2話 二人のはじまり
侯爵夫人ヴィオレッタの葬儀から、遡ること三年前の夏――
大陸の中央部に位置するヴェルス王国。
その社交界において“金の貴公子”と名高いロナルド・フォン・ヴァルデン侯爵と、ヴィオレッタ・フォン・ローゼンベルク伯爵令嬢は出会った。
若くして爵位を継いだロナルドに、美しく控えめな淑女だと評判のヴィオレッタ。
二人の婚約が決まったとき、皆がお似合いの二人だと持て囃した。
「美しいヴィオレッタ嬢、私たちの式は来年の夏に挙げよう。私の妻として、一生大切にする」
「まあ、ロナルド様……」
恥じらいの笑みを浮かべたヴィオレッタに、ロナルドは甘く微笑んだ。
式までの期間は一年。長すぎても、短すぎてもいけない。
結婚準備のためにも、花嫁への愛情表現としても最適な期間だとロナルドは考えていた。
「ヴィオレッタ嬢、新婚旅行はどこに行きたい?」
「それは……まだ、浮かびませんわ」
「それじゃあ、ゆっくり考えておいてくれ」
「私の愛する婚約者殿」と囁いたロナルドはヴィオレッタの黒髪を一房取って口付けた。
「君との旅行を楽しみにしている」
純真なヴィオレッタは、彼のことをたちまち好きになってしまった。
『ロナルド様の妻になれるだなんて、わたくしは何て幸せなのでしょう』
婚約者の愛と幸せに包まれたヴィオレッタは、美しい装丁のノートを買い、日記を綴り始めた。
そして、ロナルドはヴィオレッタに会うためにローゼンベルク伯爵邸を訪れるようになった。
「ヴィオレッタ嬢、この花を君に」
「まあ! 綺麗な白百合……」
「この清らかな花を見たとき、君が浮かんだんだ」
ロナルドから差し出された純白の花束に、ヴィオレッタは花が咲いたように微笑んだ。
『今日はロナルド様から白百合の花束をいただいた。わたくしは世界一幸せだわ! あの方との結婚式の日が待ち遠しい』
そう日記に綴ったヴィオレッタは、白百合の花を部屋に飾った。
だが、その甘い日々はそう長くは続かなかった。
「ロナルド様、最近どうなさったのですか?」
「ああ……仕事が立て込んでいてね」
婚約して半年が経った頃だった。
ロナルドの様子が、急に変わり始めたのは――
(今日は、お花はないのかしら……)
会うたびに彼女に捧げられていた美しい花はいつの間にか忘れ去られ、二人で会う機会もみるみる減っていった。
(最近のロナルド様、なんだか素っ気ない気がするわ……)
視線があまり合わなくなった彼に、ヴィオレッタの胸は少しだけざわめいた。
「少し、疲れているだけだよ」
ヴィオレッタは、彼が『忙しいからだ』と信じた。ロナルドがそう言っていたからだ。
そして、ついに迎えた結婚式の日――
ヴァルデン侯爵領の大聖堂で行われた式は、それは立派なものだった。
ヴィオレッタのために仕立てられた最上級のシルクで作られた純白のドレスに、繊細なレースに彩られたヴェール。
黒髪を結い上げた頭には、大きなダイヤモンドが輝くティアラが煌めいている。
美しい花嫁の姿に、誰もが目を奪われた。
けれど、ロナルドの表情は硬かった。
「誓いの口づけを――」
どこか無機質に重ねられた唇に、ヴィオレッタの胸は微かに締め付けられた。
(緊張しておいでなのかしら……)
ロナルドを見上げたヴィオレッタは、彼の緊張を解すかのように柔らかな笑みを浮かべた。
「ロナルド様の妻になれて、わたくしは幸せですわ」
「……ああ」
どこか浮かない顔のロナルドに、ヴィオレッタは気遣う眼差しを向けることしか出来なかった。
結婚式が終わり、二人の時間になっても彼の様子は変わらなかった。
「ロナルド様……体調が優れないのではありませんか?」
「ああ……仕事で少し疲れていてね」
ロナルドは、その晩ヴィオレッタに触れることはなかった。
(ロナルド様……?)
初夜に花嫁に触れない夫がいるのだろうか――
ヴィオレッタは、静かに寝息を立てる彼の隣で枕を濡らした。
翌朝、目元を赤く腫らしたヴィオレッタに、ロナルドは「疲れていて寝てしまって、どうか許してほしい」と頭を深く下げた。
そして言ったのだ。
「ヴィオレッタ。君があまりに大切で……」――と。
涙を滲ませたまま、ヴィオレッタは小さく頷いた。
けれど――




