28話 家族
「レオ様……わたくしたちの、赤ちゃんが来てくれましたわ」
「ヴィオラ……本当に?」
少しはにかんで、幸せそうに笑ったヴィオラを、レアンドロはそっと抱き締めた。彼の水色の瞳には、涙が滲んでいた。
「お医者様が、この子は夏に産まれると……」
「夏に……」
レアンドロは潤んだ瞳で、ヴィオラに微笑んだ。
「ヴィオラ、ありがとうございます……貴女のことも、お腹の子のことも、何より大切にします」
再び、レアンドロはヴィオラを優しく抱き締めた。
レアンドロの温かな腕に包まれて、ヴィオラは幸せそうに瞳を閉じた。
「閣下、何か良いことがあったんですね?」
「ああ……ヴィオラが懐妊したんだ。夏に私たちの子が産まれる」
笑みを隠しきれないレアンドロに、副官たちは嬉しそうに祝福の言葉を述べた。
「ペドロ、医師を邸に呼ぶから部屋の用意を。暖炉の手入れもすぐにしてくれ。私たちの寝室と、ヴィオラの過ごす部屋は特に念入りに掃除をするように。……それと、料理長を呼んでくれ。これから、ヴィオラの食事の献立について話がある」
「畏まりました」
「ああ、子供の部屋も用意しなくては……忙しくなるな」
レアンドロは嬉しそうにそう言った。
そうして、日が経たないうちに、レアンドロがヴィオラのために探し出した妊産婦に詳しい女医が邸へと呼ばれた。いつでもヴィオラとお腹の子を診てもらうためだった。
外は冷え込んでいるというのに、アルバラード辺境伯邸は活気付き、まるで春のように温かな空気で満ちていた。
(もう、冬が来たのね……)
ヴィオラは、木枯らしが吹く庭園を窓から眺めた。
ヴィオレッタが消えてから、二度目の冬が訪れていた。
風の冷たさを感じる度に思い出していた辛い記憶は、温かな幸福に包まれ、いつの間にか胸の奥深くで眠ったかのように感じられた。
「ヴィオラ、口に合いますか?」
「ええ、とても美味しいですわ」
「良かった……」
食卓に並ぶのは、焼きたての白パンに、トウモロコシのお粥。蒸した鶏肉と野菜。冬野菜のポタージュだった。
それまでのしっかりとした味付けと違って、どれも素材を生かした優しい味だった。
「子を宿した女性は、生ものは口にしない方が良いそうですね。すべて火を通してあるので、安心して食べてください」
「まあ……わたくしのために……?」
レアンドロは、肯定するかのようにはにかんだ。
(レオ様も、同じものを召し上がっているわ……)
レアンドロは、毎食ヴィオラと同じものを食べた。それは、料理人たちの負担を減らし、厨房でのミスを防ぐためだった。けれど何よりも、彼はヴィオラと同じものを口にしたかったのだ。
――「ヴィオラ、ゆっくり歩きましょう。足元に気を付けてくださいね」
――「ヴィオラ、子供部屋は、私たちの寝室の近くにある南向きの部屋にしませんか? 家具や壁紙は――子供が生まれてから決めましょうか」
――「ヴィオラ、体を冷やしてはいけません。これを着て、暖かくしてくださいね」
――「ヴィオラ、子供の名前は何にしましょうか? その……とても、良い名前を見つけたんです」
ヴィオラの頭も心も、レアンドロの柔らかな微笑みと温かな言葉で満たされた。
「可愛い赤ちゃん……あなたの父様は、世界一優しい、素敵な方よ……」
ヴィオラは、それは幸せそうにお腹の子に語りかけた。
レアンドロの心からの優しさと気遣いに、彼の子を宿す彼女は幸せな日々を過ごしたのだ。
そうして、季節は春を迎えた――
「ヴィオラ! 苺がなりましたよ! よく洗っていますから、安心して食べてくださいね」
レアンドロは、邸で育てた苺を毎朝収穫しては綺麗に洗い、食卓へと並べた。
「レオ様、甘くてとても美味しいですわ」
「良かった……たくさん食べてくださいね」
二人は、毎朝一緒に散歩をした。
「レオ様、菫の花畑を見に行きたいですわ」
「行きましょう。ゆっくり歩きましょうね」
花畑に着くと、レアンドロは上着を脱ぎ、その上にヴィオラを座らせた。
「とても綺麗……ずっとここにいたいですわ」
「子供が生まれたら、また一緒に来ましょう。……父様も母様も、君が生まれてくるのを楽しみに待っているよ」
「元気に生まれておいで」と微笑んで、大きくなり始めた腹部をそっと撫でたレアンドロに、ヴィオラは幸せそうに目を細めた。
(可愛い赤ちゃん、このお花畑を父様と母様と一緒に見ましょうね。元気に生まれてくるのよ)
こうして季節は過ぎ、あっという間に夏が訪れた――
昼過ぎのアルバラード辺境伯邸では、メイドたちは忙しなく働き、厨房では料理人たちが気合を入れて豪勢な食事の支度をしていた。
「ヴィオラは、大丈夫だろうか……」
「一番不安なのは、奥様なんですよ。もうすぐ父親になられるのですから、しっかりなさってくださいまし」
エッダの言葉に、レアンドロはため息を飲み込んで閉じられた扉を見つめた。
出産に臨むヴィオラの部屋の前で、レアンドロは行ったり来たりを繰り返していた。ゆうべの夜遅くに医師たちを呼んでから、ずっと――
「ああ、ヴィオラ……私が代われたら良いのに……」
「……殿方には耐えられませんよ」
「それほどの痛みなのか?!」
「はい」
そのとき、扉の中からヴィオラのうめき声が漏れ聞こえてきた。
苦しげに顔を歪めたレアンドロは、今にも泣きそうな顔で扉に触れた。
(ヴィオラ……貴女とお腹の子が無事ならば、私は何でもしよう。だからどうか――)
そのとき、扉の中から、元気な産声が響いた。
「おめでとうございます! 元気で可愛らしい若君ですよ!」
「ああ、ヴィオラ……!! ヴィオラは無事なのか!?」
部屋に飛び込んできたレアンドロに、少しだけやつれた顔のヴィオラは幸せそうに微笑んだ。その腕には、生まれたての小さな赤子が抱かれている。
「レオ様……わたくしたちの子ですわ」
「ヴィオラ……ありがとう……ありがとう……」
静かに涙を流すレアンドロを、ヴィオラは愛おしげに見つめた。
「レオ様も、この子を抱いてあげてくださいまし」
レアンドロは一瞬だけ戸惑いの表情を見せたが、壊れ物を扱うようにそっと、赤子を受け取った。
(なんて、小さくて、可愛いんだ……)
「可愛い……世界一、可愛いです……」
「ええ……本当に」
幸せそうに細められた菫色の瞳から、涙が一筋零れ落ちた。
「ヴィオラ、この子の名前はどうしますか?」
「マテオ……この子の名は、マテオですわ」
その名は、“天からの授かりもの”だからと、レアンドロが提案した名前だった。
「アルバラード辺境伯閣下に、若君の御誕生だ!!」
「マテオ様、御誕生おめでとうございます!」
アルバラード辺境伯領を、温かな祝福が包みこんだ。
こうして、結婚してから二年目の夏に、ヴィオラとレアンドロの子は産まれた。
親交のある貴族家や王家からも祝いの品が届き、中でも大公ブラウリオからの贈り物は一部屋を埋め尽くす程だった。
「マテオは、やっぱりレオ様に似ていますわ。髪の色も目の色も、そっくり同じですもの」
「そうですか? この可愛い目元や口元なんか、ヴィオラにそっくりですよ」
可愛いあくびをしたマテオに、二人は笑みを零した。
二人はマテオを宝物のように抱いて、微笑みあった。
「愛しいヴィオラ……こんなに可愛い子を産んでくれて、ありがとうございます」
「まあ、いつまで仰るおつもりなのかしら」
「ずっとです」
「ふふふ」と笑うと、ヴィオラは腕の中のマテオにそっと触れた。
小さな手がヴィオラの指をきゅっと握り、彼女の胸を幸せな温かさが包んだ。
「なんて可愛いんだ……マテオ、私の指も握ってくれ」
差し出されたレアンドロの指先を、マテオは小さな手で握った。
「幸せ過ぎて、おかしくなりそうだ……」
そう呟いたレアンドロに、ヴィオラは小さく笑った。
「今度、絵師を呼んで絵を描いてもらいましょう。私たち家族の絵を……」
「ええ……わたくしたちの部屋に飾りたいですわ」
「それでは、二枚描いてもらいましょうか」
レアンドロは、水色の切れ長の瞳を柔らかに細めた。彼の瞳は、それは愛おしそうにヴィオラとマテオを見つめた。
(わたくし、本当に幸せだわ……)
ヴィオラはマテオの額にそっと口づけ、レアンドロの温かな腕に包まれて幸せそうに瞼を閉じた。
【あとがき裏話】
ヴィオラの懐妊がわかって、すぐの頃――
ロレンツォ「辺境伯閣下、報告書を……閣下、聞こえてます?」
レアンドロ「…………」
ロレンツォ(何の本を読んでるんだろう、たくさんあるな…………なになに、『妻が懐妊したら読む本』、『はじめてパパにもわかりやすい! 基本の育児書』、『幸せになる名付け事典』……)
レアンドロ「…………」
ロレンツォ(仕事してください……!!)




