇんだよ! 現代ともなりゃ色々あってな」
すると、彩は片膝をついてふっと頭を垂れ、幾分の早口で心情を述べた。
「それを申さば、彩とても。大切なご主君を悪鬼の凶牙で噛み砕かれんとする土壇場の、危うい際へ置きし不手際があり。その様な勿体なきお言葉を賜りては申し訳なく、只々……汗顔平伏いたすのみ」
(――まーた始まったよ!)響也は呆れ、多少の怒気を含ませ訊ねた。
「理屈っぽいね、お前。オレの礼が受けられないって言うのか?!」
「はっ、この儀ばかりはお受けできませぬ」
「どうしてお前は堅物なんだ?! そ、そう言うのインギン無礼ってゆーんじゃねえか?」
『 違うわよ 』
「 うおあっ、遮那堂!? びっくりしたぁ――――――!! 」
全身を貫く電流の衝撃で、響也は飛び跳ねる。いつしか、生徒会長が背後を取っていた。
「あなた隙だらけね。黒板から出てきたお化けに、背中から食べられかけたでしょ。まったく懲りないというか」
「うっ、うるひぇい!」
その時、風祭美樹や扇谷要たち女子数人が「彩ちゃん、ちょっといい?」と話し掛けてきて、少女を廊下へ誘った。
後で雪城舞が遮那堂に小さく手を振り去ったので、示し合わせた段取りらしい。
「なんであいつは、自分の事より御主君様なんだ?! ウザくて煩い。鬱陶しい」
「あらぁ。チミのご先祖様が精魂傾け育成して、送ってくれた最高のプレゼントでしょ」
「たかが同じ年の女子だもんな。……守られるとは情けねぇ~~…………」
「たかが女で悪かったわね! まあ、みっともなかったけど。文字通りの甲斐性無しで。可愛らしい女の子が命懸けで庇ってくれて、男の沽券もヘッタクレも失った。それが実態」
――苦っ…………そこまで言うかお前!!
悪戯っぽく笑う遮那堂から、胸板の辺りを指摘された響也は赤くなり青くなり、口篭もった。
「……お前ら彩が戦国時代から送られて来たって、本気で信じてるんだな」
「実際のところ、私もタイムトラベルまでは信じてなかったの。でも、あの子は正直に話していると思った。だから彩ちゃん自身が、本気で信じ込んでいるものを殊さら否定するのは好くないでしょ……でも色々あって考えも変わったわ。この子は、紛れもない真実を話しているんだって。正真正銘、戦国時代から此処へやって来た、私たちと同年代の女の子だって解ったのよ」
「一体、ご先祖様は何を考えていたのやら」
「やっぱり解ってないんだぁ……ウフフン。響也くん、あなたってホント鈍感だわ~~~」
「な なんだよっ?」
「ちょっと彩ちゃん借りるわね」
遮那堂は彼の肩をポンと軽く叩いて、今度は謎掛けの様な笑みだけを残し離れて行った。
――いーとも、女は女同士で語れ。オレはなぁーんも言う事なし。結局あいつを垢抜けさせることが出来るのは、同性の友達なんだろう。これから時間をかけて考えりゃいい。俺ができる『何か』は…………。
暫くして響也は(あれ? そう言えば)と思い、呟いた。
「今あいつ俺の傍を離れるとき、許可を求めて行かなかったよな」
女子生徒たちは、相模湾を一望する裏庭の礼拝所前を、彩に付き添って歩いた。
「わたくし、僅かずつ妖物の散華を図っておりました。お社の清浄なる鎮圧の下、染み出す妖気はごく僅か……。歳月を置きますれば、聖域内で涌きでる妖魔の浄化も可能ではございましたが、さる事情がありまして」
「事情って?」
彩はただ沈黙をもって応じたので、遮那堂は(響也絡みだわ)と察した。
「魔性の本体を死地へ囲い込み、一気呵成の殲滅を図りました。この鎌倉の地は起伏散見。誘い出し易き場所多く、御社のごく近きにも斯くの如き要所はございまいた。さりとていずれも人家が凝聚し、決戦場とはなり得ませなんだ」
「ひょっとしてぇ。校庭へ出たのは、わざとそうしちゃったりとか?」
「如何さま。故意にて」
「 あ ら ま あ …… 」
「がっこふの庭は大変広く、授業中なれば人も多くはございませぬ故。陰乍ら地表へ繞らせたる溝に沿い、金剛綱を用い八卦の陣をば構築いたし、埋伏させておりました」
「こんごう、はっけ?!」
「はい。金剛綱は不動金縛りの呪で用います黄金色の縄を、縒り合わせ束と致した頗る強きもの。此で八卦陣を構えた次第……聢と申さば、昔時唐国三鼎立の折、蜀漢方軍配・諸葛亮が八門金鎖陣を改編せしもの。一旦擒となせば、再び逃れる術無きもので御座います」
「地面から光が放射して、底へ呑み込まれていったわ」
「左様。きゃつらは危殆に瀕すれば、必ず地下へ遁走致す故。将しく逃れ出でたる所、凡てを禦ぐ為の〝奇門遁甲〟八門陣に御座ります」
「彩ちゃん。あなた凄いのね」
愁いを帯びた寂しげな笑みを横顔へ漂わせ、少女は告白した。
「あれなるは、本体では御座いません。妖物の尾端に過ぎませぬ」
「――――ええっ?!」
「相生降剋の秘技は危険ゆえ。実体を持てねば刺客の目的を達し得ませぬが、持ち込もうとした物が大き過ぎた由。本来のあれなるは、一角の巨躯なる山犬の姿。三尾は、各々蛇の形象でございます。……蓋し三尾の内一尾のみ、漸くこの御世へ這い込みしものと存じます」
耳を傾けていた叶仁子は黙っていられなくなり、後から質問をぶつけた。
「それじゃっ あれで化け物全体の、ほんの一部分だったって言うの!?」
少女は小さな声で「はい」と頷いた。仁子は(おいおい!)と内心で困惑混じりの呟きを洩らし、他の女子も口を合わせて訊ね始めた。
「彩ちゃんの師君様って……その途轍もない化け物から狙われ続けて、無傷でいたんだ?」
「魔生の性は日の光を懼れ、闇を好みまする。師君様を幾度か襲いましたが、何れも闇中、不意の来寇。八卦陣は張れず、大日如来印すら有効ではございませなんだ。やむなく晴明陣(五芒星)を用いるのでございますが、土中は闇の属性にて。寸での所で土遁致し、口惜しくも息の根を断つ事、適わなかったので御座います」
――あんたの前のご主人様こそ、怪物並みの強さって事じゃない!
凝然と言葉を失う仁子や友人達と、遮那堂の感慨は違っていた。
(尾っぽの、しかも三本の内一尾であの執念と力は心底恐ろしい敵だわ。それをこの子は、危地へ誘い込んで消滅させた)
「やっぱり凄いわ。彩ちゃん」
その言葉を聞いた彼女は、沈痛の面持ちを増し俯いて、目を閉じた。
「ご主君様はお命を失いかけました。…………手傷まで負うておられます故、不忠の極み。のみならず、がっこふの皆様も危険に遭わせ建物を著しく穿ち、本来なればこの一命を差し出し、お詫びせねばなりませぬ」
「そんなことは、響也が絶対許さないわよ」
「はい……君命は『許さぬ』とのご諚。甚だ申し訳なく、心苦しく生存致しておりまする」
「いつまでも居たいだけなの。彩ちゃんと」
思いがけない指摘で驚いた少女は顔を上げ、遮那堂を見た。
「彼は、みんなや先生方へ頭を下げて回ったのよ。男子連中なんか、『彩ちゃんがこのまま居なくなったら許さない』って、響也に詰め寄ったりしてね」
「 ………… 」
「私たちもずっといたいわ」
彩の両目から零れる涙を見て、遮那堂は驚いた。
当の本人も戸惑った様子で(はっ)と両の手を顔へ持っていき、頬を触り自ら確めた。溢れ出る雫に驚きキョトンとしている。
それは、まさしく滂沱の涙だった。
「これはどうしたことで御座いましょう? 訳も解らず、お恥ずかしゅうございます」
少女は手で目元を抑えて一瞬上を向いた。小さく鼻を啜ると、か細い声で言った。
「わたくしはかほる殿と会うた時、初めて巡り逢う方とは思えませなんだ。まるで以前からの知己と再会致せし様な、懐かしい気持を覚えました故」
「嬉しい事を言ってくれるわね彩ちゃん。でもね、私達もまったく同じよ」
彩はこの時代へ来て始めて、心が温かい至福で充足してゆくのを感じ、胸中で呟いた。
――師君様。わたくし、生涯の友を得まして御座います! 衷心より感謝申し上げまする。
時は400年以上前の事、もう彩の知り人は皆この世にはいない。でも少女は知っている。あの時、自分が去った後も 師君・朔夜を始め総ての人々が〝時〟という川流れの内で存在し、日々人生を送っている。――……自分は距離を隔て、遠い場所へ来ているだけという事を。
正し、あの頃には戻れないし戻らない。彼女へ科せられた使命は、自らの決意となっている。
潤いを帯びた五月の柔らかな日差しのもと、花壇を彩るマリーゴールドやゼラニウムを見た少女は「まあ、まあ!」と走り寄って振り返り、子供の様な満面の喜色を表して呼び掛けた。
「かほる殿、ご覧じませ。綺麗な花があまた咲いて……可愛らしゅう御座いまするなあ」
遮那堂は優しい気持ちで満たされ、言葉もなく微笑んでいる。叶仁子は「気が合うわね」と豪快な笑い声を発して、告げた。
「 彩ちゃん。あんたの方こそ野に咲く花みたいで、よっぽどカワイイよ! 」
お疲れさまでした。
聖ルイス・フロイス学院は架空の高校です。
登場人物達の出身校として名前の出た各施設は、それぞれの住所選定と学区域に基づいたもので実在しますが、無断立ち入りはご遠慮くださいますよう。
湘南・鎌倉は言うまでもなく実際の地域で、歴史や地理に関する情報は正確なものです。
以後もお付き合い、何卒よろしくお願いします。




