表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/31

依存症外来(2569文字)

 ある依存症外来に、一人の中年男が訪れた。


「さて、今日はタバコ依存症の治療に来られたということで、聞いております」

「はい、先生。というのも、会社の健康診断を久々に真面目に受けてみたら、肺が黒すぎる、まるで炭のようだ! と、担当の医者にカンカンに怒られまして。タバコをやめなければ余命十年だぞと脅されるもんですから、怖くなったんです。といっても一日一箱の生活は簡単にやめられず、プロの手を借りるしかあるまいと思って、ここに来た次第です」


 はにかんだ男の歯は、ヤニで真っ黒。医者は肺を見ずとも重症具合がよく分かった。しかし、この医者は依存症治療の名医として有名であった。臆せず、男に力強い笑みを向けた。


「よくぞ勇気を持って来てくださいました。ここに来て、私が担当することになったのだから、もう安心です。一緒に禁煙生活を成功させましょう!」

「なんて心強い言葉だ、先生。僕も全力でついていきます。よろしくお願いしますよ!」


 男は感銘を受けて、立ち上がって先生の手を握る。医者も立ち上がってそれに応えた。



 さっそく治療が始まった。詳しく問診を受けたあと、医者から渡されたものを手にして、男は眉をひそめた。


「先生、ほんとに吸いたくなったとき、このチョコを食べるだけでいいんですか」

「はい、本当にいいんです」


 医者が力強く言うものだから、男はしげしげと手の中のチョコを見つめた。男が治療と称して渡されたのは、チョコの入った透明なケースであった。


「それはただのチョコではありません。ほんの少しだけ依存性のある、ニコチンよりはるかに毒性の少ない薬剤を混ぜているのです。シガレットの香りも不味くない程度につけているから、どうです、一粒食べてごらんなさい。タバコを吸いたい気が紛れるはずです」


 男はまだ半信半疑であったが、とりあえずと一つ食べてみれば、なるほど、疑問は払しょくされた。そして、先生の薦める意味が分かった。


「確かに味はチョコだが、タバコを吸ったあとのような気分になるぞ。これはいい代替品になるかもしれない」

「そうでしょう、そうでしょう」


 医者は満足げだった。


「そのチョコの開発には、製薬会社だけでなく一流ショコラティエも携わりました。依存症の治療において、代替治療は一般的な方法ですが、肝心の味をおろそかにしがちでした。なにぶん、医療・製薬業界だけでは発想がおカタくなって、患者さんの気持ちに寄り添わないからいけない。大事なのは味と、毎日の食べやすさです」

「こりゃ素晴らしい。なんだか私もほんとに禁煙ができる気がしてきました」


 男の表情も、うきうきしてきた。

 さらには、男には一つの逃げ道も用意された。もしどうしてもタバコを吸いたくなったら、医者に電話してからなら、一本だけ吸ってもいいという。

 こういうものは、逃げ道をバッサリ断ってしまうのもよくないと医者は言った。

 そして、ひと月後。


「お疲れ様でした。無事、約束どおりひと月経ちましたね。肺の検査の数値もよくなっております」

「ありがとうございます先生。しかし、完全な禁煙とはならなかったな……」

「いえいえ、きっちり約束は守ってくれたではないですか。一本だけ吸いたいなら、電話をする。実際に吸った本数は減ったでしょう。私はそれが嬉しいのです。確実に効果は出ています。では、次のひと月、食べていただくのはこのガムです」

「ガムですか、こいつぁ……」

「ええ、基本はグレープ味のガムなんですが、その成分ではさらに依存性物質を減らし、香りと味には、わずかなタバコのテイストに加え、チョコの風味も混ぜています」

「ほぉ……」


 男はそう言われて、もらったガムを食べてみれば、確かにチョコと同様、素晴らしい出来だった。

 とびきり美味しいとまではいかないが、毎日食べるのに苦がなくて、気持ちが紛れる味だ。

 先生は続ける。


「次はこいつをひと月、吸いたい気持ちの代わりに食べていただきたいんですが、今度どうしてもタバコを吸いたくなったときは、一度チョコを食ってから、私に電話してください。そしたら一本なら吸って構いません」

「ははぁ、なるほど。分かりましたよ先生」


 ここまで来たら男にも合点がいったらしい。先生は嬉しそうに頷いた。

 仕組みは単純で、どうしてもというときにタバコへの道は残しておくが、どんどん依存先を変えつつ、そこに辿り着くまでの手数を増やしていくのである。

 そのうちタバコまで辿り着くのが面倒くさくなって、吸うのを諦めるという寸法だ。


「ひと月前まで信じ切れていなかったけど、今となってはほんとにいける気がしてきました」

「そうでしょうそうでしょう」


 そうして、治療は続いた。

 このひと月後は、グレープガムから、マスカット味の飴へ。

 そのひと月後は、マスカット味の飴から、レモネードへ。

 そのまた、ひと月後は……。



「また、ひと月経ちましたね」

「はい、先生」


もう何度も通った診療室では、ともに晴れやかな顔で二人が向かい合っていた。

 特に男の顔色などは半年前から見違えるほどよくなって、健康的である。

 医者は、感慨深そうに、膝に手をついた。


「ここまでよく頑張ってくれました。さて、次のステップは、もう予想がついていると思いますが……」


 そして、医者はおもむろに、机の上に置いてあったペットボトルを一本、男に渡した。

 それはスーパーで大量に並べられている、大手企業のミネラルウォーターだった。


「これです。とにかく気持ちが落ち着かなくなったら、水を飲むんです。もちろん、水道水でも、何ら問題ありません。どうしてもというときこそ、またレモネード、飴、ガム、チョコ……と手を出してくれて構いませんが、その手順を踏むうちにもう、きっと気が紛れているはずだ」


 男も男で、しんみりと浸るような表情で、水を受け取った。


「ええ、先生。私ももう、毎日の暮らしの中で、タバコについて考えることなんか、本当になくなってしまった。あるのは確かな自信だけですよ。依存症を抜け出したっていうね。ここまで本当に、ありがとうございました」


 そう言ってボトルの蓋を開け、美味そうに一口水を飲んでから、ぷはぁと息を吐いた。

 そして、きゅっとボトルの蓋を閉めた。


「それで、最後に一つ聞かせてください。ひと月後は、次に何が代わりになるんでしょう。ころころ口にするものが変わるのが、今では楽しみで仕方なくって……」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ