23話 後ろ盾
ヴィオラとレアンドロが結婚を決めて少しした頃――
すっかり暖かくなったアルバラード辺境伯邸には、一人の訪問客の姿があった。
「ヴィオラ、これはお祖父様からの贈り物じゃよ」
「まあ……大公殿下、ありがとうございます」
「お祖父様。さすがに多すぎますよ」
僅かに眉を寄せるレアンドロに、彼の祖父である大公ブラウリオはすっと目を細めた。
「孫娘に贈り物をして何が悪い」
ヴィオラの前には、リボンの飾られた色とりどりの美しい箱がうず高く積まれている。
「ヴィオラ。欲しいものがあったら、何でも言いなさい」
「ありがとうございます……でも、もう十分ですわ」
「儂は、ヴィオラに喜んでほしくてなぁ」
聞く耳を持たないブラウリオに、レアンドロは気付かれぬようにため息を零した。
(まさか、お祖父様がここまでヴィオラを気に入ってくださるとは……)
レアンドロは、数日前のことを思い返した――
「レアンドロ! 一体どこの娘と結婚するつもりじゃ?! 儂の見繕った令嬢に何の不満がある?!」
顔を真っ赤にしたブラウリオが、レアンドロが送り返した釣り書きを携え、邸に乗り込んできたのだ。
しかし、ブラウリオはヴィオラと会った途端、手のひらを返したように大人しくなった。
「その佇まい……笑った顔が、儂のエレオノーラにそっくりじゃ……」
控えめに微笑んでカーテシーをしたヴィオラの姿に、目を見開いたブラウリオは水色の瞳を揺らした。
レアンドロの母方の祖父であるブラウリオは、「早くに亡くした娘を思い出す」と一目でヴィオラを気に入ってしまったのだ。
ヴィオラが肖像画で見たエレオノーラは黄金の髪の気品に溢れる美女で、ヴィオラは自分には少しも似ていないのに――と思った。けれど、畏れ多いと思いながらも、レアンドロの祖父であるブラウリオに好意的に接してもらえることが嬉しかった。
ヴィオラの素性を尋ねられたレアンドロは、『彼女は隣国の貴族家に生まれ育って、家の事情で命を狙われ、死にかけていたところを助けた。祖国では公式に死亡届が出されている』と事実をかい摘んで説明した。
「副官に調べさせたから、間違いない」と付け加えたレアンドロに、ブラウリオはそれ以上追求はしなかった。
「私は、彼女以外を妻に迎えるつもりはありません」と真っ直ぐな瞳で言ったレアンドロに、「てっきり女嫌いかと思っておったが……見当違いだったようじゃな」とブラウリオは笑った。
そして、「お前たちの結婚を許そう。大公であるこの儂が、ヴィオラの後見に付いてやる」と直々に申し出たのだ――
「――レオ様、大公殿下がお話があると……」
「……わかりました。ヴィオラは、ゆっくり休んでいてください」
レアンドロは、幾つかある応接間の一つにブラウリオを案内した。
壁や扉に防音処理がされていて、密談をするのに適している部屋だ。
「レアンドロ。婚礼はいつするつもりじゃ?」
「少しでも早くと……思っておりますが」
レアンドロは、窺うような視線をブラウリオへと向けた。
ヴィオラが愛しくて仕方がないレアンドロは、名実ともに一日でも早く彼女を妻にしたかった。故に、一刻も早くヴィオラとの婚礼を進めようと考えていたのだ。
だが、そんなレアンドロをブラウリオは鋭い眼差しで見据えた。
「ヴィオラには、大公家の娘として教育を受けてもらう」
「それは……どのくらいでしょうか」
「一年だ。婚礼までの一年をかけて、大公家の娘として必要なことを学んでもらう。そのうち式までの半年は、大公家で過ごしてもらうぞ」
「そんな……」
まるで世界の終わりが来たかのような表情を浮かべるレアンドロに、ブラウリオは「フォフォフォ」と楽しげに目を細めた。
「ヴィオラは、大公家の娘としてお前に嫁がせるのだ。ルークス王家や貴族の作法……他にも学ぶことはたくさんある」
「……他の縁戚の養女では駄目なのですか」
「ぬるいな。あの娘は、王家に連なるお前に嫁ぐのだ。揺るぎない後ろ盾と肩書が必要なのじゃよ」
「そんなこともわからぬのか」と半ば呆れたように呟いたブラウリオに、レアンドロは僅かに眉を寄せた。
「私は辺境伯ですし、王位継承権を放棄しています」
「関係ない。他の王族が絶えたらどうする」
「そんなことはあり得ません」
「ともかく……必要なことじゃ。ヴィオラが大切ならば、半年程度のこと――軽く耐えてみせよ」
瞼を伏せたレアンドロは、膝の上で拳をきつく握った。
(半年も離れるなんて……ヴィオラ……私は、耐えられるのか……)
こうして、結婚の準備と並行して、ヴィオラの大公家の娘としての淑女教育が始まった。
ヴィオラは、およそ一年をかけてルークス王国の歴史や作法、王族・貴族社会について学ぶことになったのだった。
(わたくしが大公殿下の孫娘だなんて、荷が重すぎるわ……でも、レオ様の妻になるために頑張らないと……)
ヴィオラは、週に一度の刺繍教室をこなしながら、寝る間も惜しんでルークス王国の淑女教育に励んだ。
「ヴィオラ、顔色が良くないようですが……」
「大丈夫ですわ。レオ様、わたくしは必ずやり遂げてみせますから」
そう言って微笑んだヴィオラが眠れていないことに、レアンドロは気付いていた。
少しだけやつれた彼女の姿に、ひどく心配したレアンドロは婚礼を先延ばしにすることを考え始めた。
(レオ様に心配をかけてしまったわ……それに、結婚式を延期するなんて……)
そんな彼の様子に、ヴィオラは夜はきちんと休み、早朝から机に向かうようにした。結婚式が待ち遠しいのは、ヴィオラも同じだった。
そして、半年が過ぎる頃には、ルークスの王侯貴族の令嬢と並んでも遜色ない程にヴィオラは成長した。
「ヴィオラ様……よく頑張られましたね」
「先生、ありがとうございます。すべては、先生が教えてくださったおかげですわ」
『大公家の姫君でありながら、控えめで謙虚な御方だ』とヴィオラの評判は瞬く間に広がった。
「ですが、大公殿下にこのようにお美しいお孫様がおいでだったとは……」
「フォフォ……あまりに可愛くてな、辺境の地で大切に育てておったのよ」
ヴィオラは生まれつき体が弱く、辺境の地で隠されるように大切に育てられた――そういう話が、いつの間にか密かに囁かれるようになった。
ブラウリオもレアンドロも、その噂を否定しなかった。
「ヴィオラ先生、王都に行かれても戻ってくるんですよね?」
「ええ……結婚式が終わったら、また教室で会いましょうね」
半年が過ぎた頃、ヴィオラの刺繍教室は婚礼が落ち着くまで休むことになった。
刺繍教室に通う年長の子供たちは、レアンドロの花嫁となるヴィオラのために、花嫁のグローブに刺繍をすることにした。勿論、ヴィオラには秘密で――
花嫁用のグローブと刺繍糸は、花嫁衣装に合わせてレアンドロが手配した。
そして、いよいよヴィオラが大公家に向かう日がやって来た――
「愛しいヴィオラ……月に二度――いえ、週に一度は会いに行きますから……」
「レオ様……」
「ヴィオラ、手紙も毎日書きま――」
「辺境伯閣下。半年後にヴィオラ様を辺境伯夫人としてお迎えするためにも、執務は滞りなく進めていただく必要があります」
「サプライズの新婚旅行……出来なくなりますよ」と低く囁いたマルコに、レアンドロはきゅっと唇を結んだ。
(マルコ! よく言ってくれた!)
(……助かった)
こうして、副官たちの残業に明け暮れる日々は回避された。ロレンツォとアドルフォは、マルコの勇気ある発言に心から感謝したのだった。
◇
「はじめまして、ヴィオラ・デ・エウスタキオですわ」
「ヴィオラ様、お帰りなさいませ。これよりは、私たちがお仕え致します」
(大変なところに来てしまったわ……)
大公家の姫となったヴィオラには、ブラウリオから離宮が一棟贈られ、執事や侍従、メイドなどの百名以上に及ぶ使用人が仕えることになった。
ブラウリオはヴィオラを守るために、一切誰にも――大公家の血族の者や側近にすら、彼女の本当の素性を明かさなかった。
「孫娘のヴィオラじゃ。お前たちは何も心配することはない。……良いな?」
大公の息子夫妻は、『まさか父に隠し子――いや、孫娘がいたとは……』と密かに戦々恐々としていたが、ヴィオラの控えめな人柄と、半年後には辺境伯家に嫁ぐという事実に『大公家の娘』として好意的に接してくれた。
ルークス国王の弟である大公ブラウリオが統括し、一つの醜聞も許されない大公家において、ヴィオラへの否定的な声は一切囁かれなかった。
大公家で過ごすようになったヴィオラは、王族や大公家の作法やしきたりなどを学んだ。
これから辺境伯夫人となるヴィオラにはあまり使う機会がないそうだが、『大公家の娘が受ける教育』だと聞いたヴィオラは、より一層励んだ。
そして、穏やかで心優しく、使用人たちにも親切に接するヴィオラは、皆から慕われるようになった。
(わたくしは……これからもずっと、レオ様の隣で生きていきたい……)
執務に加えて、結婚準備も担っているレアンドロは多忙を極めた。
それでも彼は、毎週ヴィオラに手紙を送り、月に一度だけ、ヴィオラに会うために二日を掛けて王都にある大公家までやって来た。
仕事の事情で来れなかった月には、花束が添えられた長い手紙が届けられた。
ヴィオラは、レアンドロからの手紙を毎日のように読み返した。
――『愛しいヴィオラ。貴女を妻に迎える日を、朝も晩も数えています。早く貴女に会いたい』
――『愛するヴィオラ。体調は変わりないですか? どうか、無理だけはしないでくださいね』
――『ああ、愛しいヴィオラ……こんなにも半年が長いとは……貴女を妻に迎える日を夢見て、私も仕事に励みます』
(レオ様……わたくしも、同じ想いですわ)
ヴィオラは、レアンドロからの手紙をそっと抱き締めた。
愛するレアンドロの隣に、妻として堂々と立ちたい。彼に少しでも恥ずかしい思いをさせたくない。――その気持ちが、彼女を強く駆り立てた。
そうして、レアンドロの花嫁となるヴィオラの一年は目まぐるしく過ぎていった――
【あとがき裏話】
ブラウリオ「ヴィオラは儂の孫娘にする! 大公である儂の孫になれば、誰も何も言えんぞ」
レアンドロ「お祖父様……そのようなことが可能なのですか?」
ブラウリオ「フォフォフォ……儂が『右だ』と言えば、右になる世界よ。問題ない」
一週間後――
レアンドロ「……ヴィオラが、大公家の姫になった」
ロレンツォ「えっ? どういうことですか?!」
レアンドロ「大公殿下が決めた。詮索すると多分消されるから気を付けろ」
ロレンツォ「……わかりました」(権力者って怖い……!)




