NSNアプリ(3361文字)
戸豪博士は素晴らしい研究者だ。日々、社会を変えられるような発明をすることに、腐心していた。
そしてついに完成した。ねぐせだらけの頭で、モニターを見つめる。
「できたぞ、仁明君。これはきっと時代を変えるアプリとなる」
「ついにできたんですか、先生」
仁明君と呼ばれたのは、戸豪博士の助手である。顔が整った若手研究者だ。
「名前はなんというんですか」
「その名も、『NSNアプリ』だ。これは世にはびこるSNSアプリと、全く逆の性質を持つのだ」
「というと?」
戸豪博士は、パソコンといろんなケーブルでつながった、ヘルメットみたいな機械を持ち上げる。
「SNSアプリは、人の承認欲求を加速させるだろう。しかしこっちは承認欲求をなくしてしまうのだ。このヘルメットで、脳内にインストールして使うんだよ」
仁明君は苦笑した。
「そんなの誰が使うんですか。承認欲求が無くなっちゃあ、毎日に張り合いがありませんよ」
「使うのは、もちろん君だよ」
「えっ」
「まぁ、落ち着いて聞きたまえ。張り合いがなくなるというが、むしろ逆だ。仁明君はSNSをよく使っておるが、本当に承認欲求を満足させられているのかね」
仁明君はうっと図星をつかれた。彼はSNSのヘビーユーザーであった。
「いいねがつくつかないで悩まないし、他人の映えた写真を見て一喜一憂もしない。これは、現代人が失った心の静けさを取り戻すアプリなのだよ。どうだ、君が私の助手だから、いの一番に使えるんだぞ。副作用もないし……」
仁明君はちょっと悩んだ。実は仁明君はフォロワーを一万人くらい持っているやり手ユーザー。インテリだしイケメンだし、SNSの中の人気者なのだ。
けれど、毎日毎日投稿のことを考えて、おしゃれな店に行って、コメントに返信をつける日々に、飽き飽きしていたところだった。
「これでも、助手ですからね。断りはしませんよ」
仁明君はそう言いつつ、内心期待しながら、NSNアプリをやってみることにした。
インストール用のヘルメットをかぶる。
すると、側頭部の奥で何かが光るような感覚を受けた。
数日後。
「先生、おっしゃっていた通り、なんだか気持ちが静かです」
NSNアプリが普段の生活でどう働くか調べるため、あえて三日の休みをもらった仁明君が、研究室に帰ってきた。
「どんなふうにだい?」
仁明君の表情はすっきりしていた。いつにもまして凛々しい気もする。
「巷の流行が気にならなくなりましたよ。SNSを開く気がまったく起こりません。お昼を食べに外へ出向いても、写真を撮りたいなんて思いませんでした。いつもよりじっくり料理を味わえたんです」
「ほほう、それはよかった。では、不便になったことはあるかね」
「ありません。むしろ、SNSを触っていただろう時間を、研究にあてるようになりましたからね。休んでる間は、今参加しているプロジェクトの資料調べに没頭していました。アイデアも溢れてくるから、楽しくて楽しくて……」
博士は満足そうにうなずいた。
「そうだろう。狙い通りだ。肥大した承認欲求は、たくさんの心理エネルギーを垂れ流し続けるからね。それがなくなれば、エネルギーは本当に自分がやりたいことに向くというわけだ」
「ありがとうございます、先生。今の僕なら、もっといい研究者になれそうです」
仁明君はそれから別人のようになった。これまでは何事もそつなくこなすだけの彼だったが、今では毎朝一番に研究室に来て、夜遅くまでデータをまとめるようになったのだ。上司にも熱心にアドバイスを求める。そして、関わった皆に「ありがとうございます、本当に助かりました」と気持ちのいい感謝を送った。『どうだ、ここまで頑張る俺は優秀だろう』というような自己アピールも、全然ないのだ。
そんな彼を見て、周りの同僚たちは口を揃えた。
「あいつ、すごいな」
「最近の若者には珍しいタイプだ」
「こっちからの頼み事も、すんなり聞いてくれるしな」、と。
仁明君がNSNアプリを使っていることを、彼らは知らない。
だから、全部の評判が仁明君だけのものとなる。
戸豪博士はしめしめという顔をしながら見守っていた。
やがて、仁明君は研究中に重要な発見をし、プロジェクトを大きく進展させた。ついには、有名科学雑誌のインタビューが来た。
仁明君はいたって平静にこんなことを答えた。
──ええ、研究成果が社会に還元されることが、僕らのゴールです。
──研究は多くの仲間がいて初めて成り立ちます。僕がしていることなんて、ほんの少しです。
──はい、毎日研究詰めですが、僕はその方が満たされます。遊びたいとかは思いませんね。
ともすれば歯の浮くようなセリフであったが、本心であることが語り口から伝わったのだろう。仁明君の整った顔立ちと合わせて、このインタビュー記事がSNSで話題になった。
リプライ欄にはこんなコメントが溢れる。
『この人のような研究者が増えて欲しい』
『本当に真面目なんだろうな』
『ってかイケメンじゃね?』
〝イケメン研究者の活躍〟。キャッチーな見出しにより、インタビューは科学雑誌の記事としては無類のバズりを見せた。
もちろん、当の仁明君はそこまで話題になっていることを、気にもしない。NSNアプリはずっと頭の中で働き続けている。
ある日の休憩中。
戸豪博士のところに仁明君がやってきて、ちょっと愚痴っぽく言った。
「先生、最近いろんな人が研究室に来て、僕を取材したいというんです」
「うむ。そしてどのインタビューも断っていないそうだね」
「ええ、だって皆さん忙しいのに、わざわざ来てくださっていますから、無碍にできませんよ。でも、ここまでくると研究所の皆さんに迷惑をかけていないか、心配です。インタビューのために僕が抜けることも増えますし……」
「その点なら、まったく心配はいらん」
戸豪博士は力強く答えた。仁明君はそうなんですか? と小首を捻る。
「むしろ、君がインタビューを受けてくれて助かっているのだよ」
「えっ? というと」
戸豪博士は、自分の机の上に置いてあった、一冊の書類を見せた。
「これはなんと、かの有名企業T社との共同研究の依頼書だ」
「なんだって。それはすごい」
仁明君も目を丸くした。有名企業との共同研究なんて、二人が勤める中小研究所においては、一大事だ。それだけこの研究所が有名になったという証左でもある。
「まったく、君のおかげなのだ、仁明君」
「僕……ですか?」
仁明君は、本心から不思議そうな顔をした。そんな彼を見て、戸豪博士は好々爺のように顔をほころばせる。
「君のインタビューによってうちの研究の知名度もあがったのだ。確かに研究は内容が第一であるが、金銭的援助も不可欠。投資を得るためには、傍目に見てわかりやすいアピールポイントが必要だ。うちは今までその点が弱かったが……君の頑張りが世間に知られたことで、長年の悩みが解消されたのだ。本当にありがとう、仁明君」
それを聞いて、ぱぁっと仁明君の表情も明るくなった。
「ならば、なによりです。研究の中心を担っているのは先輩たちなのに、僕ばっかりインタビューしても仕方ないんじゃないかと思っていましたが……こういうところで、力になれているんですね」
「その通りだ。だからこれからも気負わず、うちの研究所の看板役を務めて欲しい」
「はい。もちろんです、先生」
仁明君は眩しいくらいの表情で、頷いた。
そして、この後もまた外向けの予定があるということで、その場から去っていった。
研究会議、インタビュー、TV出演のための打ち合わせ……。
今の彼は研究のためとあれば、身を粉にして働いてくれる。
「承認欲求がなくなった分を、自己実現欲求が埋め合わせているのだろうな。そうしなければ、アイデンティティを保てないだろうから……」
そんなことを呟いてから、戸豪博士は自分の椅子に、どかっと座りこんだ。
「NSNアプリの性能は素晴らしい。しかし、世に発表するのはもう少し後の方がいいだろう。まだまだ、良い使い方ができるからな……」
まだまだ注目は集められそうだった。そのために、今もこうして仁明君が方々を駆けまわってくれている。
「まったく、アプリと若者は、使いようだな」
戸豪博士は、SNSアプリを使ったことがなかった。
〝使われる側〟になんか、なりたくなかったからだ。




