第16章 舞台を降りる人々 ~その1~
「島根県でアブー・バクルの目撃情報があったというのは、本当ですか?」
シリウスに出向中の総司は、ジョゼフ・フッカー疑惑の眼差しを向けた。
すでに総司とシリウスの猟犬部隊は島根県に到着している。
「間違いない、と言いたいところだが情報の出所がホテルの支配人だからな……」
だが、何故か精霊レンジャー課やケルベロスは確実だと断言するのである。
どうもジョゼフ・フッカーには彼らの真意は測りかねた。
「ああ、それなら大丈夫ですね」
「北条君も、そう思うのかね?」
「ええ。横浜のホテルの支配人なら、まず間違いない情報です」
「どんな人物なんだ」
ジョゼフ・フッカーが怪訝な顔を浮かべるのも無理はない。
そのホテルの支配人、陸遜の事を知らないのだ。
「もしかすると、東洋一の情報屋かもしれません」
総司の見立てはあながち間違いではないかもしれなかった。
だからこそ、迂闊に手出しできないのだが。
「隊長、アブー・バクルは斐伊川を北上しているそうです」
例の如く、オペレーターが抑揚のない声で淡々と報告した。
「斐伊川?」
ジョゼフ・フッカーは河川の名前を告げられてもわからず、総司に解説を求めるような目を向ける。
総司は頷き、説明した。
とは言うものの、特筆すべき河川でもなんでもない。
「強いて特徴を上げるなら、ヤマタノオロチ伝説の元となった場所ですかね」
清涼な声で、総司は述べた。
世界5大陸の大河のような川は日本にはない。
それ以上、情報などないのだ。
「古いお伽噺があるくらいで、他は取り立てて特徴のない川ということか」
「その通りです」
「わかった。オペレーター、我々が行くまで隊員たちに足止めを命じてくれ」
ジョゼフ・フッカーはそう言い残すとバンを飛び降りた。
総司も後に続く。
「今回はナサニエルもケルベロスもいる」
盤石の布陣をジョゼフ・フッカーは敷いたつもりだった。
本来ならばナサニエルは交換要員なのだから、ここにはいないはずである。
しかし例のホテル支配人の情報を、片頬を歪めて笑う精霊レンジャー課の課長が丸呑みしたのだ。
それでナサニエルも総司も、斐伊川に集結していた。
あの小生意気なケルベロスも。
「今日で決着をつける!」
ジョゼフ・フッカーの鼻息は荒い。
対して総司は冷静だった。
何故、こんな場所にアブー・バクルは現れたのか?
きっと何らかの理由があるに違いない。
それを考える余裕が総司には会った。
理由については、ずいぶんあとになって判明するのだが……。
「む! あれは黒旗軍の、確か馮雲山といったか?」
ジョゼフ・フッカーの目が険しいものへと変わる。
荒くれ者の黒旗軍のなかにあって、馮雲山だけは異色の存在だったからだ。
まともな精霊使いという認識がジョゼフ・フッカーにはあった。
だが馮雲山はこちらの姿を確認すると、慌ててどこかへ逃げ出してしまう。
どうやら戦いが目的ではないようだ。
「我々の目的はアブー・バクルです。それ以外の者を、ましてや逃げた相手を構うのはやめておきましょう」
「交換要員に選ばれるだけのことはあるな」
はっとしてジョゼフ・フッカーは総司を見遣る。
まだ高校生ながら精霊レンジャー課で一番の使い手とされるだけのことはあるようだ。
「君の言う通りだ。アブー・バクルを倒すことに全力を尽くそう」
2人は川辺を上流に向けて駆け出す。
少し行った先で、すでに隊員たちがアブー・バクルと戦闘を開始していた。
「岩石の城壁!」
総司がシリウス猟犬部隊の隊員を守るために防御魔法を展開する。
おかげで、その隊員は命を落とさずに済んだ。
太陽の精霊ラーの力は、もしかしたら亜種精霊よりも上かもしれない。
自身も大地の巨人という石の亜種精霊と契約を結んでいるが、アブー・バクルの戦いぶりを見て1対1だと総司は勝てる気がしなかった。
「悠斗君は、よく生き残れましたね……」
思わず総司が唸ってしまうのも、無理もない。
「ナサニエルとケルベロスは、どこに行ったんだ?」
ジョゼフ・フッカーは憤った。
2人の姿が先ほどから見当たらないのだ。
肝心なときにいないとは、何事か!
幸い総司が何とか戦えるレベルにあるので、それをシリウスが援護する形で戦闘を進めていく。
交換要員に頼るとは、情けない話だが。
「とにかく遠巻きに囲んで、消耗させるんだ!」
激を飛ばしながらジョゼフ・フッカーも精霊魔法を放つ。
こちらが決定的なダメージを与えられないものの、アブー・バクルに致命的な精霊魔法を放たれないのは幸いだと思った。
「仮面のオジサンは、一体誰の味方なんだい?」
ニコニコと笑いながらケルベロスは問うた。
現在ケルベロスとナサニエルは、孫虎江と王慧琳に馮雲山、さらに高校生らしい少女という4人組と対峙していた。
「今は東方の三神山だな」
現在、江東の虎は仮面を被っているため、その声はくぐもったものとなっている。
「東方の三神山か~! って、よくあの日南とかいう人が見逃がしてるね?」
ケルベロスの台詞には棘が含まれていた。
一応、同じ陣営に属しているはずだ。
「どういうことなのかしら?」
王慧琳が孫虎江に怪訝な目を向ける。
本当に味方なのか疑わしい雰囲気が漂っていた。
「ここは俺と馮雲山で引き受ける。王慧琳、彼女と共に先に行け」
「……わかったわ」
何か隠し事をしている。
そう思い王慧琳は首を傾げるが指示に従った。
彼女たちの目的はアブー・バクル、厳密にはその契約精霊のラーなのだ。
「行かせて良いのか?」
ケルベロスがあっさり王慧琳と高校生らしい少女を見逃したことをナサニエルは意外に思い、ナサニエルは眉をひそめる。
「いいんじゃないかな? シリウスが狙いなわけではなさそうだし」
じゃあ戦う必要もないかなとケルベロスは思うが、仮面のオジサンには1本取られている。
ここらでキッチリ格付けをしておくのも悪くない。
「ナサニエルは馮雲山をお願い」
「江東の虎と一騎打ちで大丈夫か?」
「何とかなるよ」
そう告げるとケルベロスは改めて仮面のオジサンと相対する。
ナサニエルも指示通り馮雲山と戦うべく向き直った。
「じゃ、仮面のオジサン、行くよ~?」
いきなりケルベロスは両手で印を結び始めた。
そうはさせじと孫虎江はファイティングナイフを握り前へ出る。
「岩石の扉!」
まずケルベロスは簡単な防御魔法を展開した。
岩石の扉が出現し孫虎江の行く手を塞いだ、かに見える。
「ふん!」
ファイティングナイフに気合を乗せ、孫虎江は岩石の扉をぶち破った。
その勢いのまま、ケルベロスに急迫した。
「炎熱の重量刀!」
「流水の魔力付与!」
なんと、孫虎江はファイティングナイフで炎熱の重量刀を受け止め、じりじりと間合いを詰めてくる。
凄まじいまでの集中力だった。
「やるね、仮面のオジサン……」
さすがにケルベロスの笑顔が消えていた。
あまつさえ顕現した炎熱の重量刀を受け止めただけでも驚愕していまうのに、孫虎江はそのまま前進を続けているのである。
しかし、すぐに次の精霊魔法を放つべく印を結び始めた。
慄いていても解決しないのだ。
「炎熱の嵐!」
躊躇なくケルベロスは複合魔法を選択した。
これをまともに喰らえば待っているのは確実な『死』なのだが、中途半端に陣営を行ったり来たりする孫虎江が悪いのである。
「あれ?」
とっくに炎熱の重量刀は消滅している。
にもかかわらず、ろくに防御魔法を展開もせず孫虎江は炎熱の嵐を浴びたのだ。
ケルベロスがおかしな声を上げるのも当然だった。
では、まともに複合魔法に晒された孫虎江はどうなったのか?
「マズイ……」
ケルベロスは咄嗟に今いる場所を離れた。
炎熱の嵐を喰らったのは、水分身だったからだ。
大量の水分が地面に滴る。
さっきまでケルベロスがいた場所に、精密射撃さながらファイティングナイフが走った。
どうやら江東の虎も殺す気満々らしい。
「仮面のオジサン、ここら辺りで止めておこうよ?」
「断る」
「ええ~!?」
露骨に嫌そうな顔をしながらも、ケルベロスはしっかりと印を結んでいる。
戦闘中止を持ちかけたのは、時間稼ぎの意味もあったのだ。
ケルベロスは抜け目ない。
近接戦闘の専門家相手に、純粋な精霊使いとしての能力だけで対応しなければならないから、当然と言えば当然だ。
「炎のお兄さんと戦って、生き延びただけの事はあるね……」
ケルベロスは唸るも、自分も悠斗と同じランクにいると考えている。
だからこそ、目の前のファイティングナイフを手にした男に負けられない。
その後も一進一退の攻防が長い間続いた。
両者ともに、一歩も譲ることはない……。




