バカにつける薬(1706文字)
『バカにつける薬』が完成した。
天才薬学者エヌ氏渾身の発明であり、副作用もなければ値段もお手頃という、夢のような薬だった。
使い方も簡単。服用者の身長体重に応じた適量を、毎日数回に分けて飲むだけ。そうすればみるみるうちに頭が良くなるのだ。
唯一の短所は、すでに頭がいい人が飲んだところで、さして知能指数は上がらないこと。
けれどこれは長所にもなる。薬の買い占めによる知能の独占が起こらないからだ。
こういう特性があるので、研究者たちは『バカにつける薬』と呼んでいた。もちろん、正式名称ではない。
「この発明は時代を変えるぞ」
エヌ氏は色めきだった。薬効は国から認められて、製品化の認可も降りた。つまり、近いうちに『知の革命』が起こるということだ。誰もが聡明であり、愚かな過ちを犯さない……そんな理想の時代が来るのだ。
エヌ氏含め、科学者の誰もが世界平和を夢見た。
しかし、薬の一般販売開始から数日経って、エヌ氏は愕然とした。
売上が芳しくないのである。
資料を見れば、予想を遥かに下回っていることは、一目瞭然。
「どうしてだ。この薬の何がダメなのだ。みんな、賢くなりたくないのか!?」
エヌ氏は自分の研究室で、悲痛に叫んだ。
そこへ、一本の電話。
出れば、部下からの取次ぎであった。
内容は、『ある顧客がどうしてもエヌ氏に文句を言わせろと言って聞かない』ということだった。
この販売不調がまったく理解できず、なんでもいいから糸口が欲しかったエヌ氏は、むしろ乗り気になった。
「望み通り、私につないでくれ」そう伝えて、ちょっとの間保留音を聞く。
やがて、電話口の向こうに出たのは五十代くらいの男性客。
「おい、お前が開発者のエヌ氏か! まったくこの薬、どうなっとる」
さっそく、お冠だった。しかしエヌ氏はひるむどころか、前のめりになる。
「ええ、はい、いったい、いかなる理由がお気に召さなかったのですか。今回私が作り上げたのは、皆様にまったく危険性もなければ、負担もない薬でございます。ぜひ、ご不満をお聞かせ願いたい!」
「負担がない、だとぉ!?」
客は声を裏返して憤慨した。
「薬の飲み方が、全然分からんぞ! 私は身長170センチ、体重80キロだが、説明書を読んでも一向に服用量が分からない! 恥を偲んで買ったというのに、バカにしおって……!」
男の怒りの言葉を聞き、エヌ氏の方も、それは心外だと声を大きくした。
「そんな! たしかに説明書には有効成分に関していろいろ書いておりますが、大事なのは最初の一ページだけです。それも、冒頭の部分に要点は書いてあります!」
「最初のページだと? あのページが、一番訳が分からなかったぞ!」
「なぜです! たった三行にまとめているのに!」
思わずエヌ氏の方が声を荒げてしまった。これにはエヌ氏自身しまったと思ったが、向こうもびっくりしたみたいで、反論の言葉は返ってこない。
しめた、と思ってエヌ氏はまくしたてる。
「失礼しました。しかし、ご説明させてください。本当に単純なことですから」と。
エヌ氏には自信があった。このお客様はちょっと説明書を読むのを面倒くさがっただけ。わかりやすく説明すれば、ご納得していただけるはずだ。
さらにエヌ氏は、心の中でほくそ笑んだ。この販売不調のカギが、つかめたからだ。
そうか、たった三行にまとめても、この薬の購入層は読まないのか。であるなら、もっともっと単純な説明書を入れるようにすれば、すぐ売上も右肩上がりになるだろう……と。
エヌ氏はひと呼吸を置いて、丁寧に、ゆっくりと、服用法を話し始めた。
「まずは結論から申し上げます。身長体重が今おっしゃられた通りとすれば、朝起きてからすぐに1錠と、それから3時間後に2錠、昼食を取ったら2.5錠を飲み、夕食から3時間後に1.5錠を飲む、それでおしまいにございます。さらにはもしも一度飲むのを忘れたとしても、(起床から経った時間÷服用した錠剤の数)を、起床から{24÷(身長÷体重)}時間後に飲むことで、帳尻が取れるように設計しております。ええ……本当に簡単なことなのですよ、身長と体重を、最初のページに書いてあるたった三行の計算式にあてはめる、それだけのことなのですから……」




