天使の分け前(2317文字)
北欧の、とあるウイスキー蒸留所。
ここは世界的な人気ブランドの製造元だ。ウイスキー通ならば誰もが知っている名所である。
何とも言えぬ良い香りで満ちた、樽熟成庫の中に、ここの所長と副所長がいた。
彼らは難しい顔をしながら、物言わぬウイスキー樽たちを眺めていた。
「しかし、なぜこんなに、天使の分け前が増えたのだろう……」
「まったくどうしてでしょう。こんなこと、ありえないのに……」
所長と副所長は、樽の中のウイスキーの量が記載された、管理ファイルと樽とを見比べ、うんうん唸り続けるしかなかった。
天使の分け前とは、ウイスキーを熟成させる過程で、当初詰めた量から目減りする現象のことである。ウイスキー樽は完全に密閉されているわけじゃない。そのため、中のウイスキーがほんのちょっとずつ蒸発するのは、自然なことだ。でもファイルに数字として表れている通り、例年よりもその量が増えている。
というわけで、異常事態である。
「通気口、送風機に異常がないか、全部確認したか」
「しました」
「風向き、気温管理、湿度計に異常は」
「ありません。毎日、湿度も気温も一定です。ええ、責任もってやってますよ。この蒸留所を取り仕切る、プライドってもんがありますから」
副所長が胸を張る。しかし、その表情は青い。いくら仕事をちゃんとやっていようが、減っているものは減っている。これが社長にまで伝われば、責任問題になるだろう。
そういう立場にあることは所長も変わらない。けれど、彼の方は流石トップというだけあって、表情には全然動揺が浮かんでいなかった。
ただし、ペンでこめかみをノックする回数は、いつもより増えていた。
「とにかく、僕らが見るべきところはすべて見たんだ。それは間違いないね」
「ええ、間違いありません」
「となれば、原因は他にある。……いや、他にあることにしなければならない」
えっ、と副所長が驚く。
「他にあることにする……というと?」
間の抜けた副所長を、所長はじろっと睨んだ。
「社長が納得できる原因を、たとえでっちあげてでも、見つけるということだ」
「えっ、そんなことしていいんですか」
「いいわけあるか。しかしもはや、今すぐに原因を追究するのは難しい。であれば、地球温暖化、気候問題、空気汚染……なんでもいいから、それっぽい理屈を仕立て上げて、僕らのクビが飛ばないようにするのが最善だ」
「保身を優先するわけですね」
副所長は悪意なく言ったのだが、所長の目はつり上がった。
「嫌な言い方をするな。原因不明のトラブルで、僕ら管理者のクビが飛べば、それこそこの蒸留所の管理体制はがたがたになる。まずは僕らの立場を守り、それからまた時間をかけて、真の原因を探せばいい」
「はぁ……そういうものでしょうか……」
強引ではあるが、一理あるような論理展開をする所長。一方、強弁に呑まれて、なんとなく頷いてしまう副所長。こういうところに、彼らの給料の差がよく表れている。
「まずはデータを集めるんだ。近くで異常気象がなかったかとか、同じようなことが他のウイスキー工場でも起こってないかとか……調べてくれ」
「はいはい、僕の方でまたやっておきますよ」
「よろしく頼む」
それから、あ、そうだと所長がつぶやいて、顎を揉んだ。
「怠け者の作業員に、盗み飲みの罪をかぶせるというのも、一つアリだな……」
「えっ、そんなことしていいんですか」
「いいわけあるか。しかし、上手くいけば、不良社員の整理もできて、一石二鳥だろう……」
「おお、それはたしかに……」
また無茶なことを言っている所長。そして、斜め一歩後ろで、またも適当に頷いている副所長。こういうところに、なんだかんだ二人が長いこと、波風立たせず、蒸留所を取り仕切ってこれた由縁が表れていた。
そのまま二人は、樽熟成庫の出口へと、かつかつ歩いていった……。
そんな後ろ姿を、隠れもせず眺めるものがあった。
「あーあ。悪いことしちゃったね」
「いいんだ。仕方ない」
「仕方ないよね。僕らだって、やってられないんだから」
その声は、五段の棚になっている樽置き場の、一番上から聞こえてくる。
見れば、裸足をプラプラさせながら樽の上に座っている少年が二人。
二人とも白いローブを着て、背中から白い翼を生やしている。
どちらも声を潜める気配はないが、所長と副所長は、気づく様子もない。
なぜなら、彼らは天使であったからだ。
天使二人の手にはウイスキーグラス。まるで空気を握っているかのように、透明なガラスでできている。
中には極上のウイスキーがたまっていた。この蒸留所の樽の中でも一番よく熟成された上澄みだけを抽出しているから、これ以上ない黄金色に輝いていた。
二人は同時にグラスを持ち上げて、一息に中身を干した。
「ああ、美味しい」
「ここのウイスキーが一番おいしいね」
「だから天使みんながここを選ぶのも仕方ないよね」
「仕方ないよ」
彼らはふらふらとした口調で、つぶやきを交わす。
「そうさ。僕らだって、神さまがお許しになったから、分け前を増やしてもらってるのだし……」
「そうさ。彼らにも、許してほしい……」
「そうだよ。だって、爆発的に地球の人口は増えているのだもの……」
「そうだね。天国に来る人も、毎日ひっきりなしに増えてる」
「その分、僕らだって毎日、汗水垂らして頑張っているわけだから……」
二人の金髪はなんだかしっとりとして、その碧眼は甘美に細まっている。
絹のように白い顔のなかで、頬だけが薄赤色に染まっている。
二人はまた鏡合わせのように、上へ向かって、グラスを持ち上げた。
すると何もない空からウイスキーがとくとくと注がれ、たまっていく。
また二人は、グラスの縁に口づけをした。
今日は七日に一度しかない、彼らの休息日。




