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12話 届かない言葉

 侯爵邸が夕日に染まる頃、ヴィオレッタの部屋の扉が静かに叩かれた。

 彼女の部屋を訪れたのは、騎士と老執事だった。


「奥様……気付くのが遅れ、お許しください」


 老執事はヴィオレッタのやつれた姿に涙を浮かべると、深く頭を垂れた。


「ベネデット卿からお話を伺いました。私たちの力が及ばず、申し訳もございません……」

「いいえ……あなたたちには、心から感謝しているわ」


 それから、老執事がヴィオレッタの部屋まで水や新鮮な果物を持って来るようになった。

 ヴィオレッタはまだ少ししか食べられなかったが、噛み締めるように口にした。


『執事のバーネットが、お水と梨を持ってきてくれた。リリアーヌさんの果物を取ったと、バーネットは責められないかしら……それだけが心配だわ。もう少し耐えれば、安定期に入るはず。赤ちゃんのためにも、ロナルド様に報告しないと……。可愛い赤ちゃん、梨は美味しかったかしら? もうすぐ、母様は美味しいお野菜もお肉も、きっと食べられるようになりますからね』


 ヴィオレッタは、腹部を撫でながらまるで自分に言い聞かせるように呟いた。

 「きっと、喜んでくださるはずよ……」――と。

 彼女は、生まれた子を夫と二人で抱いて、笑い合える日が来ることを信じようとしていた――


 ◇


 その日、日が沈んでから、ロナルドはリリアーヌの部屋の扉を叩いた。


「リリアーヌ、体調はどうだ?」

「皆さんが良くしてくださるおかげでとても良いですわ……さぁ、ロナルド様、ゆっくりなさってください」


 愛らしく微笑んだリリアーヌは、ロナルドをソファへと案内した。


(あれは何だ……?)


 ソファに腰掛けたロナルドの視界の端に、木箱に乱雑に押し込まれた野菜くずが目に入る。


「リリアーヌ……その汚い野菜は何だ?」


 部屋の隅に置かれた木箱を隠すように、リリアーヌはロナルドの前に立った。


「これは……お庭に来る野兎にあげようと思って――厨房で貰ってきたのです」

「そうか……」


 リリアーヌを見つめたロナルドは、ふっと小さく笑った。その榛色の瞳は、彼女を愛しげに映している。


 「リリアーヌ、兎を買ってやろうか。お前のように可愛い白い兎を――」と甘く微笑んだロナルドに、リリアーヌの微笑みは僅かに引き攣った。


「いえ! エーリヒも産まれますし、動物はちょっと……」

「それもそうだな……エーリヒが大きくなってから、可愛い兎を飼おう」


 柔らかく目を細め頷いたロナルドに、リリアーヌは小さく笑みを作った。

 彼女の青い瞳が笑っていないことに、ロナルドが気付くことはなかった。


「――もう、それは要らないわ。片付けてちょうだい」


 その日の内に、野菜くずの入った木箱はメイドたちによって処分された。


 そうして数日が過ぎた頃――

 リリアーヌのお腹の子がいつ生まれても良い時期に入ったからと、リリアーヌとロナルドが南東の別荘地へと向かう日がやって来た。


「ロナルド様、わたくしは体調が悪くて……邸で休ませていただけませんか」

「……騎士と散歩する元気はあるんだろう?」

「それは……」


 ヴィオレッタに冷たい眼差しを向けたロナルドは、彼女の願いを聞き入れなかった。


(この子を、守らないと……)


 ヴィオレッタは、やっと膨らみ始めた腹部を包むように触れながら、ロナルドを見上げた。

 どこか緊張した面持ちに、ロナルドもヴィオレッタを見つめ返した。


「ロナルド様……実は、わたくしのお腹にも、ロナルド様の――」

「痛いっ! ロナルド様……お腹がぁ……」

「リリアーヌ! 大丈夫か?!」


 ふらつきながらやって来たリリアーヌに、ロナルドは顔色を変えて駆け寄った。

 心配そうなロナルドに、リリアーヌは弱々しい微笑みを浮かべる。


「ロナルド様がお傍に来てくださったら、少し良くなりましたわ……きっと、この子も安心したのね……」

「そうか……だが、心配だな。……別荘に行くのはやめておこうか」

「いいえ! わたし、とっても楽しみにしてたんです! ロナルド様が傍にいてくださったら、大丈夫ですわ」

「……わかった。馬車はゆっくりと走らせよう」


 「お前のために、新しく馬車を作らせたんだ。特注の柔らかな椅子だぞ」とリリアーヌに微笑んだロナルドは、彼女の背に手を添えて歩き出した。


「新しい馬車なんて……わたしなんかには勿体ないですわ」

「何を言っている。私の子がいる大切な体だろう。何かあってはいけないからな」


 楽しげに微笑み合う二人に、ヴィオレッタは腹部にそっと手をやった。


(可愛いわたくしたちの子……きっと父様は、あなたのことも大切にしてくれるはずよ)


 けれど、夫の笑みを浮かべる横顔が、どこか遠く感じた。

 まだ食事をほとんどとれていなかったヴィオレッタは、彼らの後ろ姿を見つめ立っているのがやっとだった。


「ヴィオレッタ様! 別荘で一緒に過ごせるのを楽しみにしていますわ」


 振り返ったリリアーヌの笑顔に、ヴィオレッタは力なく微笑み返すことしか出来なかった。

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