34話 末路
ヴァルデン侯爵家が取り潰しとなり、ロナルドの母のアレクシアは実家の侯爵家へと泣きついた――
「この侯爵家の面汚しめ! お前たちはヴェルス王国建国以来の大恥晒しだ! 永久に顔を見せるな!」
「そんな、お父様――!」
「私はもうお前の父ではない! ここへは二度と来るな!!」
叩き出されたアレクシアは門前に座り込んで泣きじゃくり、門を守る騎士たちから路傍へと移動させられた。
そして、全てを失ったヴァルデン家に、一通の書状が届いた。
ヴェルス王家の紋章が刻まれた封蝋を、アレクシアは長い爪でパキリと割った。
「男爵家ですって……? まぁ、平民に落ちるよりかはマシね。領地はどこにあるのかしら」
“王家の温情”として、彼らには西の果ての男爵領が充てがわれることになった。
この騒動で、エルディア王家とヴェルス王家の関係には亀裂が生じた。そして、エルディア国王は、『愛娘のことで死人を出したくはない』とヴェルス王家に意向を示した。
だが、ロナルドたちを幽閉しようにも、“国税の無駄遣い”だと民の反感を買う懸念が強く、名も顔も広く知られてしまった彼らを国外追放することも憚られた。
そして何より、ロナルドたちが逆恨みし、ヴェルス王家やエルディア王家に仇をなしたり、城の門柱で首を括るかもしれない。――そんな声が、幾つもあったことも、男爵領へ送られることとなった要因の一つだった。
「ここはいったい何処なの? ……こんなの、聞いてないわよ!?」
その男爵領は、王都から西に離れた僻地にあった。
小高い山々に囲まれた、荒涼として枯れた小さな土地。
男爵領といっても、人口が少ない上に交通の便も悪く、人の往来もほとんどない。皆貧しい土地のため、税の代わりに納められるのは、幾ばくかの農作物だという。
税を回収に来る役人の旅費すら賄えない不毛の地であり、国も少しも期待しておらず、『納税は不要。王都に来る義務もない』と渡された書状には記されていた。
「これじゃあ、まるで流刑じゃないか……」
馬車から降ろされたベルトルトは、乾いた風が吹く荒れ地に立ち尽くした。
「新しい村長様ですか?」
彼らの前に集まったのは、傷んだ衣服を着た村人たちだった。
跡継ぎのない老いた村長が亡くなった不毛な地を、“男爵領”として体よく押し付けられたのだった。
そうして始まったのは、男爵家とは名ばかりの貧農のような暮らし。生まれながらの貴族であった元侯爵家の面々にとっては、ある意味死刑よりも辛く苦しい状況といえた。
「はぁ……」
ロナルドは、一人ため息を吐いた。
西の荒地には、夏の日差しが降り注いでいた。
冬は霜が降りるほどに冷え込み、夏も草が枯れるほどに暑くなる土地柄。
寂れた小さな村には、品数の少ない商店と老いた町医者が一人だけ。
食糧は常に不足していて、比較的裕福な家庭でも庭先で野菜を育てているような村だった。それは、村長の家でも例外ではなかった。
「何が男爵領よ! こんな場所で生きられるわけないでしょう?! 私は侯爵家の生まれで、侯爵夫人だったのよ!」
アレクシアが語るのは、過去の栄光と今の状況への不満ばかりだった。
そしてベルトルトは、代々受け継いできたヴァルデン侯爵家を失ったショックのあまり、頭髪が全て白くなり一気に老け込んだ。彼は、部屋に閉じ籠もって過ごすようになった。
故に、隙間風の吹く小さな家から出るのは、ロナルドただ一人だった。
今のヴァルデン家には財産も使用人も騎士もなく、ロナルドは何とかして家族三人分の食事を用意しなくてはならなかった。
「領主様〜! 芋の苗、ここに置いておきますね!」
「ああ、すまない」
「うちの野菜が出来たら、領主様のところに納めさせていただきますんで」
「……ありがとう」
家の脇にある畑を耕していたロナルドは、村人の姿に古びた鍬を置いた。この鍬も、畑で育てている野菜の苗や種も、すべて親切な村人たちが分けてくれたものだった。
「領主様、大丈夫ですか?」
「ああ……平気だ」
ロナルドは、荒れた手を隠すように握った。
慣れない畑仕事や水仕事に指や手のひらの皮が剥け、軟膏すら買うことが出来ないロナルドは、その傷をいつも井戸水で洗っていた。
「領主様、山の方に行けば、綺麗な湧き水がありますよ。小川に沿ったところです」
「そうか……行ってみるよ」
村人から山の小川の傍に湧き水があると聞いて、ロナルドは早速向かった。
(何が『領主様』だ。こんな生活、王都の平民以下じゃないか……)
ロナルドは、薄汚れたシャツの袖で額の汗を拭った。
彼は湧き水を求め、傷んだブーツで足場の悪い山道を彷徨ったが、ついに見つけられなかった。
(案内させるべきだった……私は何故、こんなところで生きないといけないんだ……)
こんな土にまみれる名ばかりの男爵をするくらいならば、豊かな平民のほうが幾倍もマシなのに。ロナルドはそう思った。
彼は、自身の身の上を毎日のように嘆いていた。
「あれは……」
そのとき、ロナルドの視界に白い輝きが揺れた。
小川の向こう岸に、一輪の白百合が咲いていたのだ。初夏の日差しを浴びて、凛としながら風に揺れている。
――『まあ! 綺麗な白百合……』
あれは、いつのことだっただろうか――
ロナルドは、白百合の花束を抱いて嬉しそうに笑ったヴィオレッタの姿を思い出した。
彼女は、清らかな白い花のように美しかった。
(あのときは……確か、婚約したばかりで……)
『ロナルド様の妻になれて、わたくしは幸せですわ』
結婚した日、向けられた彼女の笑顔。
掛けられる声は、いつだって穏やかで柔らかだった。
『ロナルド様、お帰りなさい。どうかゆっくり寛いでくださいね』
彼女はいつだって優しく微笑んでくれた。
その顔が曇るようになったのは、いつだったか――彼はもう、思い出すことすらできなかった。
彼女は何も欲しがらなかった。
望んでいたのは、夫だった彼の愛情だけだった。
(どうして、私は……間違えたんだ……)
――リリアーヌと、出会わなければ良かった。
『大切な婚約者がいる』――そう、ひと言告げるだけで良かったのに、そうしなかった。
他に頼れる者はいないと縋り付かれて――『運命』だと甘く囁かれ、良い気になった。愚かだった。
ヴィオレッタだけを見ていれば、きっと今も侯爵邸にいて、彼女と一緒に幸せに暮らしていたはずなのに――
「ヴィオレッタ……」
清らかな白百合に、柔らかく微笑む彼女の姿が重なった。
うわ言のようにその名を口にしたロナルドは、風に揺れる白百合へと手を伸ばした。
「――うわあああっ!!」
ロナルドの悲鳴と水飛沫が上がった。
足を踏み外した彼が落ちたのは、山から流れる小川だった。幸いにも川は浅く、尻もちをついても腰ほどの高さしかなかった。
(冷たいな……)
透き通る川には、小魚が泳いでいる。夏だというのに、川の水は肌を刺すように冷たかった。
――『ロナルド様! 助けて、赤ちゃんが!』
濁流に呑まれながら、必死に叫んでいたヴィオレッタの姿が浮かんだ。
あのときは冬だった。川の水は、どれほどに冷たかっただろうか――
(私は……ヴィオレッタと……サーシャを……)
あの日、伸ばされた彼女の手を掴んでいれば――
ロナルドは、乾いてひび割れた唇を震わせて涙を零した。
彼が妻と子を見捨てた――いや、見殺しにしたあの日に、すべては失われてしまった。どれほど彼が嘆いたところで、過ぎた時間は巻き戻せない。
「ヴィオレッタ……」
ロナルドは、崖の上で咲く白百合を見上げた。
もう二度と触れることも――見ることすら叶わない、彼女の美しい笑顔が浮かぶ。
「ヴィオレッタ……私が悪かったんだ! すべて私が……! だからどうか、戻ってきてくれ……ヴィオレッタ!!」
ずぶ濡れで泣き叫ぶ彼の声は、誰にも届くことはなかった――
◇
「――ヴァルデン家の報告は、以上になります」
アルバラード辺境伯邸の執務室に、レアンドロの微かなため息がひとつ落ちた。
「ロレンツォ、長い間ご苦労だった。……愛人の方はどうなった?」
「それが……半年前に流行り病で亡くなったそうです。ヴェルスの王都の教会に記録が残っていました」
「……子供は?」
「無事です。跡継ぎのいない商家に引き取られたようです」
「そうか……それは良かった」
微かに笑みを浮かべたレアンドロに、ロレンツォは様子を窺うような眼差しを向けた。
「どうした? 何かあるのか?」
「いえ、その……エルディア王国の姫の件は……まさか、辺境伯閣下が?」
その質問に、レアンドロは一瞬だけ固まると、声を立てて笑った。
「まさか! あれは彼らが自分たちで招いたことだろう。私は何もしていないぞ」
ロレンツォは、翡翠色の瞳に安堵を滲ませた。
「確かに、彼らのことはずっと許せないだろうし、憎くてたまらないさ……だが、私にはもっと、やるべきことがあるからな」
不思議そうな顔をしたロレンツォに、レアンドロは目を細めて微笑んだ。
「愛しい妻と子供たちを守り、愛することだよ」
(そのセリフ、いつか言ってみたい……)
まるで子犬のような潤んだ眼差しに、レアンドロは小さく笑った。
「そろそろ、少し休憩しよう……お前も一緒に来ないか?」
「はい、ぜひ!」
レアンドロとロレンツォは庭園に降りて、子供たちとボール遊びを始めた。
ヴィオラは東屋で涼みながら、彼らを眺めていた。手にした硝子のティーカップからは苺の香りが漂っている。
「マテオ様、いきますよ!」
ロレンツォが転がしたボールをマテオが取り、芝生に座っているエレーナへと向き直る。
「エレーナ、ころがすよ〜!」
ゆっくりと転がったボールに、エレーナの甲高いはしゃぎ声が響いた。
「ほら、エレーナ。ボールだよ」
跪いたレアンドロが差し出したボールを、エレーナは小さな両手で抱えた。
満面の笑顔で見つめてくるエレーナに、ヴィオラは笑いかける。
「エレーナ、上手に持てたわね。母様も交ぜてもらおうかしら」
立ち上がったヴィオラの髪飾りが、夏の日差しを弾いて煌めいた。
白い靴が柔らかな芝を踏み、腰に結ばれた水色のリボンがそよ風にふわりと靡く。
緑が生い茂る青々とした庭園に、ヴィオラたちの楽しそうな声が響いた――
【あとがき裏話】
レアンドロ「長い間、報告ご苦労だった」
ロレンツォ(やった!! これでやっとクズ一家の定期報告任務から解放されるぞ……!!)
レアンドロ「引き続き、報告を頼む」
ロレンツォ「は?」
レアンドロ「あの屑が、『ヴィオラを返せ』と乗り込んで来るかもしれないだろう」
ロレンツォ「いや、あの人めちゃくちゃ貧乏なので、ここまで来れませんって」
レアンドロ「頼む。特別手当を三倍にするから」
ロレンツォ「……わかりましたよ。で、いつまで続ければ良いんですか?」
レアンドロ「屑がくたばるまで」
ロレンツォ「嘘でしょう?」




