7話 変わった眼差し
邸を空けてばかりだったロナルドは、リリアーヌが来てからは当然のように邸で寝起きするようになった。
彼の仕事が落ち着いたのか、リリアーヌが邸に来たからなのかヴィオレッタにはわからなかった――いや、考えたくなかったのかもしれない。
リリアーヌが現れてからの彼女は、湧き上がる感情に蓋をするかのように静かに過ごした。
その日の朝、柔らかな日差しが秋の色に染まり始めた侯爵邸の庭園を照らしていた。
「リリアーヌ、そこに段差がある。足元に気を付けて」
「ありがとうございます」
優しく差し出されたロナルドの手を、リリアーヌは嬉しそうに握った。
「リリアーヌは、お優しいロナルド様が大好きです」
ふんわりとしたピンク色のドレスを纏って無邪気に笑うリリアーヌを、ロナルドは愛しげに見つめた。
寄り添って歩く二人を、ヴィオレッタは二階の窓から見下ろした。
窓硝子に触れる白い指先は、微かに震えている。
ヴィオレッタは、彼と二人で歩いたのはいつだったかと考え――もうはっきりとは覚えていないことに気が付いた。
――『ヴィオレッタ嬢。君には白い百合の花が良く似合う』
婚約して間もない頃、ヴィオレッタはとても幸せだった。
優しい光を宿す榛色の瞳には、彼女しか映っていなかったはずなのに――
(ロナルド様……)
あの夏の日に、優しく笑ってくれた彼はどこに行ってしまったのだろうか。
ヴィオレッタは、滲んだ涙が零れないように少しだけ上を向いた。
そのとき、「まあ素敵!!」と甘く甲高い声が響いた。
「リリアーヌ、お前のために植えさせたんだ」
ヴィオレッタが視線を向けると、そこには淡いピンク色の薔薇園が広がっていた。
(どうして……)
菫色の瞳が見開かれた。
そこには、つい先日までヴィオレッタの小さな花壇があったはずだった。
夏に、白百合が咲く場所だったのに――
「ロナルド様、リリアーヌはとっても幸せですわ」
「その笑顔が見たかったんだ……お前のために、もっと薔薇を増やそう」
「大きな薔薇のアーチを造らせようか」と笑うロナルドの胸元に、リリアーヌは体を寄せて見上げた。
(リリアーヌさんは、お腹に赤ちゃんがいるんですもの……ロナルド様がお優しくされるのは当たり前のことだわ)
グリーンのドレスの裾を、ヴィオレッタは小さく握り締めた。
そして、幸せそうに見つめ合う二人の横顔に、遠い日の自分と彼を思い出して目を細めた――
「あ……」
ふいに交わったロナルドとの視線に、ヴィオレッタの肩が揺れた。
柔らかだった榛色の瞳は、一瞬にしてまるで刃のように冷たい光を宿した。
彼は射抜くような鋭い眼差しでヴィオレッタを見返すと、リリアーヌを守るように抱き寄せて背を向けた。
瞼を伏せたヴィオレッタは、首に下げたルビーのネックレスをそっと握り締めた。それは、夏にロナルドから贈られた宝石だった。
(どうすれば、わかってもらえるのかしら……)
リリアーヌの陰口の一件から、ヴィオレッタとロナルドの間には深い溝ができてしまっていた。
ヴィオレッタはリリアーヌのことを悪く言ったことなど一度もない。むしろ、邸の誰よりも親切にしていた。
それなのに、ロナルドは陰口を吹聴したのはヴィオレッタだと信じていたのだ。
「ロナルド様、少しお時間をいただきたいのです」
「悪いが、これから用があるんだ」
ヴィオレッタがどうにか歩み寄ろうとしても、彼は理由をつけては彼女から距離を置いた。
『リリアーヌさんの子が無事に産まれたら――もしその子が男の子だったら、私はどうなってしまうのかしら……』
冷ややかな義母と距離のある義父。
夫のロナルドからは毎日のように避けられている。
ヴァルデン家の嫡男が生まれれば、“務めの果たせない妻など不要だ”とばかりに実家に帰らされてしまうかもしれない。
けれど、伯爵家にはもうヴィオレッタの居場所などなかった――
(わたくしは、まるで厄介者ね……)
ヴィオレッタは、深くため息を零した。
部屋で一人考えに耽るヴィオレッタを、メイドたちは心配そうに見つめた。
「旦那様、奥様が早朝からお作りになったスープでございます。ぜひリリアーヌ様とお召し上がりになってくださいと仰せでした」
「……悪いが、食欲がなくてね」
「君たちで分けてくれ」と低く返したロナルドに、メイドたちは眉を落として下がる他なかった。
その日の昼食――
ロナルドとリリアーヌの二人は庭園の東屋で昼食をとった。
銀のプレートに並べられたのは、新鮮な野菜やハムを挟んだサンドイッチに、温かなポタージュ。そして、カットされた瑞々しい果物――どれもリリアーヌの好物だった。
「リリアーヌ、口に合うか」
「はい。とても美味しいです」
「ロナルド様もどうぞ」と摘んだ果物を無邪気に差し出したリリアーヌに、目を細めたロナルドが口を開ける。
「ロナルド様、いかがですか?」
「とても美味しいよ……もう一ついただこうかな」
笑い合う二人に、控えているメイドたちは冷めた視線を密かに交わし合う。
けれど、リリアーヌの陰口を叩く者は一人としていなかった。
皆、これ以上ヴィオレッタが責められるのを見たくはなかったのだ。
けれど、何日経っても――
ヴィオレッタに向けられるロナルドの冷たい眼差しは、変わることはなかった。




