表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
57/60

満ち足りた生活(1502文字)

 男は株式トレーダーであった。数年前、新興ベンチャーの急成長を上手く読み切って、ひとまとまりの財産を築いた。

 そして今では、豪奢な一軒家で満ち足りた生活を送っている。

 小鳥が悠々と飛び回れそうな広いリビング。映画を映すのにはもってこいの大型テレビがあり、青芝生の庭を一望できるスライド式の窓があり、海外高級ブランドから取り寄せた、四人掛けの木彫り細工の机もある。

 そんなリビングの真ん中のソファに、男は深くもたれ込んでいた。

 彼は、もう数年前から働いていなかった。毎日、株式を見ているだけで生活は成り立っていた。

 そんな、人生の勝利者であった彼の周りに、愛すべき家族たちがそれぞれやってくる。


「あなた、ご飯ができたわよ。冷めないうちに、お召し上がりになってね」

「ああ、そうする」

「お父さん、あとで時間があれば、私の部屋まで来てくれないかな。私なりにいい銘柄を選んでみたんだけど、お父さんのお眼鏡に適うかしら」

「ああ、あとで見に行くよ」

「パパ。ご飯をたべたあとは、お庭で遊びましょう。この前作ってもらったブランコ、押してほしいの」

「ああ、もちろん、そうするよ」


 しかし、その目には大粒の涙が浮かんでいた。


「ああ、そうする……」


 大きなプロペラファンがゆったりと回る天井を、男は見上げていた。口元の笑みの端で、頬を伝った涙が止まる。その唇は微かに震えていた。

 実は、男には一人抱え込んでいた秘密があった。

 数日前、突如としてA国を揺るがした、大手IT企業R社の倒産。その影響は市場全体におよび、何十年ぶりの世界恐慌が起こってしまった。

 経済的大火事は、男の口座にも波及した。持っていた株は全部焦げつき、見る影もない。

 もはや、助かる手立てはこの家を売り払い、家族たちに非情な現実を打ち明けるほかなかった。

 だが……男はごくりと唾を飲み、去っていく家族たちには何も言わず、シャツの胸ポケットに手を突っ込む方を選んだ。

 取り出されたのは、愛用のライター。

 男はついさっき、家中の火災報知機を停止してきたばかりだった。


 **


「ああ、くそったれ! また金持ちが早まったんだな!」


 エヌ警部は、かけつけた火災現場、黒こげの豪邸“だったもの”を見て、腰の横あたりの空を殴った。

 最近はこんな事件ばっかりだった。世界恐慌にて立場を失った資産家たちが、インテリとは到底思えないような決断をしてしまう。今日は日曜日。警部は目を細める。高級車二台の残骸が、つまり最悪の結果を予期させる。


 現場の方から、信頼できる部下、エフ氏が駆けつけてくる。今すぐにでもため息をつきたそうな表情をしていた。

 警部は奥歯を一度すり合わせてから、聞いた。


「犠牲者は、何人だった」

「……一人です」


 警部は目を見開く。


「一人?」

「ええ。検視官たちともくまなく探しましたが、間違いなく一人ですよ。この家の所有者アール氏でしょう」


 警部の丸くした目に、光が灯った。面識などまったくないが、アール氏のことをわずかばかり見直した。己の絶望は覆せなかったとしても、最後の一線で、家族を想う理性をなくさなかったということか。

 しかし、エフ氏はといえば目を逸らすように俯いた。

 そして、重々しくこう続ける。


「いいえ、警部。ご想像とはきっと違う結末です。というのも……アール氏は独身。その焼死体の周辺には、皮膜の溶けた女性型アンドロイドが三体。どれも最新鋭のモデルで、維持費だけで我々の年収が消えるような高級型。アール氏はおそらく、それらを手放す決断ができず、こういった結末を選んだのでしょう。さて、警部……この事件、故人を尊重して一家心中と呼ぶべきでしょうか。それとも、哀れな資産家の孤独死と呼ぶべきでしょうか……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ