外伝 アナスタシア事件 ~その4~
場を札幌市内の高級ホテルに移して、彰は事情聴取を行う段取りとなった。
「その前に紹介しておきます。彼女はロシア軍極東軍管区所属の……」
「ナターシャ・サフィーナ兵曹上長よ。年齢は17歳。よろしくね」
日南の言葉を遮ってナターシャは自己紹介をする。
ナターシャの素性はわかったが、なぜ彼女が一緒にいるのか彰には事情が呑み込めない。
「兵曹上長というのは、上級准尉で准士官のことですよ。すぐ上の階級が少尉と言った方が、ピンときますかね?」
片頬を歪めて日南は笑う(恐らくドヤ顔)が、彰には凄さがさっぱり伝わらない。
普通の高校生が階級のいろはを知るはずないのだから、当然だ。
「とても日本語が上手ですね」
階級うんぬんより、金髪碧眼の美少女が流暢に日本語を口にしていることに、彰は度胆を抜かれた。
それに一挙手一投足がキビキビしていて、いかにも軍人を思わせる動きをしている。
とても同じ年齢には思えない。
「それに背筋がピンとしていて、すごく姿勢が綺麗ですね」
「そんな風に見えてるんだ」
口元に手を添え、ナターシャは笑った。
「ええ。見えない圧力を感じますよ」
「それで妙に及び腰なのね? でも軍人の私から見れば、つい先ほど精霊と契約を交わしたばかりの一般人がマトリョーシカ(人形)を叩き潰した、という事実の方が驚きよ」
報告が上がってきたとき、ナターシャは何の冗談だと本気で思ったものだ。
しかし、それは事実だった。
目の前の普通にしか見えない少年がやったのである。
「あのロボットは、そんなに強いのか……」
「ロシアの有力な精霊使いが、次々に殺されたわ」
だからこそ、ナターシャは信じられなかったのだ。
ただの高校生がマトリョーシカを撃破したという話が。
「そろそろ本題に入っていいですか?」
自己紹介はもう十分だろうとばかりに、日南が口を開いた。
あまり時間を無駄にはできない。
「ごめんなさい、日南。彼に興味があって、つい話し込んでしまったわ」
ナターシャがウインクをして、日南に譲った。
それはとても魅力的だったが、彰は片思いの相手以外の女性に興味はない。
「どういう経緯でマトリョーシカとの戦闘に至ったか、でいいですか?」
片頬を歪めた笑みを浮かべ、日南は説明するように促した。
「ええ、構いません」
彰は全てを正直に打ち明けた。
精霊学園の男子生徒達との喧嘩の原因や仕返しを試みたことから、雷獣ハオカーとの契約、そしてマトリョーシカの撃破までを、余さず全部。
「何というか、完全にとばっちりですね……」
処置なし、といった表情で日南は首を振った。
やるせない気分なのだ。
阿弥にちょっかいを出してこなければ、
喧嘩の際に精霊魔法を使ってこなければ、
廃工場で飛び出さなければ、
誰も死なずに済んだ可能性が非常に高い。
若いが故の暴走で片付けるには、あまりに高い代償を払わされた……。
「マトリョーシカ、というのは誰が作ったんだ?」
可能ならば、彰は優と慎二の仇を討ちたかった。
そのためには、マトリョーシカの生みの親を知る必要がある。
「それは私から説明するわ」
再びナターシャが割り込んできた。
日南は小さく肩を竦めるも、大人しく引き下がる。
「マトリョーシカはアナスタシアと呼ばれる組織が作り出した兵器なの。もともとロシアの反精霊使い連合の1つ、それも小規模だったアナスタシアがマトリョーシカの力によって、ここ3、4年で急激に勢力を拡大し、極東地域において大きな影響力を持つようになったわ」
「反精霊使い連合?」
「Against Shaman Unionの頭文字を取って、通称ASUと呼ばれているわ。世界各国に存在するのだけれど、知らないかしら?」
「全く」
ここで嘘を吐いても仕方ないので、彰は素直に否定した。
今まで精霊使いと言う存在が、縁遠いものだったのだ。
「そう。アナスタシアはマトリョーシカを使いテロを始めた。それもロシア政府に対して影響力の大きい精霊使いを次々に暗殺していったわ。さすがに事態を重く見た大統領が軍を派遣したのだけれど……」
ここでナターシャの美しい横顔に翳りが見られた。
「ウラジオストックにあるアナスタシアの本拠地に軍が到着したときには、すでにもぬけの殻だったの。多分、情報が漏れていたんだと思う」
「……まさか、アナスタシアが次の拠点に選んだのは」
「そう。ここ日本の北海道のどこか、という情報を掴んだわ。それで私が調査のために派遣されたというわけなの」
ナターシャの話は壮大過ぎて、一介の高校生に過ぎない彰にとって現実味がまるで湧かない。
しかし、すでに親友を2人も失っているのは厳然たる事実だ。
「ここまでの話を聞いて、彰君はどうします?」
ナターシャの話が一区切りついたところで、日南が問うた。
「どういう意味だ?」
「友人の仇を討つ気があるのかな? そう思いまして」
日南は片頬を歪めた笑みを浮かべながら、彰の顔を覗き込む。
何もかも見透かしている、そんな雰囲気だ。
「仇を討てるものなら、絶対に討ちたい!」
個人でどこまで出来るかわからない。
それでも彰は、とことんまで喰らい付くつもりだった。
「それでしたら、どうでしょう。精霊レンジャー課、別名『精霊騎士団』に入りませんか?」
「日南!」
日南の提案に待ったをかけたのは、ナターシャだった。
「彼は民間人でしょ!!」
「ですが本日、彰君は晴れて精霊使いになりました」
「何が晴れてよ。ついさっき精霊と契約を交わしたばかりじゃない。絶対に駄目よ」
ナターシャは強硬に異を唱えた。
普通の生活を送れるのなら、絶対にその方が良い。
年端もいかぬ若者がその身を危険に晒すのは、自分だけで十分だとナターシャは考えているのだ。
「我々は猫の手も借りたいほど、人手が足りていないのです。だからナターシャ、あなたも受け入れた。それに決めるのは、あくまで彰君自身ですよ?」
日南とナターシャの視線が彰に注がれた。
その発言が待たれる。
「俺は……」
本音を言えば彰は怖かった。
廃工場では無我夢中で戦えたが、一度落ち着いてしまった今、振りかえってみると全身に震えが走ってしまう。
ハオカーが現れるという幸運がなければ、彰は今この場にいない。
だからといって、優と慎二の仇を討たなくていいのか?
そう問われれば、答えは当然NOだ。
彰は思い悩む。
そして、重い口を開いた。
「やはり優と慎二の仇を討ちたい。精霊騎士団とやらに入ることで少しでも目的に近付けるなら、喜んで入らさせてもらおう」
あるいは優と慎二はそんなことは望んでいないかもしれない。
草葉の陰で馬鹿な事は止せ、と胸を痛めているかもしれない。
「死ぬかもしれないわよ? それも高い確率で」
ナターシャは彰から視線を外さない。
キツイ言葉も相手を慮ってのことだ。
「逆の立場だったら、優と慎二もこうしたはずだ」
これだけは断言できた。
だから彰は仇を討つ決心をしたのだ。
「素晴らしい! 近日中にアナスタシアとマトリョーシカに関する全ての資料をお渡しします。それとは別に、彰君は精霊と契約したばかりで、精霊使いとしてはまだまだ未熟です」
それでもマトリョーシカを撃破してしまうのだから、日南はその実力を軽視して言っているのではない。
むしろ、さらなる向上の余地があると見ていた。
「そこで技術向上のために、2学期から精霊学園に編入してもらいます」
「は……?」
しかし、彰にとって寝耳に水だった。
思わずぽかんとしてしまう。
「強くなるためですよ。精霊使いとしての能力が高くなればなるほど、仇を討てる可能性が高くなるというのは理解できますね?」
「それは、まあ」
「他にも精霊魔法に関する知識も必要です。彰君が高校生でよかった。我々が教えなくても、精霊学園で学べますからね」
日南の言う事はイチイチ理に適っている。
彰には断る上手い口実が見つからない。
「転校の手続きはこちらでやっておきますので、心配しなくていいですよ」
例によって日南は片頬を歪めて笑った。
こうして彰は不本意ながらも、精霊学園に通う事となってしまったのだ……。
――5年前。
まだ小学生だった阿弥は母親に連れられ、ショッピングモールをうろうろしていた。
特に何か買ってもらえるわけではないが、小学生には目に入るもの全てが珍しい。
母子で買い物をする。
そんな当たり前の日常が崩れ去ってしまうのは、何とも呆気なかった。
「お母さん、今の何?」
突然生じたお腹に響くような震動に、阿弥は怯えた。
次いで近くから悲鳴が上がり、何かから逃れようとしている恐怖に顔が引きつった多くの買い物客が、こちらへ殺到してくるのだ。
「お母さん!」
子供ながらに、いや子供だからこその感受性で阿弥は危険を察知した。
生命の危険が迫っている。
一刻も早くこの場を離れるべきだ……。
「お母さん!」
もう1度、阿弥は母に呼びかけた。
事態を受け入れられず立ち竦んでいた母親が、やっと我に返った。
「あ、阿弥……!」
「急いで逃げないと!」
「そ、そうね」
母親は阿弥の手を離すまいとキツく握り締め、人の流れに乗って走り出した。
というよりも流されたといってよい。
「阿弥、手を離さないで!」
「うん!」
阿弥は母親とはぐれないよう、精一杯の力で母親の手を握り返した。
恐慌をきたしている買い物客の群集は、我先にと敷地の外に出ようとする。
しかし、このショッピングモールは国道沿いにあり、歩道がさほど広いわけではない。
車に撥ねられてしまう者が続出した。
それで立ち往生してしまい、買い物客の群れは行く手を塞がれてしまう。
そもそも大量の人間が一度に出られる場所ではないのだ。
ふいに、2人のすぐ傍で何かが爆ぜた。
水の精霊魔法が炸裂したのだ。




