番外編 霧の都の休日 ~その4~
『あの、すみません。シャルロットは……?』
達也は退院したあと、すぐにクロウリー家に足を運んだ。
そこで待っていたのは、例のメイドである。
『オズワルド氏の演説が行われる、トラファルガー広場に向われました』
無表情のまま、メイドは抑揚のない口調で返事を寄越した。
一発で、達也はシャルロットが何をしようとしているのか見抜く。
『ありがとう!』
礼を述べると達也は踵を返し、トラファルガー広場目指して駆け出した。
その背中を見送りながら、冷めた顔でメイドは小首を傾げる。
『ありがとう、ですか』
聞き慣れない言葉に戸惑ったのだ。
『そなたも、一緒についていって構わんのじゃぞ?』
背後から声をかけられ、メイドは丁寧な仕草で振り向く。
『私は……』
『セシリア。シャルロットとそなたは従姉妹だ。手伝ってやっても、いいと思うがの』
アレイスター・クロウリーは、そっとセシリア・ロックウェルの肩に手を置く。
セシリアの母、つまりアレイスター・クロウリーの娘は精霊使いとではなく、一般人と家庭をもった。
しかし、この婚姻は周囲に受け入れられずセシリアの母は失意のうちに病死し、アレイスター・クロウリーが孫娘を引き取ったのである。
精霊使いと、そうでない人間の溝は大きい。
一生懸命なじもうとしていた母の姿を目撃し、幼心に胸を痛めたことをセシリアは覚えていた。
クロウリー家にしても、グレートブリテン全ての人々から認められているわけではないのだ。
『まあ、好きにすると良い』
そう囁くとセシリアの祖父は寝室に引き籠ってしまう。
達也に協力する事は吝かではない。
精霊使いとしての力を振るうことに、セシリアは二の足を踏んでしまうのだ。
ロックウェル家の人々は母に冷たかった。
精霊使いに冷酷な人々を、どうして精霊使いが助けなければならないのか?
テロで人が死のうが、そんなものは放っておけばいい。
シャルロットや祖父が、どうして人々を守ろうとするのかセシリアは理解に苦しむ。
『だけど』
達也という少年のことが気になったし、少しは疑問が氷解するかもしれない。
気が付けばセシリアの足は床を蹴っていた。
トラファルガー広場でオズワルドの演説は始まっていた。
『アイルランドを統合すれば、テロも無くなる! もちろん、それ相応の権利を与えること約束しよう!』
かなり乱暴なことを豪語していた。
護衛のSPも気が気でないのだろう。
周囲に対する警戒ぶりが尋常ではなかった。
『そりゃテロの標的になるわけだ』
レストレードは呆れ気味に肩を竦める。
『せいぜい撒き餌として使わせてもらうさ』
スコットランドヤードの警官達も、かなりの数が動員されていた。
ここでシャムロックを崩壊まで追い込む。
そのための絵図は、すでにレストレードの頭脳に描かれていた。
『随分、余裕なのね?』
シャルロットが怪訝な目をレストレードに向ける。
『ていうか、1人でぶつぶつ気持ち悪いわよ』
『これはこれは、痛いところを突かれましたな』
苦笑を浮かべながらもレストレードはおちゃらけた調子だった。
どうも、この男はどこか芝居がかったところがある。
見る人が見れば、片頬を歪めて笑う人間にとてもよく似ているのだが、シャルロットも達也もその人物とは縁が薄かった。
『さて、始まったようですよ?』
レストレードは呑気な口調で告げる。
言われてみれば、遠くから微かに銃声が轟いていた。
しかし、レストレードは動かない。
『どうかしたの?』
むっとした目でシャルロットはレストレードを見る。
シャムロックが現れたのに迎撃に行かないの理由がわからなかった。
『数で劣る相手が、あのような目立つ行動を取るでしょうか?』
当たり前の疑問がレストレードの口から発せられた。
正面から戦って勝てないから、テロ行為に走るのである。
『我々はオズワルド議員の近辺で警戒にあたりましょう』
さっと身を翻したレストレードは、演説の壇上から離れようとしないオズワルドのもとへ駆け寄ろうとした。
だが逃げ惑う聴衆達が行く手を塞いでしまい、立ち往生してしまう。
『いた! フィン・マックールが、そこに……』
観衆の中に紛れていたフィンをシャルロットは見逃さなかった。
何の事はない、最初からすぐ近くに潜伏していたのである。
氷の槍が顕現し、獲物を狙う猛獣のように襲いかかった。
『SPの精霊使いは、何をしているの?』
オズワルドの周囲に防御魔法が展開される気配を、シャルロットは全く感じないのだ。
『オズワルド議員は、精霊魔法を信用していないのですよ』
そのフィンの台詞に、シャルロットはぎょっとした。
『まさか! それじゃあ』
氷の槍を防ぐことは出来ない。
絶望的な光景に、シャルロットは愕然とした。
オズワルドは精霊使いの有用性を認め、軍に組み込むことも賛成しているが、自分の護衛として傍に置くことを嫌っていたのだ。
レストレードも諦念したような顔をしている。
氷の槍が、いよいよオズワルドの目前まで迫ったとき、轟然と炎熱の柱が立ち上った。
しゅっと音を立てて氷の槍は溶けてしまう。
『達也!』
自分の背で庇うようにオズワルドの前に立つ達也の姿をシャルロットは認めた。
その傍らにはメイドのセシリアが控えている。
『む!』
思わずシャルロットはヘソを曲げてしまう。
達也の横にセシリアがいるのも気に食わなかったし、その逆もまた面白くなかった。
従姉妹の自分にも心を開かなかったというのに、どうして達也に……?
『どうかしましたか?』
意味深な目でレストレードはシャルロットのことを見遣った。
『何でもないわ! それより、私たちも急ぐわよ』
強引にシャルロットは人の波を掻き分け、達也と合流しようとする。
レストレードも黙って後に続いた。
まだ脅威が去ったわけではないのだ。
フィン・マックールは力押しをする気のようだ。
『昨日の坊ちゃんじゃないか』
『今度は俺が相手をさせてもらうよ』
精霊使いの相手は精霊使いがする。
周囲を護衛のエキスパートが固めている状態なら、達也は目の前の精霊使いに専念できた。
テロ組織の構成員はSPに任せておけばいいのだ。
彼らはその道のプロなのだから。
『炎熱の重量刀!』
機先を制すべく、達也はいきなり大技を繰り出した。
精霊争覇戦や香港軍との戦いを経て、達也の精霊使いとしての能力は向上している。
ある程度、大きな精霊魔法を放てるようになっていたのである。
『絶対零度の剣!』
だがフィンもただ者ではない。
織姫の得意な精霊魔法である絶対零度の剣で炎熱の重量刀を相殺してみせた。
『ほ。なかなか大したもんだ』
軽口を叩いてフィンはバックステップで後方へ跳んだ。
『いけない』
抑揚のない口振りで言うと、セシリアは迅雷を発動させた。
瞬く間に達也を両腕で抱きかかえ違う場所へ移動する。
畢竟、先ほどまで達也がいた場所で爆発が起きた。
『へえ。そのメイドさん、雷の精霊使いなのね』
グラーニアは自分の投げた手榴弾の効果がなかった理由を知った。
すでにオズワルドも安全な場所に退避している。
『ずいぶんと余裕のようだが、昨日とは状況が違う。逃げられると思っているのか?』
今回は達也も退く気はない。
包囲の輪が狭まれば、フィンとグラーニアは逃走出来ないはずだ。
『その状況判断の正確さは、見事なもんだな』
達也の指摘の正しさをフィンは認めつつ、なお余裕の表情を崩さない。
グラーニアも同様だ。
『まだ、何か奥の手があるのか!』
『グレイト! ここで殺すには惜しいな』
フィンは再び印を結び始める。
その手の動きは熟練した精霊使いのものだ。
『氷霧!』
小さな氷の結晶が周辺に漂い、視界を塞ぐ。
フィンとグラーニアはあらかじめ決めてあった逃走ルートで撤退を開始する。
例え視界が悪くとも、迷うことはなかった。
それにフィンとグラーニアの2人も陽動なのだ。
安全な場所に退避し、油断したところを一番強い刺客が突く。
ここまでは完全にシャムロックのペースだった。
シャルロットとレストレードは、首尾よくオズワルドの護衛として紛れ込んでいた。
しっかりとした身元の人間なら、いくらでも欲しいというのがSP達の本音だ。
スコットランドヤードの警部とロンドンの守護者、クロウリー家の手の者なら何の不足もない。
『達也、大丈夫かしら?』
シャルロットは瞳に不安の色が滲んでいた。
フィンとグラーニアは強敵である。
実力を疑うわけではないが、達也が正面切って戦うには辛い相手だ。
『他人の事より、どうやら我々は自分の事を考えなくてはいけないようです』
まるで待ち構えていたように1人の男が立ちはだかっているのが、レストレードの視界に入ってきた。
『ディルムッド・オディナ。RIRA虎の子の精霊使いまで動員してくるとは……』
『そんなに強いの?』
『ええ。あなたの祖父ほどではありませんが、SAS所属の精霊使いでも連れてこないと厳しいでしょう』
そう答えたレストレードの顔には、おだやかならぬ表情が浮かんでいる。
SPが問答無用で拳銃を乱射するが、竜巻をまとったディルムッドを傷付けることはできない。
『まずいわ』
ディルムッドの精霊力が急激に高まっているのを感じたシャルロットも、対抗すべく印を結び始めた。
確実に強力な精霊魔法を放ってくる。
当たって欲しくない、その予感は的中した。
『翼竜の羽撃き!』
ディルムッドの精霊魔法が完成し、大規模な衝撃波が荒れ狂う。
今から離脱しても、逃れることは出来そうにない。




