外伝 アナスタシア事件 ~その5~
「きゃあ!」
阿弥は歯を食い縛り、踏ん張って風圧に耐える。
思わず瞑ってしまった目を恐る恐る開けると、大勢の人が横たわって、死んでいた。
「お母さん、これ……」
「阿弥、見ちゃ駄目!」
阿弥の目を塞ぐように、母親は抱き締める。
これが阿弥にとって、母親の温もりを感じる最後の機会となった。
水の精霊魔法が、冬月母子に襲いかかる。
その威力で母子は吹き飛ばされ、阿弥の意識は遠退いていく。
気を失いそうになるのを懸命に耐え、母親の体にしがみついた。
ここで気を失ったら死んでしまう。
その恐怖が逆に、阿弥の混濁した頭に自意識を保たせた。
「お母さん! 起きて、お母さん!」
母親はぐったりとして目を覚まさない。
阿弥は必死に呼びかけ、母親の体を揺さぶる。
このとき阿弥は現実から目を背けていた。
辺り一面を見渡しても、自分しか息をしている人間がいないのだ。
阿弥だけが母親の体を盾にして助かった。
それは、つまり……。
「ひゃひゃひゃ」
口元から涎をだらだらと垂らした男、藍英明がトロンとした目つきでこちらを見ている。
明らかに精神に異常をきたしている事が、小学生の阿弥でもわかった。
「どうして、どうしてこんなことするの?」
怖くて震えながらも、阿弥はなけなしの勇気を振り絞って男に疑問をぶつけた。
「ひゃ? こ、子供が、子供が死んで、人がたくさん死んで、うあ、うああああああああっ!」
急に頭を抱えて英明はうずくまってしまう。
何かトラウマを刺激したようだ。
「あんな子供まで、殺すことないじゃないか! あの人たちが、一体何をしたと言うんだ!?」
ガクガクと英明の全身が痙攣し始める。
その様子を、阿弥はただただ呆然と眺めている事しか出来なかった。
母親を殺された激しい憎しみ、恨み、そして怒りも、今はまだ感じない。
漠然と状況を整理しようとしている段階だ。
それでもこの異常な事態を、しっかりと瞼に焼き付けておかないといけない。
現在の子供の自分では知識が不足していて、何が起きているのか全く把握できなかった。
成長したときに、理解できる頭脳を持ったときに後悔しないよう、阿弥は必死で記憶しようと試みる。
特に目の前で塞ぎこんでいる男の顔を、
――絶対に忘れない。
心に刻んだ。
阿弥が日本で具体的な行動を起こすのは、この惨劇から5年後のことである。
夏休みも、あと少しで終わりを迎える。
そんなタイミングで杏華は街をぶらついていた。
あの事件以降、彰と阿弥には会っていない。
杏華は1人だった。
つい最近まで、みんなと一緒にファミレスで騒いでいたことが、遠い昔のように感じられ物寂しくなる。
無意識のうちに杏華の足が、いつも溜まり場にしていたファミレスに向いていた。
「…………彰?」
ガラス越しに、何やら真剣な面持ちで資料のようなものに目を通している彰の姿を杏華は確認した。
その対面には片頬を歪めた薄気味悪い笑い方をする、日南という男が座っている。
杏華は妙な胸騒ぎがした。
そして次の瞬間には、ファミレスのドアノブに手を伸ばしていた。
「マトリョーシカ(人形)を操るアナスタシア(人形使い)か」
彰は真面目な表情で手持ちの資料をめくった。
「もともと人間サイズのロボットを作ること、それ自体は困難ではなかったのですよ」
日南は片頬を歪めた笑みを浮かべながら、したり顔で説明する。
資料のマトリョーシカに関する部分が専門的すぎて、彰はちんぷんかんぷんだったのだ。
そこで日南に説明を求めたという次第である。
「あのマトリョーシカというのは、ほとんど人間と変わらなかったぞ?」
「まあ、マトリョーシカの出来は異常ですがね。アナスタシアは、よほど優れた科学者を抱えているのでしょう」
「心当たりがあるんですか、日南さん?」
「複数いる候補のうちの1人ですよ」
微妙な日南の返事だった。
何となく彰はそれ以上は踏み込めず、口をつぐんだ。
「マトリョーシカの特徴は、それまで解決出来なかった問題に、最適解を導き出したことですよ」
空気を変えるため、日南が話題を転じた。
人間サイズのロボットを人間並みに、いや人間以上の運動性能を求める。
それを可能にするには……。
「動力源か?」
「ご名答! ロボットに精霊と契約を結ばせることによって、精霊の精霊力を動力源とする。いやはや大したものです。まるでSFとファンタジーの融合ですよ」
日南は片頬を歪めて笑った。
人間サイズのロボットを、あの運動性を保ったまま稼働させるほどの小型動力源は完成していない。
まさかコードを付けて外部から電力を供給する、というわけにもいかなかった。
それらの問題点を解決したのが、精霊と契約を交わすという方法である。
「ロボットなら精霊から精霊力を引き出す時に、消耗しなくて済むからな……」
精霊魔法を行使する度に、肉体的にも精神的にも彰は疲弊させられる。
優れた精霊使いは巧く精霊から精霊力を引き出し、さらに己の精霊力を上乗せして威力の高い精霊魔法を放てるのだ。
だが、こればかりは経験がモノを言う。
つい最近ハオカーと契約を交わしたばかりの彰には、まだ無理だった。
しかしロボットなら、機械のため消耗を気にせず精霊から精霊力を引き出せるのだ。
「おまけに精霊魔法も使えますよ。技術的な面よりも、こういう発想力に驚かされます」
「これだけの物を作れるんだから、AIもお手の物なんだろうなあ」
ため息混じりの、彰は独白のような呟きをした。
技術の粋を集めている。
「ところで彰君、ロボットとサイボーグの違いはわかりますか?」
唐突に日南が出題した。
それに答えたのは彰ではない。
「ロボットは全身全てが人工物で作られ、サイボーグは生身の体に機械を組み込むのよ。一部分でも生身の部分があればサイボーグに分類される、でいいかしら?」
顔を覗かせたのは杏華だった。
腕組みをして2人のことを見下ろしている。
「よくご存知ですね。確か奥村……」
「奥村杏華よ。で、何をしているのかしら?」
さも当然という顔をして、杏華は彰の隣の席に座った。
いつもは阿弥に譲っていたが、今回は構わないだろう。
「2学期から精霊学園に編入することになったから、手続きについて色々と訊いているところだよ」
しれっと彰は嘘を吐いた。
「嘘でしょ?」
杏華の声が上ずっている。
バレた!
そう思い彰はびくりと体が強張るが、杏華は嘘を見抜いたわけではなかった。
「精霊学園に編入するって、どういうこと?」
「まだ杏華ほど上手く精霊魔法を扱えないし、何より知識が不足している」
これは彰にとって割と深刻な問題だった。
ハオカーという雷の精霊は、思いの外グレードが上の精霊らしい。
つまり強いから手を焼いてしまう。
彰としては、もっと上手にハオカーを使いこなしたいのだ。
「そっか。つい最近契約を交わしたばかりだものね」
杏華の目が優しく緩む。
どうやら納得してくれたようだ。
「奥村さんは精霊学園に合格していたのに、どうして行かなかったのですか?」
単に日南としては話題を逸らそうとしただけだった。
「どうしてそれを……? いえ、精霊レンジャー課なら調べれば、すぐわかることね」
「すみません。少しプライベートに踏み込み過ぎましたね」
「精霊使いなのに、精霊学園に通っていないのだから、気になるもの無理ないかあ」
あっけらかんと杏華は言うが、彰にも隠していたことだ。
正直あまり触れて欲しくない話題だった。
「ま、人それぞれさ」
彰は助け船を出す。
杏華のおかげで生きている。
文句があるはずがない。
「そうですね。人には色々あります」
心得たもので、日南は片頬を歪めた笑みを浮かべて席を立った。
「ここは払っておきますよ」
そのままレシートを手に取りカウンターへ向かう。
彰は精霊レンジャー課に所属することを杏華に知られずに済んで安堵した。
「どうも好きになれなかったのよ、精霊学園の人間が。もっとも受験で一緒になっただけなんだけど」
「そのわずかな期間で嫌われるとは、よっぽどなんだな」
「ホント、そうね」
杏華は彰の方へ向き直る。
真剣な面差しだ。
「彰は優と慎二の仇を討ちたいから、精霊学園に編入するのよね?」
「ああ」
彰はこくりと頷いた。
「これが逆なら、やはり優や慎二も今の俺と同じことをしたと思う」
「あの2人なら、確かに」
杏華は昏い目をテーブルに落とす。
その淋しげな横顔を目にして、彰は声をかけることが出来なかった。
「杏華……」
彰は完全に意表を突かれた。
精霊学園に通うことになった初日のこと。
杏華が精霊学園の制服を着て、彰の前に現れたからだ。
「私も通うことにしたから」
いまだ戸惑う彰に対して、杏華はキッパリと言い放った。
「彰を1人にしておくと、絶対に無茶するだろうし」
「むしろ無茶をしないよう、精霊学園に通うのだが」
「じゃあ、どうして精霊レンジャー課に入ったのかしら?」
杏華の言葉は、彰は絶句してしまった。
どうして知っているのだ?
「あのあと、日南さんを問い詰めたのよ。彰1人に無茶をさせないために、私も精霊学園に通うから」
さっと踵を返し、杏華は精霊学園へ向かう。
何のことはない、全て日南が吐いたのだった。
「仕方ないか」
彰は溜め息交じりに言った。
杏華も当事者である。
すでに巻き込まれているのだ。
それに彰にとって親友だ。
隠し事は良くない。
観念して彰は杏華の背中を追いかけた。




