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33 記憶

「彩ちゃん。『天帝』の名前は知ってる? 私たち人間と同じ呼称を」


「記紀によりますれば、天之御中主大神《あめのみなかぬしのおおかみ》。眞言密教経典に於いては大日如来で御座います」



「何とかできるんだろうな、この事態は!!」


 激しく畳を叩いて、響也は祖父へ詰め寄る。今まで我慢してきたが、凜子の両親を巻き込んだ事で感情を爆発させた。神社内も安全とは言えず、これが何時まで続くのかも分からない。


 祖父は暫し真剣な面持ちで沈思した後、キッパリと言った。


「 明日からは風呂も、お彩と入って見張らなければならん 」


 今の孫に飛ばすジョークとして、かなり刺激的な内容だった。


 響也は床の間の大きな壺を振り上げ、叩き付ける素振りを見せた。祖父はびっくり仰天し、左手へ例の巻物を翳しながら、懸命に宥めすかす。


「お、落ち着きなさい響也っ……コレを見よこれ! やはりこの巻物は、ご先祖であらせられる土御門朔夜様からの警告だったのぢゃよ、うん!」


「ジイさんは読めるのかよ? その書いてある内容がっ」


「読めるっ読めるとも! ちゃんと説明してあげるから。ほ、ほれ壺を下ろさんかい。な」


「ぬふう~っ」と響也は鼻から息を吐き、いったんは憤懣を抑え壺を自分の傍らへ降ろす。


 不信感に眉を寄せながらも、胡坐をかいた両膝の上へ手を置いて、聞こう! と言った。


 ちょうどキッチンから運んだ茶と菓子を据え引き戸を開けた彩は、主君の勢いに眼をぱちくりさせ驚いた様子だったが、指を付いて頭を下げ静々と進み入る。


 刀痕も明瞭な、紅葉の彫り込まれた鎌倉彫丸盆を置く。膝行しつつ空夜翁、そして響也の前へ茶托上の其れを差し出して後戻りすると、何事もなかった風で座り直した。


「まったく。……その古備前胴紐円飾花活けはな、桃山時代のお宝なんぢゃぞ」


「骨董同士で砕け散るのも、乙なもんじゃね?」


 ボソリと祖父が愚痴れば、孫も透かさず切り返す。

 響也の気持ちからすれば、今日の出来事は両親の事も係わっている。


 ――二人が生身じゃなく、曖昧な映像だったのは、俺に両親の記憶が無いせいだろうか?


「まあ、儂とても今回の様な事象と遭遇するのは始めてぢゃ。致し方ない」


 祖父は呟き、自身も困惑している胸中を覗かせ、語り始めた。


「お前も事態は十分理解できたであろう。あれは物の怪や動物霊とか言った類の、生易しい相手ではない。本来は神仏の摘出。『人之上の〝カミ〟』とも言うべき貴き存在が、道を誤った挙げ句【禍《まが》つ神】として変転した姿ぢゃ。ご先祖、朔夜公も、それらを度々調伏した事が口伝として残っているのは、お前が小さな頃から話して聞かせた通りぞ」


 《 さくや 》の名が出た途端、彩は表情を引き締め、畏まって瞑目した。


「してな、これも飽くまで口碑じゃが。朔夜公を賛仰し、身辺へ寄り添う影の存在があったともいう。巻き物に書かれておるのは、お彩こそがお前を護る光であり、楯と矛であるという証し。言わば、お墨付きぢゃ」


「変じゃねえか? 大切なキーパーソンなら、どうしてご先祖様は彩のことを、もっと色々な伝承や具体的な記録で残さなかったんだ」


「それならば、ほれ。代々我が家へ伝わる古文書にもちゃんと…………」


 祖父はおもむろ〔天正実記〕と題された古臭そうな本を懐中から取り出し、疑問を呈する孫へ示した。


 (おおっ彩のこと、しっかり文書が残ってんの。当たり前か)


 内心唸った孫の前でぱらぱらと捲って、見開きのある部分を指差して言う。


「この辺り『一女彩雷霆哮、相生降刻、因此身以消失』――――彩なる娘が雷鳴諸とも時間を下り、残すところなく消えた。の記述部分と、完全一致しておるぢゃろ」


「マジでっ!? たったそんだけなのかよ!」


 少女と符合する(らしい)記述は、僅か半行程度の文量でしかなかった。



「なんて奴等だよまったく! とんでも無ぇエレーコトしてくれたぜっ」


 憤激した響也は、廊下を強く踏み鳴らして歩きながら、大声で言い放つ。


「あの、ご主君さま」


 彩は響也の背中から強い剣幕を感じ、気後れしながらも諫言する。


「ご先祖さま方の事。あまり悪し様に仰いますな」


 その後小さく、心情を付け加えた。


「……彩はとても悲しゅう御座います…………」


 『 ウルサイ! 』


 彼女はビクッと首を竦め体を強張らせると、その場へ跪いて口上を控え、謝罪の意を表した。


 (人を人とも思わない扱いをしておいて、平然としている奴。それを当然と受け入れちまってる変なくノ一も、無性に腹が立つぜ)

 もはや響也は、彩の忠義心から出た振る舞いすら、卑屈な奴隷根性の表明としか受け取れない。


 彼の考え方からすれば、同情すべき被害者である筈の少女へも、苛立ちが向けられ始めた。


「それと、今後ああいった類の話は絶対禁止だからな」


「――――は、はい?」


「死んだらどうこうって話しだよ。ああいうのは、ガチで受け取る奴がいるっ。凜子さんも、雰囲気が危なっかしくなって来てただろ。何せ芸術家だからな」


「は、ははっ」


「変な連中が集まって来て、教祖なんぞに祭り上げられたらどーする」


「……」


「考えてみればあのお化け共だって、お前が来てから突然わらわら襲って来始めたんだぞっ! 何か関係あるんじゃねーのか?」


「!」


 虚を突かれ顔を上げた彩は、怯えた表情をのぞかせ、忽ち額衝《ぬかづ》く。


 足元へ畏まる少女を無言のまま見ていた響也は、小さく溜息を洩らして訊ねた。


「あのさあ。…………キミ自身は、一体どう考えてるんだよ?」


 言葉の変化に胸が凍りつき、彼女は身を縮ませた。


 『お前』と呼ばれた時よりも、ただ叱り置かれた時よりずっと冷ややかなものが心へ流れ、急に御主君の側から大きく退けられた気持ちがする。


「家族や友達も居ない見知らぬ時代へ、たった一人送られて。他人を守るだけの目的でさ」


 彩は動揺する己を抑え込む。小刻みで震える声を気取られぬよう細心の注意を払い、噛み締めながら返答した。


「それは……それらは、いずれも義理の筋と存じまする。…………されど、忍びは主筋こそ命。主命が全て、と心得まする」


 (やはりな)そう響也は思った。


 主の命令が絶対という、過去の封建的絶対君主制の時代を生き抜いた彼女にとっては、仕方の無い事。

 何となくだが、分かってはいた。


「そういう答えを、キミの『師君さま』とやらはせっせと仕込んだワケか」


「!!」


「ほんっと、操り人形そのものなンだ。アホらしくて、とても付き合ってらんねぇぜ!」


 それを聞いた時、彼女の平衡感覚は失われ、周囲の光景が大きく歪んで見えた。

 響也は振り向きもせず去って行く。


 ――ご主君さまっ


 彩は幾度も胸懐で呼びかけ、見えないその背中を追い続ける。


 瞬間、強い吐き気を催し「うぅ――っ」と低く呻きながら、簀子の高欄へ取りすがって身を乗り出した。

 吐こうとしたが、平素一食しか摂取しない彼女の胃には何も入っておらず、ただ激しく込み上げる空気を押し出す。彩は暫くその場で踞り、取り乱した心を平静な状態へ戻そうと、瞼を閉じ懸命に呼吸を整えた。


 小さく肩を上下させ喘ぎながら、架木を掴み顔を上げ目を開く。口元を押さえていた右手へ視線を移したところで、驚愕した。


 (何故っ……ああ!)

 向こうが透けて見えていた。指が、手も半透明の状態である。


 慌てて確認した左手も同じであった。少女は再び激しく混乱し、心臓が瀑々と締め付けるような動悸となって、胸を打ち鳴らした。


 総身に粟を生じ、背中を冷たい汗が伝う。


 ――このままでは、ご主君様を側でお守り申し上げる事が、出来なくなってしまう!!


 ( お彩、頼むぞ。我が子孫を )


 彩は、自らが生まれ育った世界と全く変わることなき虫の音。その中で、旧主であり敬愛する師・土御門朔夜の懐かしい声を聞いた。


 ――ひょっとしてこのまま復れるかもしれない…………師君様の御元へ。


 しかし、直ぐさまその甘味な願望は打ち消した。


 ( 否、否! 違うっ!! あの御方はこの段を、一言も仰有っていない。復命などあり得ぬっ 此は違う! )


 それは躰や意識までも霧散し、自我が失われて行く、根源的な怖れを伴う現象だった。



          *          *          *


 紅蓮の炎と熱風 黒煙、血と灰燼に噎せぶ――――最初の記憶だ。


 けたたましい断末魔の叫び、焼け焦げた木の匂いと混ざり、炎の爆ぜる激しい音。灼熱地獄で餓鬼・亡者を追う獄卒等の怒号も、かようなものであろうか。


「嫌、いやっ……もう聞きたくないっ」


 わたしはひたすら体を小さくし、耳を塞ぐ。



 ( お彩 )――――  ………… 声 ………………



 次の瞬間、私を取り巻く空気は一変し、桔梗や撫子が咲き乱れる美しい庭面。


 周りを塀が囲む。


 萱葺きの主屋と瓦葺き付属屋。


 繋ぎ屋から南土塀と表門・主屋南庭へ通じる中門、その池庭近く。


 幼い日の自分が、其処で立っていた。


「 お彩 」


 背後から優しい御声が掛かり、わたくしは振り返る。


 いつ如何なるときも、畏敬と崇拝の眼差しの先に、あの御方の姿があった。


「 霊剣『遍照《へんじょう》霧刃』。伯耆《ほうき》国安綱鍛造である。これを己の魂と定め、錬磨致すがよい 」


 疋田景兼殿より新陰流指南を、新義言家覚舜上人より楠流軍学と唐五大兵書を学んだ。


 師君様の楯となるべく、わたくしはひたすら精神能力の鍛錬を自らへ課した。


 元よりあの御方は精強たる〝式〟を使役され、御自らを防禦《ぼうぎょ》して余りある力をお持ちであらせられ、何時も役立たずなわたくしは、無力感に苛まれ続けた。護るどころか守られる一方であった――――

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