番外編 霧の都の休日 ~その3~
「帰ろう、シャルロット」
達也は呆然と佇むシャルロットの体を、優しく揺すぶる。
いつまでもここに留まるのは、精神衛生上よくなかった。
だが、シャルロットの反応が皆無なため帰るに帰れない。
仕方ないので達也は付き添うのだが、それが失敗だった。
強引にでもシャルロットを連れて、さっさとクロウリーの家に帰宅するべきだったのである。
「何で1人だけ、無事に出てくるんだ?」
特に不審には見えないが、バッキンガム宮殿の方からこちらへ向かって、落ち着いた足どりで歩いてくる男を達也は訝しんだ。
何事もなかったように平然として、後ろを振り向きもせずにいる。
この惨状で、それこそが怪しかった。
だが、達也は迂闊に目を合わせたりはしない。
シャルロットを慰めることに専念し、やり過ごしたかった。
しかし、シャルロットはその男の正体を知っていたようだ。
『あなたは、フィン・マックール!』
達也の願いはむなしく途絶えた。
思い切りシャルロットが名前を口に出したからである。
『こんな子供にまで、顔と名前を知られているのか』
『グレートブリテンで有名なテロリストだからよ』
『アイルランドはグレートブリテンじゃないんだよ、お嬢ちゃん』
『北アイルランドは、とっくにグレートブリテンなんだけど?』
『力で抑えつけておいて、良く言う!』
互いの主張は平行線をたどり、痺れを切らしたフィンが印を結び始めた。
RIRAの下部組織シャムロックに力添えをする彼も、アイルランド統一という大望を胸に抱えている1人だからだ。
グレートブリテン、中でもイングランドはフィンに取って憎悪すべき敵だった。
『氷の槍!』
フィンの精霊魔法が完成し、5本もの氷の槍がシャルロットに猛然と襲いかかる。
それに対抗すべく、シャルロットは涼しい顔で防御魔法を展開した。
『流水の凧盾!』
軽い槍が何本束になろうが、堅牢な盾を貫くことは出来ない。
『やるねえ、お嬢ちゃん』
自分の精霊魔法が通じなかったにも関わらず、フィンは軽口を叩く余裕を見せた。
『氷の精霊使いとはね』
あまり相性の良い相手とは言えないが、精霊使いとしての能力は自分の方が上だとシャルロットは疑いさえしなかった。
事実その通りである。
「炎熱の柱!」
あらぬ方向からの銃撃に対し、達也は防御魔法を展開した。
急接近する車から、銃弾を浴びたのだ。
シャムロックの構成員がフィンを回収しに来たのだろう。
テロ組織にとって、使える精霊使いは貴重な戦力に違いないのだから。
『シャルロット、下がって!』
あえてフィンにも聞こえるように、達也は英語で叫んだ。
こちらが退く気であると知れば、相手もそれに合わせて取り敢えず矛を収めてくれる……。
そんな淡い期待を抱いたのである。
『嫌よ! テロリストを逃がす気はないわ!!』
シャルロットは頑としてフィンを捕える気のようだ。
仕方ないので達也はシャルロットがフィンに専念できる環境を整えるべく、周囲を警戒しながら防御魔法を展開した。
『そっちの坊ちゃんの方が、状況を良く理解しているな』
『私に圧されて後退しているのに、何を偉そうに!』
シャルロットの精霊魔法の圧力に、フィンが後ずさりしているように見えた。
しかし、その実フィンが意図的に距離を置いているのである。
そして、タイミングを見計らって身を翻し逃走を始めた。
『逃げるの!?』
思わずシャルロットは目を瞠るが、それは違った。
「シャルロット、離れて!!」
辺り一面に達也の絶叫がこだまする。
火の精霊魔法が災いした。
車からダイナマイトが投げ込まれたのだ。
これは火の防御魔法では防げない。
触れた途端に爆発してしまう。
泡を食って達也はシャルロットに覆いかぶさった。
耳をつんざくほどの爆音と、死を呼ぶ破壊衝動が荒れ狂う。
シャルロットの防御魔法の名残で、まともに爆発に晒されることはなかった。
しかしシャルロットを庇った達也はぐったりとして動かない。
「達也! 嘘でしょ……」
まさかの光景にシャルロットは呆然としてしまう。
達也のおかげで、自分は全くの無傷なのだ。
『グラーニア、少しやり過ぎじゃないか? 俺まで巻き添えになるところだったぞ』
車に乗り込んだフィンが口を尖らせる。
『そうかしら? フィン・マックールなら、あれぐらい余裕でしょ?』
街中で派手にダイナマイトを爆発させておきながら、グラーニアは何食わぬ顔をしていた。
アイルランドでの活動では、こんなのは日常的な事だからだ。
『怖い女だ』
『ふふ、どうも。飛ばすわよ!』
『別に、褒めたわけじゃないんだがな……』
苦笑交じりの溜め息を吐きつつ、フィンはシャムロックのアジトへ向け車を飛ばすグラーニアの横顔に目を転じる。
彼がシャムロックに協力するのは、彼女の存在が大きかった。
「生きてる、のか……」
達也が目を覚ましたのは、病院のベッドの上である。
もう少し銃や爆弾に対する戦い方を覚えるべきだと思わないではないが、まだ早すぎるだろう。
精霊使いとしても、未熟だというのに。
「達也、目が覚めたのね! よかったぁ」
心の底から安堵した。
そんな面持ちでシャルロットは達也を見つめる。
「あのときの事は全て私がスコットランドヤードに伝えておいたから、安心して休んで」
「聞き取りとか終わったんだ?」
「ええ。フィン・マックールとグラーニアを、全力でスコットランドヤードの警官達が追跡しているわ」
「アイルランドのテロ活動家、か」
今ひとつ、達也にはピンとこなかった。
もし日本が分割されでもしていたら、日本にもそういう人間がいたのだろうか?
「明日になったら退院できるわ。私は家に帰るから」
「わかった。大人しくするよ」
「達也、ありがとう」
シャルロットはきちんと礼を言う。
そして病室を後にした。
「……暴走しないと、いいのだが」
あくまで偶然の遭遇で達也は今回の件について、別に何とも思っていない。
仕返しをしようなどと、だいそれたことだ。
だがシャルロットはどうだろうか?
危険に身を投じなければいいが。
「退屈だな」
頭脳も明晰になってくると、達也は暇を持て余した。
明日退院ということは体に異常があるわけではなく、単に病院の手続きの問題だろう。
仕方ないので備え付きのテレビをつけた。
シャルロットが気を利かせて個室の病室を手配してくれたのは、ありがたかった。
テレビに視線を移せばBBCのニュースが、当たり前だが英語で流れている。
「オズワルド議員の演説か」
それだけ、何とか達也は聞き取ることができた。
場所はテロのあったバッキンガム宮殿にほど近いトラファルガー広場だ。
達也の無意識の一隅に、不安に似た心理のひとかけらが蠢く。
「警告、かもしれないな」
オズワルド議員について、シャルロットに詳しく訊ねる必要がある。
達也は漠然とそう思った。
『命拾いしましたな、シャルロット・クロウリー』
帰宅途中のシャルロットに声をかける人物がいた。
別に不審者でも何でもない。
『レストレード警部』
スコットランドヤードの警官である。
別にスコットランド人ではない。
そもそもスコットランドヤードという名称なのに、スコットランドとは全く関係のない組織だ。
『何の用かしら?』
シャルロットの態度は素っ気ない。
命拾いしたなどと言われては、ご機嫌斜めになるのも無理はなかった。
『そう怖い顔をしないでいただきたい。クロウリー家の人間に睨まれたら、ロンドンではやっていけません』
大仰にレストレードは肩を竦める。
捜査協力を頼めないだけでも大打撃だ。
『トラファルガー広場で明日行われるオズワルド下院議員の演説を、シャルロット嬢は知っていますか?』
『ええ、それが何か?』
『シャムロックが、そこでテロを起こすという情報を掴みました』
レストレードが何て事のない口調だったため、無駄話と決めつけシャルロットは危うく聞き逃すところだった。
『オズワルドは強硬派の政治家です。RIRAが消そうとする動機はいくらでもありますよ?』
『何かとアイルランドを圧迫するような主張をしていたわね』
北アイルランドのみならず、全アイルランドをグレートブリテンに組み込もうとする最右翼がオズワルドだということを、シャルロットは思い出した。
確かに命を狙われても何ら不思議ではない。
『軍は動かないのかしら?』
SASとは言わないが、軍を動かしてもいいのではないかとシャルロットは考える。
『それでは国際問題になりかねませんし、我々スコットランドヤードにも意地があります』
『その割には、私に大事な情報を教えるのね?』
『ロンドンの、いえイギリスの守護者クロウリー家は別ですよ』
レストレードは言外に協力を求めていた。
だが幸か不幸かクロウリー家の人間で手が空いているのは、シャルロットだけである。
『私しかいないわよ?』
『クロウリー家の人間が協力するという事実が、重要なのですよ』
それだけ言い残すと、レストレードは用は済んだと言わんばかりにシャルロットの前から姿を消した。
別段シャルロットは怒りはしない。
オズワルドの演説に警護の名目で入り込める許可を得たのだ。
フィン・マックールとグラーニアに借りを返すチャンスだった。




