14話 誤解
(ヴィオレッタは、どうして……)
『愛人の子を喜ぶ妻なんかいないさ』――先日、友人から言われた言葉をロナルドは思い出した。
表面上は親切にしていても、以前ヴィオレッタは泉にリリアーヌを突き落とした。
間もなく、リリアーヌの子が生まれる。
子を産めないヴィオレッタは迫りくる現実に耐えられなくなったのかもしれない。彼はそう思った。
(リリアーヌ……)
今まで彼が会ったどんな令嬢よりも可憐でか弱く、純粋無垢な娘。自分の子を宿している彼女が、ロナルドは愛おしくて仕方なかった。
――『ヴィオレッタ様は、喜んでくれるでしょうか?』
美しいガラスの器を選び、ヴィオレッタに果物を差し入れるのだとはにかんだリリアーヌの笑顔が浮かんだ。
けれど、可哀想なリリアーヌは悲しみに打ちひしがれ、お腹の子にまで危険が及びかけたのだ――
そう思った瞬間、彼の全身を激しい怒りが駆け巡った。
(ヴィオレッタ……)
拳を震わせたロナルドは、ヴィオレッタの部屋へと向かった。
廊下に響く靴音は、ひどく硬く、速かった。
彼は、ノックもせずにヴィオレッタの部屋の扉を空けた。
「まあ、ロナルド様……」
振り返ったヴィオレッタは、彼の姿を見て嬉しそうに笑った。
その微笑みが、彼の怒りを更に煽っているとも知らずに――
「丁度良かった……お伝えしたい、大切なことがあるのです」
柔らかな声でそう言って歩み寄ったヴィオレッタを、ロナルドは凍てつくような瞳で睨んだ。
「お前が、ここまで性根の腐った女だったとは……ずっと騙されていたよ」
ロナルドの声は微かに震えていた。
まるでナイフで抉られたかのような胸の痛みを感じながら、ヴィオレッタは彼を見つめ返した。
「ロナルド様……いったい、何のことですの?」
「リリアーヌが差し入れた果物を捨てたそうだな」
「……林檎のことですか? あれは、腐っていたので食べられなくて……器を割るつもりはなかったのです」
必死に微笑んでそう答えたヴィオレッタに、ロナルドは「ハッ」と呆れたように笑った。
そして、ヴィオレッタをきつく睨み付けた。
「私が用意させた林檎だ。腐っているわけなどないだろう? 心優しいリリアーヌが、どれほど胸を痛めたか……お前にわかるか?!」
ロナルドは震える声でヴィオレッタを責めると、拳をきつく握り締めた。
「可哀想に、リリアーヌは寝込んでしまったんだぞ! お腹の子に何かあったらどうしてくれる?!」
掴みかかる勢いで激昂するロナルドに、ヴィオレッタの体は小刻みに震えた。
男性にここまで怒鳴られたのは、ヴィオレッタにとってはこれが初めてのことだった。
燃えるように揺れる榛色の瞳にまるで射抜かれたかのように、ヴィオレッタは身動きひとつ出来なかった。
「ロナルド様、わたくしは――」
「ヴィオレッタ……お前を妻に迎えたのは、私の人生で一番の間違いだったよ」
「っ……」
ロナルドの言葉に、ヴィオレッタの菫色の瞳にはみるみる涙が浮かんだ。
震える唇を噛み締めた彼女は、白い指先で下腹部を守るようにそっと触れ、下を向いた。
「泣き真似でもするつもりか? 必要ないぞ。私はもう騙されない」
震えながら顔を僅かに上げたヴィオレッタを見て、ロナルドは冷たく目を細めた。
「次にリリアーヌを泣かせたら容赦しない。……あの上物の林檎が食べられないのなら、何も口には出来ないだろう」
「部屋で水でも飲んでいれば良い。しばらく私に顔を見せるな」と吐き捨てるように言ったロナルドは、乱雑に扉を閉めて出て行った。
(わたくしは、どうしたら良いの……)
リリアーヌかメイドが、彼に何かを言ったのだろうか――
ロナルドは、完全にリリアーヌの味方だった。彼女たちのことを信じ切っているのだ。
「ごめんね……母様、泣き虫で……」
絨毯に崩れ落ちたヴィオレッタは、腹部を包むように抱き締めながら泣きじゃくった。
この別荘に、彼女を慰める者は誰もいなかった。
◇
午後になって、ヴィオレッタは一人厨房を探して彷徨っていた。
泣き腫らした目元が赤く、人前に出るにはみっともない姿だと彼女はわかっていた。
けれど、部屋に籠もっているわけにはいかなかった。
(何か口にしないと……)
医師の見立て通りつわりは落ち着き、食欲が出てきたヴィオレッタは水だけで凌ぐことなど出来なかった。
お腹の子のためにも、栄養のあるものを少しでも口にしたかったのだ。
「あら……ヴィオレッタさんじゃない」
ヴィオレッタが振り返ると、そこにはロナルドの母のアレクシアが立っていた。
「お義母様、御機嫌よう……」
ヴィオレッタはそれだけを口にして俯いた。
空腹と羞恥に耐えるだけで、精一杯だった。
「聞いたわよ……リリアーヌさんを泣かせたんですってね」
「大人しいと思っていたけれど、随分気が強いのね」とアレクシアは目を細めた。
「ヴァルデン侯爵家の名に傷が付いたら困るわ。見苦しい振る舞いは、今後は控えなさいね」
「お義母様、誤解なのです。わたくしは、そんなつもりでは……」
ヴィオレッタは、まるで縋るかのように胸元のルビーのネックレスを握った。
目を凝らすようなアレクシアの視線が、鋭さを帯びる。
ヴィオレッタの手から赤い輝きが覗いた瞬間、その目が大きく見開かれた。
「どうして、あなたがそれを持っているの?!」
目を吊り上げたアレクシアは、ヴィオレッタの胸元のルビーを掴むと力任せに引っ張った。
千切れた金の鎖が、アレクシアの手元で揺れる。
「お義母様、何をなさるのです! それは、ロナルド様からいただいた――」
「これはね、誕生日祝いにロナルドから贈られたものなのよ! まさか、あなたが盗むだなんて……」
「伯爵家の娘が、こんな浅ましい真似をするとはね」と汚いものを見るような目で、アレクシアはヴィオレッタを見つめた。
「評判が良かったから息子の妻として受け入れたけれど、あなたは子も産めないし、盗みもする……リリアーヌさんの方が、余程侯爵夫人に相応しいわよね」
ヴィオレッタは、グリーンのドレスの裾を力なく握った。
彼女は、もう何も口には出来なかった。
「ああ……千切れたから、修理に出さないと」
「嫌だわ。せっかくの息子からの贈り物なのに……」とヴィオレッタを睨むと、アレクシアは赤い宝石を握って去っていった。
(ロナルド様……お義母様にも、同じネックレスを贈っていたの……?)
ヴィオレッタは胸元で小さく拳を握った。宝石を握るこの仕草は、彼女の癖になっていた。
だが、そこにはもう夫から贈られたネックレスはなかった――




