↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/129

31 惨烈

 ――叔父貴かぁ!? 脳腫瘍ができて、治療を放り出して四国で亡うなった…………!


「恐怖に脅えながら、病院のベットで死ぬのだけは堪忍や」


 彼はそう言い残した。中学校へ進学して間もない頃、研作は親族数人と一緒に、旅立つ背中を見送った。

 こうして叔父は遍路巡礼の途次、伊予で倒れ帰らぬ人となった。


「初めて会うたのと、違うよな? 憶えとるかい」


 背後から、恐る恐る声を掛けた。

 佐奈絵が夫の肩側から覗き込み、代わる代わる二人を見て「お知り合い? 何方やのん」と聞く。


 相手はゆっくりと振り向きはじめる。細い首、突き出た特徴的なのど仏。その全容貌を見せて――――やはり! と彼が確信した刹那、意表を突く光景が展開した。


 男性の眉より上部が沸々と赤く脈打ち膨張し始め、何ごと?! と息を呑み反り返った夫妻が目を見張る前で、頭頂部が凄まじい轟音と合わせ破裂し、捲れ上がった。


 真っ赤な塊が火山噴火然と頭上へ吹き上げ、天井にぶち当たって部屋が振動し、研作は大声を出しながら跳び退いた。


 真紅の溶岩とも見紛う脳味噌は、叩き付けられた勢いのまま四散したが、飛び散った物の薄片が妻の右額から左の頬へかけて斜めに引っ付く。


「ひゃあああぁぁ――――――!!」


 拭おうと顔へ手をやった佐奈絵は、附いているのが飛び散った液体ではなく、もっと立体的な細長い物だと分かった。

 そのまま指で摘み、引きはがしてやっと正体を知る。

 ミミズみたいなそれは、抓んだ部分を中心として身をくねらせ、頭尾いずれかの尖端がペタペタと指まわりに触れた。


「うひい~~~っ……! い、い、いっ」


 低く呻いて畳の上へ投げ捨てると、尚も気色の悪い感触を振り払うように、手を振るった。


「佐奈絵ぇ!?」


 夫も訳が分からぬまま、夢中で妻を支えて連れ出そうと、両足の縺れる彼女を引きずり中廊下へ出た。すると右側納戸の暗がりで、誰かが小さく体を丸め蹲《うずくま》っている。


 服装が黒い上、肌も浅黒く、視線を合わせた瞬間(随分白目だけが浮き立つ顔やな)と思ったが、その人物は直ぐに正面を向いて、抱きかかえた前膝へ顎の先をくっつける状態で俯いた。


 両肩を縮め全身を震わせながら〈ううう、う う、うう~~っ〉と低い唸り声を上げている。


 こんな場所で、あなたはどうしたのか。研作が声を掛けようとした直前、その人物は全裸で、皮膚が赤黒いため黒ずくめの格好《なり》に見えただけと判って、ぎくりとした。


 再度認識して目を凝らすと、毛髪が殆ど縮れ落ち、頭皮は所々で剥けて下の白い皮膚が覗いている。大火傷を負い、酸鼻を極める痛ましい姿の人間と映った。

 しかも、肋骨や骨盤は薄い皮膚が張り付いているだけで痩細り、全身ガリガリの状態である。


 息を呑んで立ち止まり、一点を凝視している夫が気遣わしかったのか、虚ろな視線を前方へ泳がせた妻の両目も、対象を捉えた。


 前方の怪人物は再び顔を向ける。――…………すると佐奈絵は、肩で荒く息をして喘ぎ始めた。

 明らかな妻の異変を感じ取った研作は、訊ねた。


「どないした? 今度はっ」


 彼女は打震えながら引き攣る擦れ声で、相手を呼んで確認した。


「…………お母ちゃん…………?!」


 夫は我が耳を疑い、ええっ? と言って、妻の横顔をまじまじと見る。


「佐奈ちゃんさぁ…………佐奈ぁ~~~……」


 相変わらず全身を震わせて、悪戯を咎められた子供みたいに詰まらなそうな、抑揚のない口調で怪人物は告げた。


「 あたし……地獄へ落っこっちゃったよぉ………… 」



 彼自身が両親の姿と信じる男女の映像は、響也の目前から忽然とかき消えた。

 周囲は急転直下、暗闇に変化。両耳元は風切り音と混ざって大勢の人間が喚きたて、搔き毟《むし》る様な騒音で包まれ出した。


 最初ささやかな音が急遽ボリュームを上げた感じで、忽ち鼓膜を劈《つんざ》く絶叫となる。


「なんだ、これぇ――――――っ!?」


 動揺した彼は思わず体を折り曲げ、耳を塞いで目を閉じるが、騒音は遮断できなかった。


 (寒い!)

 上体を起こして薄目を開けると、自身は猛吹雪の中ですっかり孤立していた。

 耳朶を舐る阿鼻叫喚のるつぼは、耳を凍らせる暴風の音へと変化し、続いて顔と全身を刺す痛みが襲い掛かってきた。


「寒うっ?! 幻覚だぁ~~~! 幻覚、幻覚っ幻覚!! うっそだろォ――――!?」


 響也は必死で自分に言い聞かせた。これが現実の筈は無い。ついさっきまで穏やかな環境だったものが、一転してブリザードの只中へ放り込まれるなど、有り得ない。


 だが冷たい風は骨の芯まで凍てつく程リアルな体感で、息は真っ白。歯の根が合わず関節は硬直する。

 身を屈める事も出来なくなった。


 全身が樹氷と化して顔も氷の結晶に絡まれ、目も等しく無理やり開こうとしても、睫毛ごと瞼が凍結したのか、どうしても開けられない。


 (ああっ、顔を庇うことも出来ねぇや。俺はこのまま…………)


 前方へ倒れかかってぼんやり思った瞬間、視界に回廊板目と欄柱の脚が迫って来ていた。

 顎を胸元へくっつけて、反射的に顔面から突っ込むのを避けた。


 わあっとのめって、頸部を欄干へ押し付ける形でランディングを果たす。彼は廊下に頭頂部を擦りながら、からくも留まる事ができた。


「お、……おおっ?!」


 平桁《ひらげた》へ取りすがりやっと顔を上げると、中庭が目に飛び込んできた。


 周囲を見渡せば、左右元通り道場の回廊が伸びている。後を振り返ると、祖父の入った部屋の入口だけが暗黒のベールで閉ざされたままだ。


 (戻ってこられたのか!? ……一体全体なんだったんだ、今までのはッ)


 訳が解らない。ようやく帰って来たと思ったら、誰も居ない。


「まさか、皆で中へ入っちまったのかよ?」


 抱いた不安を意識せず呟いた時、響也は母屋で騒ぐ声を聞きいて、ハッと振り向いた。



 鞍馬凜子の母・佐奈絵は表情を歪めて、ただ呻きと似た泣き声を溢しつつ涙を流し、ぶるぶると体を震わせ近づく事も出来ない。


 夫の研作は、彼女を支えながら「お前、お義母さんは……三年前のあれで……」言いかけて記憶の場面を手繰り寄せると、それ以上は思考が凍結した様に黙り込み、全身赤黒い潰瘍で覆われた憐れな姿の老婆と、妻の双方を見比べる。


「佐奈ちゃ~ん助けてよぅ、ねえ……お母ちゃんどうしていいのか分んなくなっちゃった」


「…………どうやって?」


「寒い 寒い、さむい、ここさむいよぅ……」


「だから……どうやって助ければいいのか、教えてよォ~~~?!」


 佐奈絵が絞り出す様な涙声でそう訴えた次の瞬間、凄烈な勢いで茶の間の襖を蹴破り、飛び込んで来た者の姿があった。


 『 くだらぬ癲狂《てんごう》は止めい!! 』


 裂帛の怒声を放ち、彩は緋袴姿のまま『霊剣・霧刃』を引き抜くと、左斜め下から一閃させ、異形な怪人物の耳下から反対耳上へ掛けての頭部を、逆袈裟で刎ね飛ばした。


 椀状の斜め上半分が勢いよく壁に叩き付けられると、切り口がそのまま貼り付いて、赤い痕跡を切れぎれと擦り付けつつ、廊下へずり落ちる。


「ああ、あああっ、ひいぃ~――――――――っ!!」


 その有様、もう片方の胴体から噴出する夥しい流血を見た凜子の母は、泣き叫びながら上体を捻って身もだえし、夫は慌てて愛妻を腰辺りで抱き支えた。


 赤黒い躯から奔騰したせいか、やたらと映える真紅の血飛沫である。


 (すわ、更なる恐怖を呼び覚まされたか)

 彼女の悲鳴を聞きそう考えた少女は、敵が凜子の母から見て、縁者の姿をしている事実を知らない。


 すると、壁に凭《もた》れ掛かっていた血塗れの胴体がスックと起き上がり、玄関方向へぴょんぴょんと小走りで飛び跳ね、移動し始めた。


「――うぬっ!」


 振り返り、逃げて行く鼻から下半分の胴体を屹《キッ》と睨《ね》め付けた少女は、身を翻すと忽ち駆け寄って、その腰椎《へそうら》を思い切り蹴りつける。


 腰上から逆海老状に湾曲した胴体は、上半身が廊下へ叩きつけられた。と同時に、黒い煤の混ざった汚水となって広がり、勢い余って拗くれ上がった下半身も廊下へ落ちた瞬間、バケツの中身をぶち撒けたかの如く液状に崩れた。


「うおわああっ!!」


 背後で男性の悲鳴が上がり、少女は再び振り向く。


 生え際が半透明で、殷紅《あんこう》色をした一つ目の怪物が、廊下から幾つも立ち現れている。

 その内一匹が大蝦蟇口から獰猛な牙を剥き出し、夫妻へ食い付かんばかり威嚇している場面を見た。


「箭《ヤ》ッ!!」

 鋭い気合いと共に、彩の投じた棒手裏剣が化け物の頸部へ深々と突き刺さる。


「 ギャオォオォォオォ――――――――ッ!! 」


 敵は夥しい血液を火花さながら噴射させて首を捩《よじ》り、天井を振りさけ見つつ、凄まじい獣の絶叫を上げた。


 併せ、大刀を左右逆風で薙ぎ払い、幾多の首を茎断ちして攻め寄せていた少女は『霧刃』を唱歌《しょうが》の声もろとも拝み打ちで振り下ろし、仰向いた魔物の顔面を俎板上の鯉よろしく叩き斬る。


 ところが断ち割られた両際から新たな牙が突き出して、彩の大刀を〈ガキリ〉と、虎ばさみさながら咥え込んでしまった。


 少女は一瞬手を止めて注視し、矢庭腕(かいな)に強い力を込めて、刃を下へ沈めた。

 食い込んだ肉の周囲に血液が噴き溜まり、痙攣共々枷が緩んだと見るや、一気手前へ引き抜く。


 妖《ばけ》物は断末魔の低い悲鳴を漏らすと、力尽きた様に液状化して水が板間へ広がった。


 事ともせずそれを踏み付け廊下を見渡すと、続いて泡が沸き出す按排でそれぞれ二つ丸目に穴だけの鼻を具えた顔が、壁の各所から浮き上り、大きな瞳をぐりぐり動かし始めた。……


 対する凜子の父親は、妻の頭を覆って抱き何も見せないよう遮断し、自身は周囲をただ茫然と眺め廻すだけで全く動きを止めていた。最早、この二人とてどうなるか知れない。


ありがとうございました。

ブックマーク登録・評価をして頂けると励みになります。


引続き、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。