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ラプラスの悪魔(2480文字)

 量子力学研究が発達し、ついに人類が『運命』を操る時が来た。


 薄暗い部屋の中に、いくつものタワーコンピュータが林立している。さながら小さなビル群のようで、道路代わりに、無数のケーブル配線が床を埋めていた。部屋の真ん中、すべてのコンピュータと繋がるデスクにて、アール氏はごくりと息を呑む。

 その手に持つのは、両目用スコープが着いた、ヘッドセット。

 名前を『ラプラス』。


「いよいよですね、兄さん」

「ああ。さっそくつけてみよう。まったく、神さまにでもなるかのような気分だ……」


 アール氏の隣には、その研究を甲斐甲斐しく支えた、妹のエル氏がいた。

 二人は世から名を潜めた、天才科学者兄妹。学生の頃からそれぞれ物理工学の才で名を馳せていたが、卒業と同時に、忽然と学会から姿を消した。そして、二人で住まう家の地下に籠り、この発明をやってのけた。

 アール氏は、高まる緊張を虚勢の笑みで誤魔化しながら、慎重にヘッドセットを取り付けた。

 取り付けた後の見た目は、さながら暗視装備をつけた隠密兵士。もっとも、その下に着るのが白衣であるところに、アンバランスな印象が生まれていたが。

 さて、つけてすぐ、ヘッドセットからキィーンという駆動音が鳴る。エル氏は、モニタリング用のタブレットを抱きしめ、兄を心配そうに見つめていた。アール氏の方はと言えば、自分の視界に表示される『解析中……』という文字が消えるのを静かに待っていた。

──ピコン。

 そして、クリーンな音が鳴った。

 『解析完了』という表示。兄妹の、ほっとした息が重なる。


「兄さん、見え方はいかがですか」


 エル氏の呼びかけと同時に、アール氏が椅子から立ち上がる。二歩、三歩と慎重に歩いて部屋の真ん中に立った後、くるくると周りを見回す。


「うん、クリアに見えてるよ」

「よかった……」


 エル氏が顔をほころばせた。緊張のせいか青白かった表情にも、血の気がともった。


「では、早速性能を試してみよう」

「ええ、兄さん」


 兄の呼びかけを聞いて、エル氏は後ろに用意していた小さな机の上から、二十面ダイスと革づくりのダイストレイを持ってきた。

 アール氏はそのダイストレイをじっと見つめてから、こういう。


「“ラプラス、あの二十面ダイスで十回連続『20』を出すには、どうやって振ればいい?”」


 ヘッドセットがキィーンとまたうなりをあげてから、アール氏の視界に表示された文字と一緒に、こんな合成音声が返ってくる。


『解答します。ダイスを握っている女性が、一度こめかみを左手の中指で触り、二度拍手をし、三度自らの右手の甲に口づけしたあと、十回振れば、連続で20が出ます』


 突拍子もない言葉だった。しかし、兄妹二人とも呆れないどころか、アール氏は真剣にエル氏を見つめ、エル氏もまたちょっと緊張しながら、左手を持ち上げた。

 彼女はこめかみを中指でとんとさわり、ぱん、ぱん、と手を合わせ、みたびその白い右手に唇をつける。

 それから間を開けず、エル氏はサイコロを投げた。

 ダイストレイの中で止まった、一回目の出目は──20。

 続けて、二投目をする。

 またも20。

 三投目。

 やはり20。


 五投目で、二人の額に汗がにじみ、七投目で、二人は無言のうちに、達成感を噛みしめていた。


 ダイストレイの上、十回連続で揃った『20』の数字を見たあと、エル氏はアール氏のもとへ駆け出し、抱き着いた。


「やりましたね、兄さん」


 アール氏も彼女を優しく受けとめ、髪を撫でる。


「ああ、これで僕らは世界の全てを手にしたも同然だ。もはや、怖いものなんてないよ」


 20の出目が十連続で出る確率は、おおよそ十兆分の一。偶然ではありえない。

 しかし、この『ラプラス』は、その視界に映ったものの量子的挙動を観測し、一緒に搭載された超高性能AIと合わせて、『未来に起きるふるまい』を予測するのだ。さっきのアール氏のように『望む未来』を伝えれば、その未来へとつながるような『現在のふるまい』を教えてくれる。


「では、さっそく開発費を回収しよう。ラプラス、どの株を買えばいい?」


 アール氏はエル氏の背中から手を離さぬまま、片手間にコンピュータを操って、銘柄情報を次々と眺めていく。ラプラスはずっと、駆動音をたてつづけていた。

──ピコン。

『解答します──』


 その夜、二人は遠出して一つ隣町へ向かい、二つ星の店にてディナーを味わい、三つ星ホテルの456号室に泊まった。そして家へ帰ってから、時価総額世界789位の企業の株を、なるべく買った。

 たった一か月後、株は大高騰を遂げ、二人は夢を叶えるだけの資産を手に入れた。


 **


 さらに三年が経った。

 二人は生まれた国から離れ、今では北欧の国で睦まじく暮らしていた。


 アール氏はこの国で機械開発系の働き口を見つけていた。もう十分に職場にも馴染み、頼りにされている。

 ここに来るとき購入した、三角屋根が可愛らしい家に帰ると、エル氏が温かく迎えてくれた。


「お帰りなさい」

「ああ、ただいま」


 アール氏が、粉雪を被ったコートをエル氏へと渡した。

 二人はあの三年前から、一度もラプラスを使っていなかった。

 株によって資産を築いた後、もう一度だけ使ったきり、家の倉庫の奥深くに隠してしまった。いつでも使えるような手入れは施しているが、当面使う予定もない。

 理由はシンプル。

 もう、二人の夢は叶ってしまったからだ。その行く末を覗くことは、ラプラスでさえ許されない。


「ぐっすり寝ているかい?」

「ええ……」


 クローゼットにコートをかけてから、寄り添って廊下を歩く。辿りつくリビングには、ほんのちいさく揺れ続ける揺りかご。その中に、二人の幸福は結実していた。


 アール氏の一日の疲れは、揺りかごを覗き込むだけで吹き飛ぶ。

 何一つ背負うものがない、安らかな寝顔……。

 アール氏がエル氏の肩を抱き寄せた。エル氏も何も言わず、頭を彼に預けた。

 アール氏は思う。

 もう一度ラプラスを使うことがあるとすれば、この日々が脅かされるときだろうと。

 天使には祝福されない幸福。

 いつか、この秘密を暴こうとする不埒者が現れるかもしれない。

 そのときこそは……。

 倉庫の奥で眠る悪魔に、また、力を借りねばならないだろう。

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