夢ガム(3368文字)
「博士、これはなんですか」
「夢ガムさ。噛みながら寝ると好きな夢が見られるという、優れモノだ」
エム博士が手に持つのは、プラスチック製の小瓶。丁度、どこにでも売っているガム瓶の見た目である。しかし、脳神経学やら口腔衛生学の叡智が詰まった、すばらしい発明品なのだ。
助手のエイチ君が目を輝かせる。
「好きな夢というのは、行きたかった場所へ旅行に行く夢や、好きなあの子と睦まじく過ごす夢というのも……」
「勿論可能だ。どうだ。今被験者が足りないところでね。君も使ってみるかい」
「よろしいんですか」
「ああ。使い方を説明しよう」
そういうわけでエイチ君はみっちり用法用量を教えてもらい、夢ガムの試供品をもらって、その夜、自宅で試すことにした。
「ええと、今日僕は『密かに思いを寄せているエスさんと、日本へ旅行に行く夢』を見たいから……『好きな人』味のピンク色ガムと、『日本』味の日の丸色ガムと、『旅』味の薄青色ガムを、一緒に噛めばいいんだな……」
エイチ君はそんなひとりごとを、ベッドの上で呟いた。夢ガムの瓶の中はアソート式になっていて、カラフルなガム群の中から、対応する色を取り出す。
今日のところは三粒。さっそく食べてみると、悪くない味がした。
「で……噛みながら……横になり……眠ると……」
くっちゃくっちゃ口を動かしながら、エイチ君は枕に寝そべった。寝ながらガムを噛むとは行儀が悪いし、眠くもなりにくいのではと思ったけれども、そこはエム博士も織り込み済み。入眠成分がガムの中に組み込まれているので、いつの間にかエイチ君は眠りに引き込まれる。キシリトールが配合されているので不衛生でもなかった。眠くなってきたところで、用意していたちり紙に吐き出すのがコツだった。
翌日。
元気いっぱいでエイチ君は研究室を訪れた。
「すごいですね博士! 本当に見たい夢を見れましたよ」
「そりゃよかった。そして、君が望むなら、より複雑な夢だって見られるんだぜ。協力がてら、今夜も使ってみてはくれないか」
「ええ、もちろんです!」
エイチ君は快諾した。
そして、その夜は『ファンタジー世界で剣士となり、ドラゴンを倒して美貌の姫を救う』夢を見るため、『ファンタジー』『剣』『竜』『美しい人』味の四つのガムを食べた。
さらに次の夜は『南国の島へと向かう途中船が難破し、無人島へ漂流してしまう。偶然一緒に流れ着いた美しい少女と力を合わせて生活し、最期には脱出する』というスリリングな夢を見るため、『南国』『船』『遭難』『島』『美しい人』『釣り』『狩り』『いかだ』味の八つのガムを食べた。
また研究所に顔を出したエイチ君。感想としてはこうだった。
「いやぁ、本当に素晴らしい発明ですよ博士。心躍る夢を見れるようになって、毎日眠るのが楽しみになりました!」
「そうかそうか。それはよかった」
「しかし……一点だけ懸念を挙げるとすれば、複雑な夢を見ようとするほど、ガムの量が増えてしまうことですね。昨晩なんて、危ないところでしたよ。なにせ、口の中にガムの塊があるんですからね。口から出す前に眠ってしまい、いっときは喉につまらせかけて、冷や汗かきながら体を起こしたんです……」
滑稽話のように語るエイチ君。その話を、エム博士は真剣な顔をして聞いていた。
そして、こう小さく呟いた。
「そろそろ実用化して構わないだろうな……」
「え、なんですって、博士?」
「ああ、その懸念点については改良を加えるつもりだったんだ。そこさえ乗り越えれば、一般販売できるだろうなと思ったのだよ。ありがとうエイチ君。いいデータが取れたよ」
「そりゃよかった。ええ、僕も楽しみにしていますよ。一般販売されたら必ず愛用します。なにせこれは、睡眠の革命だと言えるもの」
それから一年後、夢ガムは一般販売された。
**
夢ガムは瞬く間に世界中に普及した。
その結果、世界には目覚ましいくらいの、いい影響が巻き起こった。
まず何より、睡眠時間の改善。
これまでの世界では、特に労働者であれば「ああ、明日が来るのが嫌だ……」なんていって夜更かしをすることは一般的であったが、夢ガムが出てからは、「よし、今日のうっぷん晴らしに、好きな夢を見よう」と、さっさと寝てしまうようになった。
すると必然、睡眠時間も増えるから、体力も回復。好きな夢を見られる精神的回復も合わさって、みるみるうちに、現代人は目に輝きを取り戻していった。
次に、外向性の促進。
これはちょっと逆説的に聞こえるかもしれないが、いい夢を見れば見るほど多くの人は『現実でもやってみよう』という気分になるらしかった。
というのも、いくら好きな夢が見られると言っても、夢は夢。夢ガムは明晰夢を見せるわけではないので、起きた後には「ああ、いい夢だった」というぼんやりした記憶が残るだけなのだ。
これはつまり、現実の『お試し体験』となりうる。例えば、いつか沖縄に行きたいと思っている人が、夢で沖縄旅行できたとして、満足するだろうか。そう。満足しないどころか、むしろ「いつか必ず行くぞ」という気分になるものだ。おかげで、観光産業や文化産業に追い風が吹いた。消費が加速するので、景気も右肩上がりとなった。
こんな世間の反応を、例の研究所でエイチ君は、舌を巻いて眺めていた。
「博士。夢ガムの影響は、とんでもないですね。あの日僕は睡眠の革命だと言ったけど、違った。睡眠は、人間生活の根幹。つまり、人間の革命だったのかもしれない」
信頼する助手のお世辞抜きの言葉に、エム博士も顔をほころばせた。
しかし、満面喜色というわけにはいかなかった。
なぜなら、エム博士が手にする資料には、夢ガムが放った大きな光の裏側、ほんの小さな影の部分が載っているからだ。
エイチ君も、手持無沙汰だったので覗き込む。そして、悲しそうに眉を下げた。
「しかし……夢ガムの依存問題については、いい改善策も浮かびませんね。夢ガムはもはや、社会にとって精神インフラ。販売停止も考えられません」
「その通りだ。まったく、難しい問題だよ……」
と、エム博士はこれみよがしにため息をついた。
資料にはこんな文言が纏められている。
『夢ガムに依存することによる、引きこもり行動の加速……』
『夢ガムを食べ過ぎることによる、誤飲事故が多発……』
やはり、何事もいいことづくめというわけにはいかないものだ。
夢ガムで見られるのは仮初の体験だけ、ということが分かっていても、それによくない縋り方をする人間はいる。そして、より高度で複雑な夢を求めるうち……食べる量が多くなって、瓶に記載されている、一度に食べてよい最大の個数を破ってしまう人もいる。
「夢は見るものであって、溺れるものではない。とにかく、これからも安全のための広告は、大々的に打っていかねばならないね……」
エイチ君も頷いた後、仕事に戻るためその場を去った。
それから、研究所長室にて一人となったエム博士のもとに、ぴこんと一件、メールが届いた。見知らぬアドレスからのメールだった。
本文は、まずこう切り出される。
『エム博士。ありがとうございます』
どうやら、博士の公開アドレスに届いた、お礼のメールらしかった。
博士はじっくりと読み込み始めた。
『あなたの開発してくださった夢ガムにより、我が家の乱暴者だった引きこもり息子は、自ら寝たきりのような生活を送ってくれています。そのおかげで我が家には、久しぶりに穏やかな時間が流れています。先日、いつぶりでしょうか、娘に誘われて小旅行に出かけました。息子から解放されたひとときのなかで、ふと、涙がこぼれることもありました。
最近、夢ガム依存症のニュースがよく流れています。中には本当に悲しい事例もあるでしょうが、しかし私はこうも思うのです。
こんなにいい依存症は無いのではないか、と。
眠りの中で、静かに夢に溺れていられる──それは本人にとっても、周りの人間にとっても、一番の救いになるのではないでしょうか。
夢に溺れることを選んでしまうような、心の弱い人間には、と……。
……いや、過ぎた言葉ですね。お許しください。ですが、夢ガム依存症に、救われた人間もいることを、開発者のエム博士にはお伝えしたかった次第です。
拙文、失礼いたしました……』
──。
エム博士は、ひと息に読み終わった。
そして、どこか薄暗い色をたたえた目で、微笑んだ。




