38 忘我
降り掛かった頭上の粉塵を払う豪田悟や、茶髪ロンゲのスタイルを慮って戦いを眺める後藤修次、拳を突き上げて声援を送る日浦咲。その隣りで小さなロザリオを二手で握りしめ、祈りを捧げながら見守る風祭美樹。ひたすらハラハラした表情で窺う扇谷要などは、一部の例外である。
ついでながら、美樹の足元で身を屈めている葦舘留美は、感激と興奮の極致だった。
――彩ちゃん! イイわよっ、よい良い!! ガンガレ! やっちゃえー、カッカカカ……。
笑いながら歯の根も合わない程の震える手で、容量一杯のメモリーチップを取り落としかけ、おおっ……わお! と声を上げ慌てて掴み直して、ようやく交換した。
学院一奇怪な眼鏡っ娘とも評されるこの女子生徒は、5万円近くしたハンディカムを常時持ち歩いて獲物となる対象を捜し求めていたが、ドンピシャのタイミング。「神様が与え賜うた幸運。感謝の意を込めて、エイメン!」などとこじ付けを呟きながら、撮影を再開する。
彩が着用のニンジャ・スーツは彼女が縫い上げて進呈し(押し付け)たものだった。
それを本物の忍者が着て、大怪獣とリアルな激闘を演じているのだから堪らない。
「 だからっ、怪物が現れたんですってば! 」
烏丸頼子は独断で警察へ通報したが、耳を疑う内容に先方もかなり困惑している様子だ。
「現在校庭で暴れてるっ……ハアッ?! 私は本校の教諭で烏丸っていう者ですが、何か? …………嘘だと思うなら、どうぞ逆探知でもなんでも。校内から掛けてるんです! ……それなら、直ぐこっちへ来なさいっ自分の目で確かめたらいいでしょう!!」
啖呵の直後、烏丸は受話器を見て絶句した。
「――ちいっ!」
舌打ちしてフックに放り置く。どうやら切られたらしい。
腕を組みイラついた顔で親指の爪を噛んでいた烏丸頼子は、気を取り直したのか受話器を取ると、プッシュが3度。今度は鎌倉警察署ではなく、110番の方だと側から見て分かった。
「もしもし、警察ですか? 助けてくださいっ今学校内で浸入者が刃物を振り回して暴れてます……はい、教員です。職員室から電話しています! 場所は鎌倉市腰越1丁目2――」
声色が先程とは打って変わったか弱い女性の哀願調で、周囲はア然となった。
「烏丸先生っ」
清々として受話器を戻した彼女の名を、目を剥いた主幹教諭が咎める口調で呼ぶ。
同僚達が(いいのかコレ?)という表情で見守る中、一人の女性教員が彼女の腕を引き、小声で告げた。
「頼子先輩っマズイですよぅ、ウソは……」
「今よりまずい状況があるの? うん!? それより生徒達を全員裏庭へ退避させるぞ」
烏丸は言い放つと同時に背を向け、職員室の出入り口へと急いでいた。
――嘘は言ってない。実際、刃物を振り回してる娘ならいるじゃないか。
魔物の頭部付近の胴体表層が、次々と吹き出物状で盛り上がり、曇った薄明かりを反射して白く淡い光を内包している。その吐水口形に変化した数カ所の瘤から、彼女が空中で体勢を整える間を許さず、強圧縮の放水砲が発射された。
空裂音を伴う水柱は髪が靡くほどの近くを通過して、今度は彩が遅れを取る。
(不覚!!)
の言葉が思い浮かんだ矢先、剔るような水柱が腹部を直撃した。曇天と校舎が急転回し、凄まじい勢いで地面が拡大して即下、少女の体は叩き付けられた。乾いた土埃と砂の匂いを感じながら、数度舞う。
――彩っ!!
響也が大声で名前を呼ぼうとした途端、胸部から頭へ電流のような痛みが走り声が擦れ、激しく咳き込みのめって這い蹲る。
(痛ってぇ~……)
どうも悪寒までする。魔物が締め付けてきた時、肋骨にヒビでも入ったのか。そんな自己診断が脳裏を過った。
三年γ組の春原芽衣子は剣道部主将を務め、家は材木座で道場を経営している。
校舎中央3階の教室で英語の授業中、校庭で展開される一連の出来事と遭遇した。
大きな爆発音と強烈な振動で、これは東海地震発生かと度肝を抜かれたが、強震で揺すられたのは二回。後はクラスメート達の騒ぎで窓際へ赴き、眼下に視線を向けた。
グラウンド上を、巨大な生き物が動いていた。半透明で、蛇の様であり竜のようでもある。そこへ飛び出してきた小柄な少女が、刀を手に躍り掛かり――――剣道部主将である彼女が逸早く惹き付けられたのは、やはり謎の少女が所持する得物のせいである。
少女は信じ難い動きをしていた。巨大な生物の背中を素早く駆け上がるや、目測でもはっきりと7~8メートル強を跳躍し、体操選手さながら空中で体を捻り、回転して刀を振るう。二度それを行い、三度目怪物体から伸びて来たものが当たって、地面へ落下した。
棒で弾かれたと見えたが、少女は砂埃を捲いて勢いよく校庭を転がった挙げ句、ようやく止まる。
暫くして動き出した少女は、次いで異様な身構えを取った。
刀を支えにして体を起こすと、柄の上から被さり体重を乗せ、刀身の三分の一を地下へ埋没させた。その様は『人』の字に見える程で、春原は息を呑む。
女性教諭が廊下から、今すぐ教室を出て避難しろと呼び掛けるが、誰も危険を感じていないのか、無視して従う者はいない。それどころか続々と窓際へ殺到する男子達を見て女子まで群がり、芽衣子も例外ではなかった。
少女の体勢を見た男子の誰かが「おっ無明逆流れ」と口走ったのを聞いた彼女は、違う! と胸の内で否定した。
(あれは脇構えの胴払いだ。鎺元から物打ち所までを使って、一気に薙ぐ。地面へ刃を突き立てたのは、杖代わりに体重を預けただけ)
車の構えは刀身より体を前方へ突出させ、敵を誘い込む背水の構え。彼女が相当の窮地に追いやられているのは確かだ。
――しかも、あんな大きな奴を刀で幾度斬り付けたところで、どうなるっていうの?
常人よりも鍛え上げられた彩とはいえ、腹への打撃は背骨が軋み一瞬呼吸が途絶するほどのショックで、彼女は被弾した戦闘機宛ら墜落した。水切り石の如く跳ねて、派手な土煙を三箇所舞い上げたものの、斜めで落ちたせいか見た目程の衝撃は受けず、致命傷は免れていた。
骨も異常はない様だが、強打したため軀の至る所が苦痛を訴え、脂汗を浮かべている。
刀を杖代わりで大地に突き立て、立ち上がろうとしたが、やはり打撲のため左腿は痺れ感覚を失っていて、それでも主を気遣い思った。
――ご主君さま、お早くっ……出来るだけ早う、遠くへ…………。
その響也は、彩が飛び出して行った直後からその場を離れようと努力はしていたが、思い通りに下半身への力は入らず、冷や汗をかいていた。
(やばい……腰が抜けてる!? これがそうなのか! 初めてだぜ、こんなのっ)
彼が目をやると、叩き落された彩は刀身を支えとして立ち上がっていた。
刀を地面から引き抜くと、柄頭を右際に添えて構え、化け物と相対する。
「あいつ、まるっきり苦茶だ! 馬鹿じゃねぇのかよ?!」
主君との間で己を楯備えとして一所へ留める、決死の〝意地〟だった。
――彩、お前まだやる気か!? ……ガチで道具同然に死ぬっていうのか?
先ほど一瞬振り返ろうとした少女の瞳から、間違いなく一条の涙が零れた。
到底自分は真似の出来ない、同年齢の少女の悲壮な覚悟。四百年前――戦国時代を生きた人間の気概を見せられ、身震いだけでなく、形容しがたい感情が沸きあがった。
(女の子が庇ってくれたって、結局は逃げられず殺されちまうのかっ俺は何もできねぇのかよ!)
眠れる獅子を呼び起こす雄々しい気迫が芽生えたかと思うと、直ぐさま無力感・恐怖と絶望の入り混じった情動が波蝕する。両耳の鼓膜が塞がれ、頭の中で小さな高音が鳴り出した。
自分の呼吸音が、耳障りなほどやたら大きく聞こえる。
震える手を無自覚でブレザー上着のポケット内へ入れると、指先に触れる物があった。
(……これ?)
教室でも眺めていた。彩の失踪後、祖父から『自らを守れ』と渡された、一枚の護符だった。
【( 虐・殺・殲!! 愚愚、愚……鎖苦夜!! 戮・血・脈・断・絶・滅・死!! )】
「――・――・――。――え、なっ!?」
響也は自分の胸の中から耳元へ、誰かが陰惨な呻き声を洩らすのをはっきりと聴いた。
【「 お ま え の け つ み ゃ ぐ を い ま ご そ た づ 」】
妖物が頭部を大きく上昇させながら山なりに体をくねらせ、真一文字の穿抜態勢で地上の彩めがけ突っ込むのが見え―――― 以降、響也の念頭から自分の記憶と存在は消え去った。
真っ白な意識のまま、何ら逡巡や切迫感も抱かず、ポケットの中のそれを人差し指と中指で摘み上げると、挟んだ御札が激しく靡き手から引き抜かれて飛び、風で運ばれ吸い寄せられるが如く、怪物の頭部右側面上へ飛来した。
他人から見れば、あたかも彼自身が取り出して投げたかの様な動き。
呪符が怪物の巨大な単眼まで吸い寄せられ肉迫した途端、強力なフラッシュが炸裂した。
【( ――――〆――!! 我顗・眩……烈!? 鎖苦夜? 疑! 疑疑?! ?? )】
その閃耀を、魔物はよく知っていた。
記憶の扉を瞬刻こじ開けられ、曽ての強敵に抱く畏怖の念が噴出した。
疑問という叡智の光は心胆を照らし、動揺を生じさせ、思考が釣瓶落としの混乱をきたす。
彩は右偏え身(半身)で敵との正対を外し、太刀を一旦腰の位置より低く構え、続いて水平化させ胴を捻って切っ先を背面過まで回した。
瞼を閉じて全神経を臍下へ集中させ、九字の印を胸間で結ぶ。深い眠りに落ちる前と同様、眼球は急速運動し、顔の筋肉が細かく痙攣する。
視界を遮断され、制御を失った化物の巨大な頭部と顎は、バランスを崩して大きく左へ傾き、彩の眼前まで落下してきた。




