33話 祝宴
アルバラード辺境伯家に長女エレーナが誕生して半年が過ぎ、春が訪れた頃――
庭園の薔薇が満開になったヴァルデン侯爵邸では、婚礼の宴が開かれていた。
純白の薔薇で美しく飾られた大広間は、綺羅びやかな灯りとざわめきに満ちていた。
「豪華な宴だな」
「なんでも――西のエルディア王家の末の姫君なんですって。さすが……美しい御方ね」
「まさか、呪われた侯爵様が王女様を娶るなんて……」
「しっ! 聞こえるわよ」という囁き声に、集まった貴族たちは声を潜めた。
会場中の視線は、ロナルドの傍らに佇む美しい花嫁に注がれていた。
透き通る白磁の肌に、湖のような青緑の瞳。長い髪は銀糸のよう。ゆったりとした純白の花嫁衣装がよく似合う、夢のような美貌の姫君だった。
「レティーシャ様、お疲れではありませんか?」
「ええ……お義母さま、お気遣い痛み入ります」
「ロナルド、レティーシャ様をもっと気遣って差し上げなさい」
「ああ……」
上の空で人形のように立っているロナルドに、レティーシャは柔らかな笑みを浮かべた。
「お義母さま、わたくしは気にしてはおりませんわ。ロナルド様は、少しお疲れなのでしょう」
「今宵は、ゆっくりお休みくださいね」と柔らかく微笑むレティーシャに、ロナルドは「ああ」と顔すら向けずに返事をした。
だが、レティーシャは不満げな様子など微塵も見せず、優雅な笑みを浮かべている。
(さすが、本物の姫君は格が違うわ……たかが伯爵家出身の穀潰しや卑しい女狐とは雲泥の差よ!! 苦労して探した甲斐があったわ……)
アレクシアは満足気に目を細めた。
さすが王家の姫だけあって、美貌も気品も天下一品。まさにヴァルデン侯爵である息子の妻に申し分ないとアレクシアは鼻高々で仕方なかった。
アレクシアがレティーシャ王女との縁談を持ち掛けられたのは、奇跡のような偶然だった。ロナルドの妻となる娘を必死に探していたアレクシアの前に、エルディア王国の高官だという貴族の男が現れたのだ。
その男は言った。『王家の事情があって、詳しいことは話せないが、エルディア王家の末の姫君が国外の高位貴族と結婚したがっている』と――
(これは……きっと運命だわ……!!)
アレクシアは、渡りに船とばかりにその縁談に飛び付き、エルディア王国の高官に指定された王女への支度金を納め、王女レティーシャとロナルドとの縁組を進めたのだ――
「皆様、乾杯のご準備を」
執事長の硬い声が響いた。
だが、勤務中だからと杯を遠慮する騎士や執事たちの姿に、レティーシャは儚げに睫毛を伏せた。
「皆様は、わたくしの国のお酒はお嫌いでしょうか……せっかく皆様のためにご用意しましたのに……」
レティーシャの悲しげな表情に、アレクシアは目を吊り上げて執事や騎士たちを睨んだ。
「あなたたち、レティーシャ様のご厚意がわからないの? 口を付けるのが礼儀というものでしょう」
「ですが――」
「今日は、ヴァルデン侯爵家にとって記念すべき目出度い日なのよ。ひと口で良いのだから、皆いただきなさい!」
声高な先代の侯爵夫人のひと声で、招待客に騎士や執事、使用人たちに至る邸の全ての者たちに杯が配られた。
満足そうに会場を見渡したアレクシアが、優雅に銀杯を掲げる。
「お集まりの皆様、これはエルディア王家に伝わる祝酒だそうですの。ヴァルデン侯爵家の繁栄と、皆様の御多幸を祈って――」
「「乾杯!!」」と祝杯が上がった。
「エルディア王家の祝酒か……」
「甘くて不思議な味ね」
皆が杯に口をつけ、祝宴は始まった。
(ヴィオレッタ……)
その祝酒は澄んだ紫色だった――
ロナルドは、ヴィオレッタを思いながら銀杯に口を付けた。
浮かぶのは、数え切れないほどの柔らかな微笑みと、あの日の凍てつくような眼差し――
彼は杯を煽り、一気に飲み干した。
その瞬間――
カラン、と大理石の床に銀の杯が転がった。
「ロナルド?! ロナルド、しっかりなさい!」
突然に崩れ落ちたのは、新郎のロナルドだった。
「ロナルド様?! しっかりなさってくださいまし……」
倒れたロナルドに、青褪めた顔で跪いたレティーシャ。
会場にざわめきが広がる。
(情けない子ね……一気に煽ったりするからよ)
「レティーシャ様、大丈夫ですわ。きっと、ロナルドは疲れていたから――あら?」
アレクシアは白目を剥いてバタリと仰向けに倒れた。
遠くなるざわめきの中で、彼女は四肢をばたつかせ、必死に立ち上がろうとする。
(おかしいわね……私は、お酒には強い方なのに……)
眩暈のするような感覚に口も聞けぬまま、アレクシアは眠るように気を失った――
そして、彼女が――皆が目覚めたのは翌朝、日が昇ってからだった。
「これは……どういうことなの?!」
会場にいた皆が一斉に目覚めた。
「祝酒に何か入っていたのか?」
「恐ろしいわ……」
招待客が青い顔で震えている中で、アレクシアが叫んだ。
「レティーシャ様がいないわ!!」
消えた花嫁に、騒然となる一同。
「まさか……攫われたんだわ! すぐに騎士を呼びなさい!!」とアレクシアが叫んだ時、大広間に騎士たちが飛び込んできた。
「大変です! 宝物庫が――」
怪訝そうに眉を寄せた先代の侯爵夫妻に、騎士は続ける。
「宝物庫の鍵が開けられていて、すべてなくなっています!」
「なんだって?!」
叫んだのはロナルドの父のベルトルトだった。
「早く取り戻せ!! 衛兵は何をしていた?!」
「杯を飲んで、倒れていました」
騎士の返答に、言葉をなくすベルトルト。
「どうして……? 何が起きているの……」
狼狽えるアレクシアの傍らで、ロナルドは静かに佇んでいた。その表情は、まるで宝物が失くなったことなど、どうでも良いかのようだった――
「そうだ――家宝の鎧は?!」
「すべてなくなっています」
「……おしまいだ」
ベルトルトががくりと膝をついた。
その家宝とは、先々代の侯爵が命懸けで当時の国王を守ったことから、『感謝の証』として王家から贈られた白金の鎧だった。
後日、その“家宝の鎧”が他国の闇オークションに売りに出され落札されたことが報道され、それを知ったヴェルス王国は騒然となった。
『王女との婚姻を望んだ欲深いヴァルデン侯爵家。偽物の王女に騙され、家宝と財産を盗まれた――』
他国でばら撒かれた紙面には、レティーシャとアレクシア、ロナルドたちの姿が面白可笑しく描かれた。
「こんなのデタラメよ! あのレティーシャ様が偽物だなんて……支度金にいくら払ったと思っているの?!」
こうして、この騒動は大陸中に広く知れ渡ることとなり、『ヴェルス王家とエルディア王家に泥を塗った』『ヴェルス王国最大の恥』とヴァルデン侯爵家は国内外で非難の的となった。
「――ヴァルデン侯爵家が、なくなるだと……?」
「爵位剥奪なんて嘘よ……何かの間違いよね?」
絶望の表情を浮かべる先代の侯爵夫妻。
宝物庫の中身だけでなく、王家から賜った侯爵家の印章まで奪われたヴァルデン侯爵家は、『侯爵家としての責務が果たせない』として即取り潰しが決まった。
幸いなことに、“先代の侯爵夫人から杯を強要された”として、騎士や使用人たちは一切責任を問われることはなく、王家の慈悲で王城や他家へと引き取られていった。
「アレクシア……よくもやってくれたな……」
地を震わせるようなベルトルトの低い声に、アレクシアは振り返った。
「国王も王妃も出てこないなんて、おかしな話だと思ってたんだ……あんな偽物に騙されるとはな!」
「だって、レティーシャ様は冷遇されていると……それに、あなただって喜んでくれていたじゃない!」
「黙れ! この私に口答えする気か?!」
「お前のせいでヴァルデン侯爵家はおしまいだ!! どうしてくれる?!」とベルトルトはアレクシアに掴みかかった。
エルディア王国に、確かに第六王女“レティーシャ”は存在した。――ただ、まだデビュタント前の十四歳の姫君で、末娘として国王が溺愛していることもあり、王宮の外に出たことなどないのだという。
「国王陛下、巷ではこのような紙面が出回っております……」
「おのれ、ヴェルスの貴族風情が余の可愛いレティーシャに……」
ヴァルデン侯爵家は、エルディア王家から訴えられた。
そして、ヴェルス王家から、エルディア王家に対して公に謝罪をし、多額の賠償金を支払うよう命じられた。
このことによって、彼らは美術品や家具や衣服も含め、侯爵家の本邸や別荘を丸ごと手放すことになってしまった。
彼らは、文字通り全てを一夜にして失ってしまったのだった――
「なんてことだ……お前のような愚妻を迎えたばかりに、我がヴァルデン侯爵家は……」
「嘘よ! 嘘よ!! 信じないわ!! ヴァルデン侯爵家はこれからなのよ!!」
喚き散らしたアレクシアは、「キエエエェッ!」とおかしな叫び声を上げて昏倒した。
倒れたアレクシアに、ベルトルトは駆け寄ることすらしなかった。
「ヴィオレッタ……」
ロナルドは、壁にかかった肖像画にそっと触れた。絵の中では、花嫁姿のヴィオレッタが美しく微笑んでいる。
ロナルドが全てを知ったあの日から、この肖像画は大切に飾られ、彼は毎日のように眺めていた。
だが――
「これだけは駄目だ! 持って行かないでくれ!!」
結婚式の肖像画は剥ぎ取られ、他の絵画や調度品と共に荷車へと乗せられた。
「返してくれ! 他には何も要らない! 私のヴィオレッタを連れて行かないでくれ……!!」
ヴァルデン侯爵邸からは、家具も調度品も全て持ち出され、騎士も使用人たちも一人残らずいなくなった。
(ヴィオレッタ……)
がらんとした静かな邸で、ロナルドは呆けたように空を見上げた。
だが、これだけでは終わらないことを、彼らはまだ知らなかった――




