第5話
桜来は白装束の裾を押さえ、神官たちの足跡を踏むようにして斜面を登っていた。
吹雪に遮られ、数歩先を行く神官の背中さえ白く霞む。
風に身体を押し戻されるたび、足を雪へ深く沈めて踏みとどまる。
空と雪原の境目は失われ、周囲には白一色の景色が広がっている。
先頭を進む玄斎は振り返らず、一定の歩調で山道を進んでいく。
同行している神官たちは桜来を囲むように前後左右に分かれ、無言で歩いている。
桜来は時折、帯辺りに手を添え、内側に隠した薬入れの感触を確かめた。
すでに死を覚悟したつもりだったが、神殿へと一歩近付くごとに身体は強張っていく。
山道の両側では、雪をかぶった針葉樹が風に軋んでいる。
人の住む場所はとうに見えなくなり、振り返っても屋敷も集落も見つけられない。
引き返したいと思っているわけではない。ただ、これが生きて歩く最後の道になるのだと痛感していた。
冷気が白装束を通り抜け、肌から体温を奪っていく。
吸い込んだ空気が喉の奥を刺し、呼吸をするたび胸が痛む。
雪に沈んだ足先の感覚は、もはや薄れている。
「桜来様」
不意に名を呼ばれて、足元を見ていた桜来は反射的に顔を上げる。
「はい」
「まもなく白狼神の神殿に到着します。今一度、お心の準備を」
「分かりました」
桜来は小さく頷いた。
「神殿に入られたあとは、白狼神の声を聞いても、決してお答えになりませぬよう」
玄斎は歩みを緩めることなく、肩越しに警告を告げる。
「もし返事をすれば、どうなるのですか?」
「心を奪われます。白狼神は、言葉によって人の心へ入り込むのです。奴は人の恐れを見抜き、その者が最も望む言葉を与えます」
「白狼神は私の命を奪う前に、心まで惑わせるということですか?」
玄斎の言葉を聞きながら、桜来は強風に白装束の胸元を押さえる。
「その通りにございます」
玄斎の横顔には、哀れみとも慈悲とも取れる穏やかな表情があった。
「生贄となる者に、なぜそのようなことをするのでしょうか?」
桜来は眉をわずかに寄せるが、疑問を強く表に出すことはしなかった。
「桜来様、邪神の振る舞いに理由を求めてはなりません。ただひとつだけ言えることは、白狼神は、人の弱さを弄ぶことを好むのでございます。恐ろしいでしょうが、これは桜来様をお守りするための忠告でございます」
「分かりました。覚えておきます」
「白狼神の神殿が近うございます。これよりは先、余計な言葉をお控えくださいませ」
「はい」
桜来は感情を押し隠すように、静かに視線を伏せた。
***
玄斎は立ち止まり、杖の先で吹雪の向こうを差し示した。
桜来は目元を覆っていた袖を下ろし、白い闇の奥へ目を凝らす。
吹雪の奥から、山肌と見紛うほど巨大な建物の輪郭が現れた。
神殿の屋根も柱も厚い氷に覆われ、長い年月、人の手が入っていないことを物語っている。
神殿は雪山の一部へ沈み込み、氷の中に封じられているように見える。
石段の半ばまでは雪に埋まり、その先に黒ずんだ扉がそびえている。
神官のひとりが手早く雪を払い、氷に閉ざされた石段を露出させていく。
一行は巨大な扉の前で足を止め、神官たちが左右へと分かれる。
風とは異なる低い音が地面の奥から響く。
「この紋章が、白狼神の封印を示しているのですね」
桜来は扉の中央に刻まれた紋章に視線を止める。
神殿は桜来が想像していた祭祀の場というよりも、牢獄のように見えた。
「左様でございます。五本の楔こそ、雪の国を邪神から守る封印の要。神殿へ入られましたら、決して紋章には触れぬようにご注意ください」
神官たちは扉の前へ道具を並べ、決められた位置へと立つ。玄斎が祝詞を唱えると、扉の呪紋がわずかに浮かび上がった。
この奥に人を食らう邪神がいるのだと考えると、足が竦む。
桜来は神殿の大きさよりも、誰も近づかなくなってからの年月の長さに圧倒されていた。廃墟のように朽ち果てかけている神殿は、厳かさよりも不気味さが際立っている。
桜来は五本の楔の紋章を黙って見上げていた。
やがて、玄斎が厳かに口を開く。
「桜来様、祭壇へお進みください」
神官たちが重い扉を押し開き、桜来を先に進ませる。
ここへ入れば、もう人の暮らす場所へ戻ることはない。
そのような考えを払拭するように、桜来はしっかりとした足取りで、言われるまま祭壇へと歩みを進めた。
外の吹雪は扉が閉じると遠のき、神殿内部には重い静寂が満ちた。
桜来は暗い通路に足を踏み入れ、一歩一歩、足元を確かめながら奥へと向かう。
神官の足音が何度も反響し、実際より多くの人間が歩いているように聞こえる。
桜来の衣擦れさえ、広い神殿の中ではやけに大きく響く。
玄斎は誘導するように桜来の一歩前を歩む。迷うことなく神殿内部を進み、やがて最奥の祭壇で足を止めた。神官たちは祭壇の周囲に銀の器と短い刃を並べる。
桜来は促されるまま、祭壇の中央へ立つ。




