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32 顛末

「親御両どの、お早く! はようっ外へ、出ませい!!」


 麻痺したままでは危険という焦りが、叱責調で退避を迫るきつい物言いとなって飛んだ。



 渡り廊下に響也が辿り着いた時、倒けつ転びつ、五級段から庭へ駈け出てきた凜子の両親がポップアウトした。

 直前に人とは思えない叫び声も聞いていた彼は、急いで渡り廊下の置き棚へ走り、その上にあったスリッパを突っ掛けて下へ降りると、庭を斜め一直線にショートカットして、現場へ到達した。


「あの、どっ、どうしました?!」


 凜子の父親は息を弾ませながら尋ねる響也と目が合うと、逃げてきた方向を指差して何があったのかを説明するのも牴牾もどかしげに、ただ叫んだ。


「 ば ばば、化けものっ……、、化け物の家だ! 」


 彼は(バレたっ)と思った。――――響也が物心ついた時分から、この神社はお化け屋敷だった。

 散々それらしい奇っ怪な物を目撃してきたし、胡乱げな連中が訪れては去って行く。


 噸でもないモノノケ共から襲撃されて自身喰われかけ、挙げ句はそういう奴らをことごとく斬り伏せる〝変な忍者〟まで参上している。


 響也が二人の出て来た応接間へ目をやると、開け放ちの障子戸奥から彩が姿を現した。


 油断なく刀の切っ先を屋内に向けつつ、身を低く沈めて後退りする緋袴の少女は、振り返り響也の姿を見て、ご主君さまっ! と叫んで駆け寄り、抜き身の刀を背後へ隠して片膝立ちで跪き、言った。


「ご無事でっ、何よりに御座りまする!!」


 彩は表情を輝かせ感激の面持ちだが、響也の意識は鬱々と漂い、立ち眩みがした。


 顔を伏せて動かない奥さんを抱きかかえ、靴下のまま周囲へ視線を走らせて怯える旦那さんを見る限り――――…………こっちの方は、到底無事じゃ済まなかったらしい。


あんさん、娘は何処におるんや?」


「えと、いえー、多分そのっ……(まだ真っ黒い祭壇の間かなと)…………」


 咎められ追及されている気分の響也が、返答をしどろもどろさせていると、予期せぬ絶好のタイミングで、時の氏神ならぬ天使の声が響き渡った。


 『 お父ちゃん! 』


 彩が驚いた表情で立ち上がり、総帥様! 凜子どのっ、とその名を呼ぶ。


 廻廊上の凜子が手を振って、急ぎ足で渡り廊下へ回り、祖父がその後を歩いて近づいて来る。

 二人の姿を見た響也は、ほっとして体の力が抜けた。


 親子はやっと対面を果たしたが、父は涙ぐんだ目を見開くと、心配したぞ。と言いたげに両肩を抱いて心情を表し、それ以後は絶句していた。

 気も漫ろという様子なのは、今は奥さんの状態こそ気懸かりなせいだろう。


「ケガをしておらんか、響也」


「おう。ジイさんはよく出て来られたな、どうしてた?」


「どうもこうも、あヤツめの胃の内部へ閉じ込められておったのよ。じゃが体の自由が利いたでの、真言を唱し『七種印』を用いて光の波動を打ち込んでやったのぢゃ。まあホレ、お前も見たぢゃろう。お彩がやって見せた『五色光印』のことよ」


「ああ~アレか。……それで、化け物はもう退散したんだろうな?」


 響也は凜子が妖物に襲われ寝込んだ時、彩が彼女の頭上へ両手を翳して呪文を唱えていたのを思い出し、傍らで跪いて低頭する少女に視線を向ける。そこで、重大な疑問が頭をよぎった。


「おいっ、遮那堂をどこへやった!」



          *          *          *


「かほる殿」


 ――約束通り彩ちゃんが戻ってきたのは小一時間ほど経った後のこと。


 膝を抱えて座り込んでしまっていた私は、やっと心細い気持ちから解放され、久しぶりに母親のお迎えをひたすら待つ、幼児の気分を味わった。


 母屋の庭先へ回ると、美大生の凜子さんという女性をはじめ、全員無事で揃っていた。


 そこでは響也が宮司であるお祖父さんに、結界を張ったんじゃないのか! と詰寄り、抗議している。


 どうも場の雰囲気は深刻で、来客の二人。鞍馬凜子さんのご両親は憔悴しきって、取り分けお母さんは夫と娘さん両方から支えられ、ようやく立っているという印象を受けた。


 付言すればここへ歩いてくる途中、彩ちゃんもどことなく口数が少なく微妙な感じだった。


 私自身のイベントに関しては、彩ちゃんが「どうでした」とは聞かないので、敢えて話してはいない。


 実際、私も今は思い返したくなかった。


 こうして全員が応接間へ移動する運びとなったのだけど、どうやら凜子さんの両親はそれぞれ、既に死んだ肉親の姿を見せられたらしい…………と聞いた。


          *          *          *



「お祖母ちゃんが!?」


 隣の夫が支える凜子の母は、放心状態のまま虚ろな視線を泳がせている。


 此処で彩は初めて、自分が頭を断ち斬り足蹴りしたのが佐奈絵の母。つまり、凜子の祖母の姿をしていたと知った。


「お前、娘の前で母親を切ったのかっ!?」


 衝撃を受けて瞠目した少女は響也の顔を見上げると、小さくかぶりを振りながら答えた。


「いいえ、いえいえっそうではございませぬっ…………ご主君様。あれなるは、妖のかたりと存知まする。決して、ご本人ではありませぬ」


「だから、そんな事を言ってんじゃない!」


 少女は即刻、面を下げて平伏した。


 (いきなり頭を真っ二つとは……。人間の姿をしていたら普通は怯むんじゃないか? その上、背中を蹴り飛ばしたっていう。ほんと刀を振る時のこいつは、一々やることが荒っぽい)


 考えてみれば自分と同年齢の女の子が、命を落とす危険性も顧みず「主君を守る」という強力な呪(暗示)を刷り込まれ、封建的な忠誠心のみで時を越えてやって来たのである。


 言わば産地直送――本物の戦国『歴女』だ。


 生きてきた時代で培った自らの本領を、彼女が発揮し始めたのか? と響也は懸念する。


 彩は目をしばたたかせてから視線を落とし、稍あって、おずおず「あの……」と切り出した。


「老母どのは、断じて地獄などと言う場所へ堕ちてはおりませぬ」


「もういいっよせ!」


 これ以上刺激的な放言が出ない様、響也は遮った。


 少女は重ねて主君の不興を被った事を畏れ、ついと身を引いて両手をつき、再び平身低頭する。


 凜子の祖母は、入居していた特別養護施設の火災で亡くなったという。

 詳しい経緯までは響也も聞いていないが、娘である母親はひどく悔やんだらしい。結果として自分が死なせた、と罪悪感を抱いていたのかも知れない。


 老母は地獄に落ちていないと彩は断言したが、それは凜子の母を慰める方便ではなかった。

 惨死とはいえ自死でない限り、祖母の魂魄が泥犂ないりは無論[潜處(せんそ)]へ陥る事も在り得ないと察せられた為である。


 地獄と呼ばれる場所は、文字通り地下深部の形而上世界。潜處は地上の暗く湿った箇所であまた存在し、往々にして彷徨える者の仮住処となっていた。


 佐奈絵自身、心の何処かで自分の母親は成仏できていないのではないかというわだかまりがあり、敵がまんまと付け入った事で、強烈な地雷を踏まされた形だ。


 言うまでもなく、現れたのは成りすました化け物である。彩が斬り付けたのは必然の成り行きといえた。それでも人の姿をした者を斬れば、自ずと物議をかもす。

 現代人の響也からすれば、まったくデリカシーを欠いた行為と断じても、無理はなかった。


 本人でないからといって、母親を目の前で斬られた娘の気持ちを思えば(しゃあねえな)とすんなり納得は出来ない。


「いいのよ、彩ちゃん。何故そう思うのか、教えてくれた方が安心するわ」


「……」


 響也の制止も構わず凜子は尋ねた。彩は少し頭を上げたが、視線を落として黙したままである。


 空夜翁が凜子の父と視線を合わせ、意向を確かめる。彼は目顔で構わないと頷いた。


「お彩、苦しゅうない。どうしてそう言い切れるのぢゃ」


「…………畏れながら……」


 小さな声で言うと、居住まいを正してから語り始めた。


「彼処は決して、世の常の方が入れる様なところでは御座いませぬ。横死ゆえ、ご自身の今際いまわが模糊として、暫し迷うておられる事は御座いましても、早晩親しきお身内が誘い参らす縄墨じょうぼくなれば。もはや開眼し、共々常世へ渡られたものと存じます」


 強く興味を魅かれたのか、凜子は熱心な面持ちでじっと口を噤み、彩の言葉を聴いている。


 ――まぁた、尤もらしいこと言ってるなぁ。


 変な女忍者のスピリチュアルな珍説。感化されつつある美大生を見た響也は、ハラハラする一方


 (つーか、オイオイ。地獄ってマジ存在するンかよ?!)と内心で突っ込みを入れていた。


 今日初めて会った人達の家庭の話に立ち入ることを、遮那堂は遠慮して黙っていた。

 先ずは自分の欠け替えのない人の姿を仮りて、目の前へ現れたものは何であったかが最大の関心事である。


 その正体に係わるであろう枢要を、彼女は質問した。


「彩ちゃんの敵。つまり響也を狙ってるやつは、何者なのかな?」


 少女は遮那堂へ顔をむけて、粛々と告げた。


「あれなるは遙か昔、天帝御傍で仕えし天人の、りん落致せし一類。退転の輩とは申せ、異層(別次元)の住人たる彼奴等きゃつらは、人の心を覗き見る能力を有するのでございます」


 遮那堂は考える。もし『天帝』が全ての『創造主』を指し示すならば、側近くで奉仕した者達とは『御使い』のことではないか? あれが堕天使【悪魔】なのか――――


「常々人の情と揺らぎの隙間を突く者共ゆえ、手強いのでございます」


 魔物は人間の弱点を知っている。此方は相手の正体を窺い知れず、況して悪霊の存在自体を認識していない人物であれば、勝つ見込みも立たず百戦危うい。

 そうした意味のことを語った彩の言葉と〔サタンは誘惑者である〕と指摘する聖書の記述は、一致していると思われた。

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