第11章 導火線 a fuse ~その2~
横浜中華街に聳え立つホテルの中でも、ひと際、高級そうな所へ入っていく妙齢の美女と顔を隠した男性という変わった組み合わせのカップルがいた。
「王殿、それにあなたは……。2人とも、よくぞ御無事で」
王慧琳と仮面の男、2人を出迎えた陸遜は諸手を挙げて歓迎する。
まさか生きて再会できるとは思わなかったのだ。
陸遜は2人を空いている中で最もグレードの高い部屋に案内した。
「何か、騒がしいわね?」
その途中で王慧琳はしかめっ面になる。
どんちゃん騒ぎをしている一室があり、ドアも開けっ放しで中には数人の男たちが上等な料理を下品な食べ方をしていたのだ。
見苦しいこと、この上なかった。
「おう陸遜。女を用意するとは気が利いてるじゃねえか。ま、おめえは日本にも情報を流してるんだから、このぐらい当然だわな」
下卑た笑みを顔中に貼りつけた、いかにも粗暴な男が王慧琳の尻を無造作に鷲掴みにする。
黒旗軍の提督、劉永福だった。
「なっ……!」
王慧琳は睨みつけるが、劉永福はニヤついたまま手を離さない。
「それぐらいにしておくんだな」
仮面の男が劉永福の手首をねじり上げる。
たったそれだけで、動きを封じてしまった。
「て、てめえ! 俺にこんな事をして、タダで済むと思ってんのかあ!?」
その劉永福の声で、ぞろぞろと黒旗軍の兵隊たちが集まり始める。
みな屈強な男どもで、凶暴さで名を馳せていた。
だからホテルで好き放題されても、陸遜は何も言えないのだ。
「タダで済まなかったら、どうなるんだ? 群れを成さなければ、何もできない黒旗軍の頭目よ」
仮面の男は静かに顔を覆っている仮面を外す。
顔面の右半分が焼けただれていた。
「……お前は」
しかし劉永福が息を呑んだのは火傷の痕ではない。
その男の正体に驚かされたのだ。
王慧琳も仮面の男の正体を初めて知った。
警戒感も露わに距離を取る。
「どうしてブータンでは、敵に回ったの?」
「香港四天王、王慧琳。あの戦いに義はあったのか?」
「それは!」
「劉崇が勝ち、もしブータン王国を制圧していたら世界中から非難を浴びただろう」
そこで仮面の男、孫虎江は劉永福にじろりと目を向けた。
「一応、中国領内とされているチベットやウイグルとは違うのだ」
黒旗軍が乱暴狼藉を働いているチベットやウイグルと違い、ブータン王国は国連加盟国だ。
そんな所を武力制圧したらどうなるか?
アメリカを始めとした欧米列強が攻め込む口実を与えることになる。
万が一の可能性だが、核戦争に発展するかもしれなかったのだ。
「江東の虎に香港四天王か。負け犬同士で、仲良くやってろ!」
嘲るように薄ら笑いを浮かべ劉永福は吐き棄てた。
「黒旗軍が日本で活動するなら、精々気を付けることだな」
特に機嫌を損ねもせず、孫虎江は忠告する。
「そうね。日本には優れた精霊使いが数多くいるわ」
王慧琳も孫虎江の意見に同調した。
「貴様らと一緒にするな。任務のついでに、例の紅悠斗の首も取ってきてやるよ」
黒旗軍の構成員は部屋に戻り、再び暴飲暴食を始める。
まるで感情の赴くまま行動をする、幼い子供のようだ。
「陸遜殿、もう少しの我慢だ」
「ええ、江東の虎の言う通りね」
2人が言わんとしていることが、陸遜は即座にわかった。
「黒旗軍も、あまり先が長くないと?」
その質問に、孫虎江も王慧琳も答えない。
『3人』とも、ただ微笑むだけだった。
偽造パスポートと偽の戸籍を使い日本に入国したアブー・バクルは、数週間前のことを思い出していた。
そのときはエジプトにいて、まだ大統領の護衛をしていたのである。
大統領の政策に不満を抱いた民衆がデモを起こし、軍がそちらへついた。
軍も自分達に圧力をかける大統領の存在が、目障りだったのだ。
日に日に悪化していく治安。
そして歯止めのきかない物価の上昇。
じりじりと高まる民衆の不満。
エジプトの情勢は坂道を転げ落ちるように酷くなる一方だった。
膨張した風船が割れるように民衆の怒りが爆発し、ついに武力衝突へと発展してしまったのである。
政府と政府を支持する宗教組織の政府派。
軍が味方に付いた民衆。
この2つの勢力による争いは、軍部がついた民衆側が圧倒的に優勢だった。
そんな不利な状況をどうにか互角に持ち込んだのが、アブー・バクルなのだ。
彼は精霊使いなのだが、契約している精霊はラーという太陽の精霊である。
ラーは現在の精霊体系から完全に逸脱した存在で、古代精霊と呼ばれる強力な精霊だった。
火、風、土、水、雷、氷の中では火属性に近いが、火の精霊ではない。
完全に独立した別系統に属していた。
アブー・バクルはラーの力を駆使し、軍とも拮抗した勝負をしていたのだが、そこへ厄介な精霊使いが現れたのだ。
アフリカ、アラブ諸国最強と噂される精霊使いメネスである。
土の王、魔獣ベヒモスと契約しているメネスは、さすがに強かった。
彼が民衆側に加わったことにより、一気に均衡状態は崩れてしまう。
大統領は辞任に追い込まれ政府は解体、アブー・バクルも国外へ逃亡せざるを得なかったのだ。
日本を選んだのは、
「日出ずる国に、より強力な古代精霊がいる」
とラーが囁いたからである。
その力を得るのがアブー・バクルの目的だった。
ただ、薄々気付いてもいる。
それとなく日本に誘導されたことを。
アブー・バクルのような危険人物を、どの国も受け入れたくないのは当然だ。
敢えて日本行きの飛行機の警戒レベルを落とすことで、行き先を絞る。
まんまと欧米諸国の策略通りにアブー・バクルは動いた。
他国がどうなろうが、それは知ったことではない。
平和ボケして様々な規制の緩い極東の島国は、厄介事を押し付けるにはうってつけなのだ。
制限なく、また管理もせずに隣国の半島の人間を疑いもなく受け入れてしまうほどである。
エジプト人の1人や2人くらい、どうとでもないに違いない。
そんな欧米諸国の思惑が働いた結果、アブー・バクルという古代精霊の契約者を日本は入国する破目になってしまったのだ。
そして一番迷惑を被るのは、常に現場の人間だった。
「アブー・バクルが日本に入国しました」
アブーバクルを尾行している隊員から無線で連絡が入り、それをオペレーターはシリウスの狂犬部隊の隊長であるジョゼフ・フッカーに伝える。
「そのまま追跡を継続するよう指示しろ」
狂犬部隊も来日したばかりで、まだ戦う準備が出来ておらずジョゼフ・フッカーはターゲットを泳がせることにした。
「了解しました」
機械的なやりとりが車内で行われる。
外観は普通のバンだが、中は通信機材が所狭しと設置されており動く司令室の態を成していた。
民間軍事会社である彼らは効率が求められるのだ。
闇雲に戦闘を仕掛ければいいというわけではない。
そもそも目的はアブー・バクルの拘束ではなく、ラーという名の古代精霊の情報収集だった。
「日本の精霊使いがちょっかいを出してくれれば、ありがたいのだがな」
顎に手を当てながら、ジョゼフ・フッカーはふんと鼻を鳴らす。
そんなに都合良くいくはずがない。
だが人員にも限りがあるし、戦わずに済ませられればそれが理想的である。
エジプト軍が、もう少しまともな情報を提供してくれれば他に手の打ちようもあったかもしれないが、ここでゴネても仕方なかった。
「ナサニエルは、まだ到着しないか?」
ジョゼフ・フッカーはオペレーターに確認を取る。
ナサニエル・グリーン。
シリウスに在籍している精霊使いの中でも指折りの実力者だ。
優秀さ故に、別件で合流が遅れていた。
指揮官としてはベストな布陣を組みたい。
戦力を出し惜しみしては、却って犠牲が増えてしまうことを経験からジョゼフ・フッカーは知っていた。
「残念ながら、あと2、3日かかるそうです」
「うむ。やはりここは、模様眺めしかないか」
歯痒いが仕方がなかった。
民間軍事会社は軍ではない。
国家の後ろ盾がないということは、賠償を国が受けおってはくれないのだ。
もちろん国から依頼された仕事は別だが、今回は完全にシリウスのオーナーの個人的な要望なのである。
そこのところも、ジョゼフ・フッカーは言い含められていた。
「付近の公園や空き地をピックアップしておいてくれ。住宅街での戦いは、なるべくなら避けたい」
手かせをされた状態でもベストを尽くさなければならない。
そのためにジョゼフ・フッカーは存在するのだった。




