番外編 霧の都の休日 ~その2~
しばらくロンドン観光を続け、目ぼしい場所に足を運んだあと、シャルロットの実家に到着した。
「ここなの?」
至って普通の洋館の目の前でシャルロットが立ち止ったものだから、達也は拍子抜けしてしまった。
「そうだけど?」
「もっと、こう、巨大な屋敷とか想像してたよ」
「ぷ。何よ、それ」
思わずシャルロットは笑みを零した。
達也の発した言葉が、妙にウケたからだ。
「外観は大したことないけど、住んでいる主人は凄いわよ?」
「……アレイスター・クロウリーさん、だね?」
「知ってたんだ?」
「簡単な推理だよ。アーチボルト家と縁があるみたいだし、横浜で狙われたのも、高級ホテルの件も、精霊学園第3分校の精霊争覇戦代表戦を見学しに来たのも、クロウリー家の人間なら色々と腑に落ちるんだ」
さらに付け加えるなら、シャルロットの精霊使いとしての潜在能力の高さも。
それらを咀嚼した達也は、シャルロットの正体に大体のアタリがついた。
「西洋一の精霊使い、アレイスタークロウリーに会うというのに物怖じしないのね」
「いつも炎の王の契約者と顔を合わせているから」
西洋における精霊魔法の大家とはいえ、達也は緊張はしているものの怯えはしない。
強力な精霊使いと言えど精霊魔法が使えるということ以外は、普通の人間とさして変わらないということを普段から目にしているからだ。
シャルロットがクロウリー家の門をくぐる。
達也もそれに続いた。
『ただいま、お爺さま』
『おお。よく帰ったの、シャルロット』
可愛い孫娘が帰宅し、アレイスター・クロウリーは好々爺ぶりが態度に出る。
そう、普通の人間と同じなのだ。
達也は何も驚かない。
祖父と孫娘の他愛ない会話を、目を細め眺めていた。
『して、そちらの少年は?』
アレイスター・クロウリーは先ほどから部屋の片隅で佇んでいた達也に水を向ける。
『初めまして。高柳達也と申します』
恐縮しながらも、達也はトチらずに自己紹介ができた。
『達也は強いわよ。さっきもネイトの奴をやっつけてくれたわ』
『ほほう。アーチボルト家の腕白小僧をのう。シャルロットが目をかけるだけのことは、あるかの』
刹那、アレイスター・クロウリーの眼が鋭い光を帯びた。
『わしの孫娘に、手を出しておらんじゃろうの?』
そっちか!
達也はずっこけそうになった。
『手を出したら、後が怖そうです』
『よく、わかっておるようじゃの。気に入ったぞ』
にこにこと微笑みながら、アレイスター・クロウリーは2人を食堂に招いた。
久し振りに孫娘に会えたのと客が来たのが嬉しいようだ。
本当に、ただのお爺さんである。
食堂で促された席に達也が腰かけると、メイドが紅茶とお茶うけのお菓子を用意した。
『今日は泊まっていくんじゃろ?』
『ええ、お爺さま。達也もね』
『もちろんだとも。久し振りの客だしのう。じゃが……』
これまでアレイスター・クロウリーが纏っていた好々爺じみた雰囲気が消え去る。
『挨拶もせんと家に入ってくるような輩は、許せんのう』
その言葉で良く心得たメイドが水の入った壺を、さっと手渡す。
招かれざる客が、クロウリー本家に侵入したらしい。
無礼な連中に礼儀を叩き込むべく、アレイスター・クロウリーは力を振るうことにした。
『アレイスター・クロウリーだな?』
突然の闖入者は機関銃を突き付け威嚇する。
『そうじゃが?』
そよとも揺るがない声でアレイスター・クロウリーは応じた。
この程度の事、修羅場でも何でもない。
達也は内心ビビっていたが、すでに対策はしてあるのだろうと表向きは平静を装う。
『しばらく、大人しくしていてもらおうか』
『この街でテロとは、見逃せんの』
『!』
いつの間にかアレイスター・クロウリーの手にある壺から水が溢れ出していた。
到底、壺には入りきらない量の水が流れ出す。
闖入者はたちまち水に飲みこまれ溺れてしまう。
『ウンディーネを壺の中に住まわせているのか』
その事実に達也は慄く。
今、召喚したのではなく、常時壺の中に存在させている。
やはり水の王、海魔クラ―ケンの契約者は精霊使いとして傑出していた。
『お爺様、この者はシャムロックの?』
シャルロットの質問にアレイスター・クロウリーは黙って、こくりと頷いた。
『シャムロック?』
耳にしたことのない名詞に達也は戸惑う。
ただクロウリー家の2人が険しい面持ちで話し込んでいるのを目にすれば、あまり良いイメージは浮かんでこない。
『RIRA下部のテロ組織よ』
さらっとシャルロットは言うが、達也の動揺を誘うには十分だった。
こういうとき、香港軍の襲撃はあったものの、基本的に日本は平和だなあと痛感する。
よく知られたテロ組織など、達也は日本で耳にしたことがない。
『バッキンガム宮殿で、シャムロックの連中は暴れるつもりじゃ』
確信を持ってアレイスター・クロウリーは告げる。
『なぜ、わかるんです?』
つい達也は差し出口を挟んでしまった。
しかしアレイスター・クロウリーは、それを咎めたりしない。
『わしはロンドンを覆うように、結界を張っておるんじゃ』
『……ヒースロー空港に着く直前に感じた圧力は、それだったのか』
飛行機で達也は背筋に悪寒が走った瞬間があったのだ。
多分、そのとき結界を超えたのだろう。
ロンドン全体を結界で覆うとは、かなり心身ともに負担がかかるはずだ。
『ロンドンの守護者、クロウリー家の人間として座視するわけにはいかないわ。お爺さま、行って参ります』
『うむ。気を付けるのじゃぞ?』
『わかっています』
シャルロットは勇んで食堂を飛び出す。
当たり前のように達也も後に続こうとした。
『達也、とか言うたの?』
それを呼び止めたのはアレイスター・クロウリーの声だった。
『はい』
『孫のことを、頼んじゃぞ?』
そこには偉大な精霊使いとしての面影はない。
孫を思う、ただの祖父がいるだけだった。
『わかりました』
気安く請け負えることではないが、達也はそう答える。
頼まれなくても、シャルロットを全力で支える気でいるからだ。
一礼して、達也はアレイスター・クロウリーの前から辞した。
『我がクロウリー家でクラ―ケンを継げるのは、はて、誰じゃろうな?』
メイドもおらず、誰もいなくなった部屋でアレイスター・クロウリーは難題を思案する。
『シャルロットが一番なのは、間違いないんじゃが……』
複雑な思いで呟いた。
真っ赤な礼服をきた衛兵たちが、シャムロックの構成員と戦闘を繰り広げていた。
全く予期できなかった襲撃に衛兵は完全に劣勢を強いられている。
銃弾の雨の中、シャルロットと達也は精霊魔法を駆使して一般市民を守ることに腐心した。
テロ組織にとって、一般市民など眼中にない。
むしろ多くの人間が死ねば、大々的な喧伝になる。
それは非常にテロ組織にとって都合の良いことだった。
「こんなことをして、何になるんだ」
炎の柱を立ち上らせながら、達也は憤りも露わに吐き棄てる。
ほぼ単一民族で構成されている日本人に、国が分裂しているアイルランドの人間の気持ちはわからない。
しかし、だからといって無関係な人間がバタバタと死んでいくのは絶対に間違っていた。
「達也、この地区にいた人たちの避難は終わったわ。私たちも宮殿に向かいましょう!」
シャルロットの言葉に、達也は何か嫌な予感がし胸がざわつく。
こういうとき、やはり実戦経験豊富な悠斗がいるのといないのとでは、安心感が全く違う。
悠斗だからこそ、達也は存分に意見を言えるし、それを吟味もしてくれるのだ。
「どうしたの?」
逡巡している様子の達也に、シャルロットは眉をそびやかした。
「宮殿の中の一般人はとっくに避難し、すでに警官や軍人が突入しているのだろう?」
達也とシャルロットは宮殿から逃げてきた人たちを、安全な場所に逃がしていたのだ。
「そうだけど?」
「じゃあ、俺達の役目はここまでだ。宮殿には行かない方がいい」
「なに言ってるのよ! テロ組織の人間を逃すわけにはいかないわ!」
「それはプロに任せるんだ。俺達は精霊使いが相手なら戦える。しかし、これは違う」
テロリスト相手に上手く対処できる自信が、達也にはなかった。
他に誰もいないという状況ならともかく、すでに軍が動いているのなら任せるべきだと判断したのだ。
「達也がそんな臆病者だとは思わなかったわ」
シャルロットは苛立ちと失望が入り混じった顔を向ける。
「別に否定はしない。俺は戦いの度に、いつもビクビクしてるよ」
偽らざる達也の本音だった。
「わかったわ。確かに私たちはちゃんとした訓練を受けたわけじゃないし」
精霊使いと相対したり戦場で敵と戦うのと、テロリストを相手にするは勝手が違うという達也の意図をシャルロットは正確に察した。
その直後――。
「なに?」
「なんだ?」
けたたましい爆発音がしたと思ったら、すぐさま激しい震動が2人を揺さぶる。
見ればバッキンガム宮殿の一角が爆破されていた。
「自爆テロ、なのか?」
悲惨な状況となっているバッキンガム宮殿に、達也は厳しい目で見遣る。
「そんな……」
シャルロットの声がビブラートに震えていた。
「私たちが、あそこにいれば!」
「自爆テロを防げたかもしれないし、巻き込まれて俺達は死んでいたかもしれない」
「!! だから止めたのね?」
このシャルロットの質問に、達也は黙然と頷く。
危険な橋を渡らせるわけにはいかなかったのだ。
シャルロットは塩の柱と化したかのように立ち尽くしているが、この判断は正しかった達也は思う。
自分がその場にいたら何とか出来たはずだというのは、傲慢に過ぎない。
人1人に出来る事など、タカが知れていた。




