6話 身籠った愛人
夫に伴われて現れたのは、淡い金の髪に大きな青い瞳の美しい娘だった。
白いドレスを纏ったその清楚な姿を、ヴィオレッタはまるで天使のようだと思った。
「はじめまして、ヴィオレッタ様。リリアーヌと申します」
響いたのは、鈴を転がすような愛らしい声。
ロナルドに優しく促された彼女は、おずおずとヴィオレッタの前に進み出ると初々しい礼をした。
(この方は、いったい……)
ヴィオレッタは、リリアーヌの膨らんだ腹部から目が離せなかった。華奢で細身のためそこだけがひどく目立っていて、誰が見ても妊娠していることが分かるほどだった。
ヴィオレッタは菫色の瞳を見開き、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
「リリアーヌは私の子を身籠っている。……両親に許しはもらっている」
低く放たれたロナルドの言葉に、ヴィオレッタは打ちのめされた。
――『あなたに子供が出来ないんじゃ、妾に産ませるしかないかしらね……』
浮かんだのは、そう言って薄く微笑んだ義母の顔だった。ヴィオレッタは、まるで足元が崩れていくように感じた。
「ヴィオレッタ様、わたしなんかが……ごめんなさい……」
胸元で小さな拳を握り、リリアーヌは瞼を伏せた。その細い背中に、ロナルドはそっと触れた。
見つめ合う二人の姿に、まるで恋人――いや、仲睦まじい夫婦のようだとヴィオレッタは思った。
「――リリアーヌは一人で困っていたんだ……放っておけなくてな」
ある下級貴族の私生児だというリリアーヌが邸を追い出されて路頭に迷っているとき、居合わせたロナルドが助けたそうだ。
そして不憫な彼女の世話をしているうちに、そういう関係になったと――
いつから始まった関係なのか口にしない彼らに、ヴィオレッタは尋ねることすらできなかった。
「リリアーヌは可哀想な娘なんだ。どうか優しくしてやってほしい」
ヴィオレッタは、深く頭を下げた夫を責めることが出来なかった。
しかし、このときばかりは、ヴィオレッタの胸はナイフで抉られたかのように痛んだ。
「しっかりしている君と違って、か弱いリリアーヌは一人で生きられないんだ」
そのロナルドの言葉に、ヴィオレッタは胸をひどく締め付けられた。
――『ヴィオレッタさんは、もう大きいんだから一人で何でも出来るでしょう?』
子供の頃、継母からよく言われた言葉だ。
ヴィオレッタは子供の頃に実の母を亡くし、父親の関心も継母の愛情も、すべては新たに生まれた弟や妹たちに注がれた。
彼女はずっと愛されたかった。
そして、暖かな家庭を築きたかった。
真心を尽くし、彼を信じて待っていれば、いつか夢が叶うのだと信じていた。
(どうして……こんなことに……)
けれど、ヴィオレッタはおくびにも出さなかった。
必死に、不憫な境遇だというリリアーヌの立場を考えたのだ。
「リリアーヌさん、きっと大変な想いをされたのでしょう。どうかここで元気な赤ちゃんを産んでくださいね」
ヴィオレッタは精一杯微笑んでそう言うと、ドレスの裾を翻して部屋へと戻った。
そして、寝台に伏せて一晩泣き続けた。ロナルドが様子を見に来ることはなかった。
『リリアーヌさんは、きっと大変な苦労をされたんだわ……わたくしがこのまま子を産めなければ、リリアーヌさんの子がヴァルデン侯爵家の跡継ぎとなる。この邸で気兼ねなく過ごせるよう、大切にして差し上げなくては』
(わたくしは、子ができない体なのかもしれない……仕方ないわ)
ヴィオレッタは涙を飲んで、そう自分に言い聞かせた。
そして、侯爵邸で暮らし始めたリリアーヌを気遣い、毎日親切に声を掛けた。
「この腹巻きは南国のシルクで作られていて、夏でも使えるそうなの。体を冷やさないようにね」
「ヴィオレッタ様、ありがとうございます」
いつでも可憐でか弱い雰囲気のリリアーヌの眼差しが鋭くなったことに、背を向けたヴィオレッタは気付かなかった。
そして、客室で寝起きしていたリリアーヌのために、ロナルドは美しい部屋を用意した。
「リリアーヌ、大切なお前のために私がすべて揃えたんだ」
「ロナルド様……わたしなんかのために、ありがとうございます」
「子どものために空けていた部屋だから、お前の部屋も同然だ。気にせず使うと良い」
リリアーヌには、南向きの日当たりの良い広い部屋が充てがわれた。
淡いクリーム色の壁紙は剥がされ、リリアーヌのために薔薇色に張り替えられた。カーテンも家具も調度品もリリアーヌの好みに合わせてロナルドが用意した。
この部屋は、正妻であるヴィオレッタが産む子のためにと空けられていたはずの部屋だった。
心優しいヴィオレッタを慕っていたメイドたちは「愛人の分際で……」「私生児のくせに侯爵家に入り込むなんて」とリリアーヌの陰口を叩き、それを聞いたヴィオレッタは彼女たちを諌めた。
けれど、陰口を耳にしたリリアーヌは「ヴィオレッタ様は、やっぱりわたしがお嫌いなのかしら……わたしが卑しい生まれだから」と青い瞳に涙を一杯溜めてロナルドを見上げた。
ロナルドは「子供も産めないお前のために、彼女がヴァルデン家の跡継ぎを産むんだ! 正妻だからと偉そうに振る舞うな!」ときつく叱責した。
彼から声を荒げられたのは、これが初めてのことだった。
涙を浮かべたヴィオレッタが何を言っても、ロナルドはろくに聞こうともしなかった。




