5話 愛の証
「ヴァルデン侯爵夫人、ようこそお越しくださいました」
「お初にお目にかかります。店主のオルシーニと申します」と深々と一礼した中年の男性に、ヴィオレッタは「どうぞ楽になさって」と微笑んだ。
宝石店『アンバー』の特別室に通されたヴィオレッタは、案内された革張りのソファへと腰を下ろした。
「本日は、どのような宝石をお求めでしょうか」
「夫の母の誕生日祝いの品を探しているのです」
「……それでしたら、こちらのブローチはいかがでしょうか」
白い手袋で差し出されたのは、ガーネットのブローチだった。
「まあ……とても素敵ですわね」
花の細工が繊細に施された金細工のブローチには、大きな赤い宝石が輝いている。
(でも、お義母様は気に入ってくださるかしら……)
こういうときに、夫が隣にいてくれたら義母の好みが聞けるというのに――
瞼を僅かに伏せたヴィオレッタに、店主は笑いかけた。
「先代の侯爵夫人は、赤い宝石をよくお求めでしたから……きっとお気に召していただけるかと存じます」
「そうだったのですね」
義母とあまり交流のなかったヴィオレッタは、店主の言葉に安堵したように笑みを零した。
「こちらのブローチは、新作の一点物なのです」
「まあ……それでは、こちらを包んでいただけるかしら」
「畏まりました。包装は何色が宜しいでしょうか」
代金をその場で支払ったヴィオレッタは、美しく包装された赤い小箱を手に店を出た。
(きっと、お義母様も気に入ってくださるわ……)
「っ……ヴィオレッタ?!」
聞き覚えのある声に、ヴィオレッタは顔を向けた。
「ロナルド様?!」
「……こんなところで、奇遇だな」
不自然に立ち止まったロナルドは、どこかぎこちない笑みを浮かべている。
「今日は、どうなさったのですか?」
「ああ……ちょっと買い物にな」
ロナルドから返ってきた言葉に、ヴィオレッタは嬉しそうに微笑んだ。
「ロナルド様も、お義母様の誕生祝いを買いに……? わたくしは、ガーネットのブローチを選びましたの」
ヴィオレッタの後方に佇む騎士とメイド。彼らの冷めた視線に、ロナルドは密かに冷や汗を流した。
その長身にすっぽりと隠されてはいるものの、彼の背後にはリリアーヌがいたのだ。
「ロナルド様? 入られないのですか?」
不思議そうな顔のヴィオレッタに、ロナルドは笑みを浮かべた。
「ああ……ヴィオレッタを見送ってから入るよ」
「さ、馬車に乗ってくれ」と優しい声音で告げたロナルドに、ヴィオレッタは小さく笑った。
「それでは、お先に失礼いたします。お仕事、頑張ってくださいね」と微笑んだヴィオレッタに、ロナルドは笑って手を振った。
侯爵家の馬車が通りから消えた瞬間、ロナルドは大きく息を吐いた。
「すまなかった。リリアーヌ、行こう」
手を差し出したロナルドの左腕に、リリアーヌはまるで縋り付くように寄り添った。
『アンバー』の高級な内装と上質な空気に、リリアーヌは視線を巡らせた。
「ヴァルデン侯爵様、ようこそお越しくださいました。先程奥様もお見えになりましたよ」
「……ああ」
「ヴァルデン侯爵様、そちらのご令嬢は……」
リリアーヌに向けられた視線に、彼は小さく咳払いをする。
何かを察したのか、店主は一瞬だけ気まずそうな顔をした。
「……本日は、どのような宝石をお求めでしょうか?」
「ええと、母と――妻への贈り物を。君も、一緒に選んでくれるだろう?」
そう尋ねられたリリアーヌの青い瞳が、僅かに見開かれた。
黙り込むリリアーヌに、ロナルドは少しだけ焦ったように彼女の背に手を添えた。
「そうだな……母にはこのネックレスを……妻には――」
「ロナルド様、きっとこれが良いと思います」
リリアーヌの声に、ロナルドは母とヴィオレッタにお揃いのルビーのネックレスを選んだ。
怪訝な顔を隠せなかった店主に、リリアーヌは気付かないふりで小さく笑った。
その後、二人は街外れの白い邸に戻った。
約束の宝石はリリアーヌに贈られず、店を出たときから彼女の愛らしい顔は曇っていた。
「愛しいリリアーヌ、どうか許してほしい」
ぷいと顔を背けるリリアーヌの機嫌を取るのに、ロナルドは必死だった――
「私はこの領の侯爵だ。……貴族には、体面というものがあるんだよ」
「……仕方ありませんわ。わたしはどうせ、隠されるような関係の存在なんですもの……」
「すまない、リリアーヌ……今度もっと良い宝石店に連れて行くから。宝石もドレスも、新しい邸だって――お前が望むものなら何だってあげるから」
必死に縋り付くロナルドに、彼を見つめたリリアーヌは淡く微笑んでから小さく首を振った。
「……良いのです。ロナルド様がこうしてお傍にいてくださるだけで、リリアーヌは十分幸せですもの」
彼女が白いドレスの裾をきつく握り締めていることに、ロナルドは気付かなかった。
「でも……わたしがもしロナルド様の妻だったら、堂々とお傍にいられるのに……」
俯いて涙を零したリリアーヌの華奢な肩は震えていた。
その様子に、ロナルドは苦しげに眉を寄せた。
「リリアーヌ。私が愛しているのは、お前だけだ……私に出来ることがあるなら、何だって叶えよう」
頬を伝った涙を拭い、両頬を包むように触れたロナルドに、リリアーヌは濡れた睫毛を上げた。
「……リリアーヌは、ロナルド様との愛の証が欲しいのです」
「くださいますか?」と囁かれた愛らしい声に、ロナルドは小さく息を呑んだ。
「ああ、勿論さ……前から、私たちの可愛い子が欲しいと話していただろう」
ロナルドは、リリアーヌの願いを受け入れた。
彼女が不憫で可哀想な生まれの、健気で純粋な娘だと心から信じていたからだ。
そうして月日は流れ――
ロナルドとヴィオレッタが結婚して一年が経とうとしていた。
「御機嫌よう、お義母様。ようこそいらっしゃいました」
「ええ、御機嫌よう。それにしても……跡継ぎはまだなの? 子供が出来ないのは、貴女に問題があるんじゃないかしら」
ロナルドの母親は、跡継ぎが出来ないことをすべてヴィオレッタのせいにした。
「妻として、夫が帰りたい家を守るのが妻の務めなのよ? あの子が邸に寄り付かないのは、あなたの努力が足りないからよ。そうでしょう?」
「はい……お義母様の仰るとおりですわ」と小さく頷きながらも、ヴィオレッタの菫色の瞳は涙に滲んでいた。
ヴィオレッタを慕うメイドたちは、心配そうに見守り、彼女に同情の眼差しを向けることしかできなかった。
「あなたに子供が出来ないんじゃ、妾に産ませるしかないかしらね……」
囁くような声音。
聞こえていたのか、いないのか――
細められた目に見つめられ、ヴィオレッタは両手を小さく握り締めた。
(わたくしは、子供が出来づらいのかしら……)
ヴィオレッタの頭の中は、義母から掛けられた言葉で一杯だった。
せっかく夫が贈ってくれた“子宝に恵まれる”ブレンドティーも、自分には無駄なのかもしれない――
ひどく落ち込んだ彼女は、毎日のように飲んでいたブレンドティーをチェストの引き出しの奥へと仕舞った。
「ヴィオレッタ。悪いが今夜も疲れているから、休ませてほしい」
「ええ……おやすみなさい、ロナルド様」
彼との会話はほとんどなくなり、次第に、彼との夜伽すらなくなっていった。
そうして、季節は盛夏を迎え、その暑さが和らいできた頃だった。
ヴァルデン侯爵邸に、一人の若い女がやって来たのは――
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