外伝 アナスタシア事件 ~その3~
「なんだよ、これ。なんで、こうなるんだよ!」
ついさっきまで、優も慎二も精霊学園の男子生徒達も生きていた。
会話を交わしていた。
ただの高校生同士の喧嘩だったはずだ。
それが、どうしてこうなった?
どこで間違えた?
どれだけ自問自答しても答えは出ない。
力の限り彰は拳を握りしめる。
何よりも、己の無力さが情けなかった。
空を見上げると、雨粒が顔に当たり弾ける。
雨足が強くなってきた。
「杏華!」
精霊魔法の使い過ぎで、杏華が倒れてしまう。
もはや誰も彰を守ってはくれない。
「俺は、無力だ……」
彰の全身には絶望の色が湛えられていた。
刹那、体の芯が震えるような雷鳴が轟き、稲妻が彰に落ちる。
通常なら即死のパターンだ。
だが本人でさえ気づいていない事態が進展していた。
彰の内に宿る精霊力が、生命の危機に瀕して高まりを見せたのだ。
立て続けに三発の銃声が鳴り響く。
黒服が拳銃を抜いたのだ。
彰の脳裏に、
――こうしろ!
と直接声が響く。
意図せず彰はその通りに印を結んだ。
「雷の蜘蛛の巣!」
彰は防御魔法を防御魔法を展開していた。
雷の糸で弾丸を絡めとる。
それを、ほぼ無意識の状態で行っていた。
「そいつを殺すことを、最優先にしろ!」
黒服の命令で、金髪の女性が再び彰に仕掛ける。
しかし、すでに彰は頭に浮かんだ印を結び終えていた。
「落雷!」
雷雲から再び稲妻が落ちる。
ただし、今度は金髪の女性に向けて。
その威力は杏華や精霊学園の男子生徒達の精霊魔法と比べて、段違いの威力だった。
仰向けに倒れた金髪の女性の関節から、煙が吹いていた。
どうやら完全に機能を停止したようだ。
「ロボットだったのか……」
部品やビスが飛び散っているのを見て、彰は顔を顰めた。
が、それも束の間、急いで杏華のもとへ駆け寄る。
「杏華、大丈夫か?」
彰は丁寧に杏華の状態を起こした。
苦悶の表情を浮かべているが、命に別状はなさそうだ。
「なんとか、ね。それにしても驚いたわ」
「雷だと思ったら、雷の精霊ハオカー(雷獣)が体当たりしてきたんだ」
苦笑交じりに彰は答えた。
他に言いようがない。
「それで即、契約を交わしたという次第さ」
「ハオカーか。亜種精霊の中でも珍しい精霊なのよ」
「もう少し早ければ、優も慎二も、あの連中も死なせずに済んだのにな……」
彰の表情がちらりと揺れた。
全滅を免れただけでも幸運なのはわかる。
しかし、それでも!
という思いは募ってしまうのだ。
「そういえば、阿弥の姿が見えないが……」
今、この場で息をしているのは、彰と杏華の2人だけである。
黒服はとっくに逃げていたし、サラリーマン風の男は、いつの間にか射殺されていた。
恐らく黒服が始末したのだろう。
「2人とも無事だったのね」
ふいに視界の外から声をかけられる。
彰と杏華が目を転じると、心底ほっとした顔の阿弥がいた。
知らない中年男性と一緒にいるが、こんな場面で現れるといことは警察か、あるいは精霊使いの関係者だと彰は察した。
「お取込み中だとは思いますが、自分はこういう者です」
片頬を歪めながら(笑顔、なのか?)、男は懐から名刺を取り出した。
「精霊レンジャー課課長、日南巧?」
彰は名詞に綴られた肩書を知らない。
辛うじて政府に所属する何らかの組織だと推測できた程度だ。
「後処理は任せていただくとして、一両日中にお話しを伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」
日南の発言は、こちらの体調と精神面を気遣ってのものだろう。
「俺は今すぐで構わない。その代わり2人は帰してあげて欲しい。俺1人いれば、十分だろう?」
「ええ、それで結構ですよ。すぐにタクシーを手配します」
彰の提案を了承し、日南は片頬を歪めて笑った。
「阿弥、杏華のことを頼む。かなり無理をさせたから……」
「わかったわ。ちゃんと杏華の家まで送っていくから」
こくり、と阿弥は頷いた。
「彰こそ、あまり無理をしないで」
「ありがとう」
彰は杏華に微笑みかけ、そして阿弥に視線を移して2人とは別れた。
これから事情聴取をするために。
話を少し遡る。
「ごめん、杏華。先に行ってて」
杏華を置き去りにして、阿弥は雨中を疾駆した。
誰の視界にも入らない場所を確保し、戦いの様子を窺う。
もちろんマトリョーシカなら、阿弥の位置を把握するのは造作もないだろう。
ただ、それは問題ではない。
阿弥は黒服と同じ側の人間だからだ。
黒服が女を捕縛するように命令を変更したのは、阿弥がいたからである。
戦いはマトリョーシカが順調に、精霊学園の男子生徒達の命を奪っていく。
そして次は、彰達がターゲットとなった。
心が痛まないかといえば、嘘になる。
だが阿弥は自身の目的のために、あえて目を瞑った。
マトリョーシカの精霊魔法で優と慎二が倒れる。
「杏華が精霊使いだったなんて」
全く阿弥は知らなかった。
一瞬、裏切られた――。
そんな感情が芽生えるも、自分だってみんなに隠し事をしている。
さらに命を奪おうとしていた。
杏華のことを責める道理はない。
懸命に杏華は彰を庇いながら精霊魔法で戦う。
だが、それも長続きはしない。
無理をして地面に崩れ落ちてしまう。
「杏華……」
阿弥は杏華の秘めた恋心を知っているだけに、全てを諦めたかのように立ち尽くしている彰に苛立った。
例え逃げられなくても、その努力をすべきなのだ。
彰を殺そうとしている立場にも関わらず、阿弥は歯痒かった。
「な、何が起きたの……?」
突如、稲妻が彰に落ちたのである。
目が潰れないように、阿弥は腕で顔を覆った。
バン! バン! バン!
立て続けに銃声が3発鳴り響く。
黒服が拳銃を撃ったのだ。
「え?」
稲妻が落ちたのに彰が生きていることと、精霊魔法を行使したことに対して、阿弥は呆気にとられたのである。
彰は弾丸を精霊魔法で受け止め、そして……。
「うっ……」
再び落雷。
阿弥は前を向いておられず、今度は顔を背けた。
視力が回復し視線を元に戻すと、マトリョーシカが破壊されていて愕然となる。
だが即座に阿弥は我に返り、次の行動に移った。
彰が杏華に気を取られている間に、阿弥は黒服がいた場所まで移動する。
アタッシュケースを置き忘れて黒服が逃げたのだ。
ついでに……。
「ごめんなさいね」
阿弥は懐からサイレンサー付きの拳銃を取り出し、腰を抜かして動けないサラリーマン風の男を、眉一つ動かさずに射殺した。
次に逃走ルートを頭に描き、阿弥は黒服の先回りを試みる。
「忘れ物よ。ウラジオストックの拠点を放棄して、ロシア方面からの部品の供給はあまり期待できない。気を付けなさい」
黒服に追いつくと、阿弥はアタッシュケースを手渡した。
阿弥はアナスタシアという、もとはロシアのASUに所属している。
アナスタシアに限らず、ASUには政府に協力者がいる、というのは公然の秘密だった。
精霊使いというのは、どの国にも欠かせない戦力だ。
故に力のある精霊使いは政治に影響力を持ってしまう場合が、度々ある。
これは政治家からしたら面白くない。
そこでASUに話を持ちかけるのだ。
「資金や技術、情報を提供するから始末してくれ」
と。
極端な例だが、アナスタシアはそうしてロシアでは活動資金を得ていたし、ウラジオストックの拠点が襲撃された際にも、事前に情報を入手して撤退することが出来たという次第だ。
ちなみに阿弥もウラジオストックで活動していたときに、アレクサンドル・サフィーナを始め、多くの精霊使いを手にかけた。
特にアレクサンドルは娘の目の前で、脳天を撃ち抜いたのだ……。
しかし、ここは日本だ。
資金はロシアで存分に稼げたが、肝心のマトリョーシカの部品が入手しづらい。
いくら金を積んでも、なかなか手に入らないのだ。
「す、すまねえ」
黒服はビクビクしながらアタッシュケースを受け取る。
「ついでに口封じもしておいたわ」
「あ、あんたがいてくれて助かったよ」
「私もミスをしたから、そんなに怯えなくていいわ。それを父に届ければ失敗にはならないし」
事前に取引するのを聞いていたのに、阿弥はノコノコと現場に赴いてしまったのだ。
これを失敗と言わずして、何というのだろう。
「そ、そうか」
「ええ。あと伝言をお願い。高城彰という、とても強力な精霊使いが現れたと伝えて」
「あ、ああ。わかった」
「誰か来たみたい。誤魔化しておくから、早く行きなさい」
阿弥がそう言うと、黒服は踵を返し駆け出した。
彰と戦わなければならない。
その事実が阿弥の気を重くした。
「こちらに、いかにも悪人風の格好をした男が来ませんでしたか?」
声をかけてきた男は片頬を歪めていた。
微笑んでいるつもりだろうか?
阿弥は首を捻ってしまう。
「どうかしましたか?」
「い、いえ。私も逃げるのに必死だったもので……」
普通の女子高生を、阿弥は演じた。
ここでは、その方が都合が良い。
「ああ、それは考えが至らず、申し訳ありません。えっと、自分はこういうものです」
すっと男は胸元から名刺を取り出した。
「精霊レンジャー課課長? 精霊師?」
思わず阿弥は苦り切った表情となってしまう。
日本国首相直轄の組織の1つである、精霊レンジャー課が動いている。
精霊レンジャー課は別名『精霊騎士団』と呼ばれ、凄腕の精霊使いを数多く抱えていた。
その課長が、今ここにいるという事実が、阿弥を震撼させたのだ。
「こんな名刺を渡されても、わかりませんよね」
阿弥が渋面となっている理由を、どうやら男は勘違いしたようだ。
「え、ええ。漠然とスゴイ人なんだなあ、くらいしか」
「スゴイ人ですか。何だか照れますねえ」
男は片頬を歪めて笑った。
「あ、あの。友達が戦っているんです。助けて下さい!」
阿弥は精霊レンジャー課の課長、日南巧(名刺に書いてあった)の腕を掴んで、彰達のもとへ強引に連れて行った。
こうして黒服を逃すことに、まんまと成功する。
「2人とも無事だったのね」
そして阿弥は何食わぬ顔で、彰と杏華に声をかけた。
心の中でほくそ笑みながら……。




