番外編 霧の都の休日 ~その1~
精霊学園第3分校は精霊争覇戦の終了と共に、夏休みに入った。
「本当に来ることになるなんて……」
自分の今いる場所に、達也は顔がひきつる。
「達也はロンドンに来るのは始めてなの?」
陽気に訊ねてきたのはシャルロットだ。
彼女の招きで、達也はイングランドの首都まではるばるやってきた。
招きといっても一緒に訪れたのだが。
ヒースロー空港に降り立ったときは、初の海外ということもあり緊張で足が震えたものである。
「日本から出ることが、始めてだよ」
「そうなんだ。その割にはパスポートをすでに取得していたみたいだけど?」
「精霊学園に入学する際、取らされた」
恐らく達也には関係ない話だろうが、精霊学園の学生は海外に留学する可能性もあるからだ。
かなり廃れてしまったが一応、交換留学生という制度もあるにはあった。
そんな事情から、達也はパスポートを持っていたのだ。
「少し散歩しましょうか」
達也はシャルロットに腕を引っ張られ、空港の外にある小さなスタンドに連れていかれた。
「イギリスと言ったらこれよ」
「本場のフィッシュアンドチップスか」
散歩よりこちらの方が目的だよなあと達也は思うが、口には出さなかった。
確かにフィッシュアンドチップスは食べてみたかったので不満はないが、少々意外ではある。
いかにも高級そうな横浜のホテルに滞在しているシャルロットが、こういうファーストフードを口にするものだろうか?
「ふふ、美味しい」
どうやら口にするようだ。
ほくほくの顔が可愛いシャルロットは、早速魚のフライをほおぼっていた。
「これがイギリス人のスタイルなのか」
「そうよ」
2人はフィッシュアンドチップスを片手に、ぶらぶらと目的もないまま空港の周囲を練り歩く。
行儀が悪いと達也は思わないでもないが、日本でも食べ物が違うだけでよく見かける風情だ。
「あの2階建てのバスに乗りたいな」
目に留まった赤いバスが達也は気になった。
「いいわよ。あれでロンドン市街に行こうか」
シャルロットの実家はロンドン市街にある。
タクシーでも使おうかと思っていたが、観光を思えば確かに2階建てバスのがいい。
シャルロットの案内で達也はバスに乗り込む。
「ロンドン、か」
窓の外の趣のある景観を視界に収めながら、達也は呟いた。
始めての海外がロンドンというのは、なかなか感慨深いものがある。
「そういえばシャルロットは、どうして俺を連れてきたんだ?」
ずっと達也の脳裏に引っかかっていた。
「1人で実家に帰るのが嫌だったのよ」
さらっとシャルロットは理由を告げるが、どうにも達也は腑に落ちない。
ただ迂闊なことを口にするわけにもいかず、それ以上の追及はしなかった。
目的の停留所に到着すると2人はバスを降りて、再び自らの足で歩きだす。
テムズ河、タワーブリッジ、ビッグベンetc……。
有名どころの名所を目の当たりにし、達也は気分が高揚しているため疲労を感じない。
『シャルロットじゃないか! いつ帰ってきたんだ?』
(※注 『』の会話は英語で行われています)
大柄な男がこちらに手を振りながら、気安く声をかけてくる。
『ネイト……』
ちらっとだが、シャルロットの表情に翳りが窺えた。
しかし瞬時に切り替え、普段通りの微笑みで返事を寄越す。
『今さっきよ。久し振りのロンドンを満喫していたところ』
『なんだ。連絡してくれれば、迎えにきたのに』
HAHAHAと、その体格に見合った大声で男は笑う。
1人取り残された気分の達也は小首を傾げた。
「達也、この人はネイト・アーチボルトよ。名門アーチボルト家に名を連ねているわ」
「日本で言うところの虹七家みたいなものかな?」
まず達也の頭に浮かんだのは悠斗や織姫、そして翠家の翠瞬だった。
どこの国にも精霊使いの名家は存在するものだ。
「まあ、そんなところよ」
厳密には少し違うのだが、シャルロットは否定しない。
あまり達也には関係のない話だからだ。
にやと笑みを浮かべたネイトが、右手を伸ばして握手を求めてきた。
『なんだ、このひょろひょろした野郎は? 黄色い猿がシャルロットに近付くな』
相手が英語をわからないと見るや、暴言を吐きながら。
「これはこれは」
達也は笑顔でネイトの右手を握った。
『顔が真っ赤だな。昼間っから飲んでいるのか? このアル中が!』
しれっと達也は英語で切り返す。
慌てたのはシャルロットと、ネイトである。
「達也、英語が……」
『日常会話くらいなら、なんとかね』
日本語の質問でさえ、達也は英語で返した。
そして、じろりとネイトを睨む。
『は! 通じていたなら、むしろ都合が良い。さっさと消えろ!』
『なんか、日本にも似たような連中がいたなあ』
失礼だと思いつつ、達也は精霊争覇戦のチームメイトを連想してしまった。
尊大な性格は、虹七家の連中と変わらない。
もちろん悠斗や織姫、いつの間にか消えてしまった2年生の3人組は別だが。
『何が気に食わないか知らんが、精霊使いなら精霊魔法でケリをつけるべきだな』
黄色い猿と罵られ黙っていられるほど、達也は人間が出来ていなかったし大人でもなかった。
『はあ? このネイト・アーチボルトに精霊魔法の勝負を挑むとは、いい度胸をしているのか、それとも単なる馬鹿なのか?』
周囲にネイトの嘲笑がこだまする。
よほど自分の力に自信があるのだろう。
それとも名門の血が、意地がそうさせるのだろうか?
『達也、やめた方がいいわ。ネイトの精霊魔法の腕はかなりのものなのよ』
『だからって、ここまで言われて引き下がれない』
それに達也の目にはネイトが脅威に映らないのだ。
いつも凄い精霊使い達と一緒にいるからだろうか?
『痛い目を見ないうちに、尻尾を巻いて逃げ出した方がいいんじゃないか?』
『御託はいいから、かかってこい』
周りに人がいないことを確認し、おもむろに達也は印を結び始めた。
ネイトも鼻を鳴らしながら印を結ぶ。
『達也……』
不安な面持ちでシャルロットは2人の対決を見守りつつ、ネイトがやり過ぎたときのために防御魔法を展開すべく印を結ぶ。
ネイトには何人もの精霊使いに喧嘩を売り、病院送りにした前科があった。
だからシャルロットはネイトのことを嫌っているのだ。
しかし、その心配は杞憂に終わる。
『旋風の鎌!』
ネイトの放った旋風の鎌が、達也の命を刈り取るが如く唸りを上げて襲いかかる。
ついで、達也の精霊魔法は完成した。
『炎熱の投げ槍!』
轟然と燃え盛る投げ槍が2本、顕現した。
1本は旋風の鎌を迎撃し、もう1本は防御魔法を展開していない丸裸のネイトを狙う。
まずは旋風の鎌と炎熱の投げ槍が激突し、荒々しくせめぎあったのち互いに消滅した。
『き、黄色い猿が、俺の魔法に打ち勝っただと!』
その事実を突き付けられたネイトは、自分に迫るもう1本の炎熱の投げ槍に何の対策も施していない。
このままいけば、病院送りになるのはネイトの方だった。
『水の壁!』
あらかじめ用意してあったシャルロットの防御魔法が展開され、ネイトを守る。
使う相手が違ったが、準備しておいて正解だったようだ。
『え?』
しかし水の壁を、炎熱の投げ槍は突き破った。
威力は低減されていたとはいえ、もろに精霊魔法を喰らったネイトは悲鳴をあげる間もなくのびてしまう。
「どんなもんだい!」
達也は、ぐっと拳を握りしめる。
異国の地にくると日本人の血が騒ぐ。
それは達也とて例外ではなかった。
「達也、あなた、いつの間に……?」
驚愕のあまりシャルロットの碧い瞳が大きく見開かれていた。
「これでも俺は一応、精霊争覇戦新人戦チーム戦の優勝メンバーだよ?」
だからこそ、そう易々と達也は負けられなかった。
「シャルロット、今の防御魔法は手を抜いたよね?」
「ほどほどに痛い目に合って欲しかったのよ。でも、達也の精霊魔法は私の想像以上の威力だったわ」
「じきに目を覚ますだろうけど、どうしようか?」
達也が逡巡したのはネイトの処置だ。
救急車を呼ぶほどでもないし、別に放置しても構わないのだが……。
「一応、アーチボルト家の人間だし放っておくと後々面倒だわ」
クロウリー家とアーチボルト家は良好な関係を築いていた。
その関係にヒビが入るのをシャルロットは気にしたのだ。
「悠斗もそうだが、家のしがらみというのは厄介だな」
そういうのに縁遠くて、達也は心底ほっとした。
『うう、体があちこち痛いな』
ほどなくしてネイトが目を覚ます。
『ネイト、1人で大丈夫?』
シャルロットが心配そうに声をかけた、ように見えた。
あくまで建前、上辺だけなのだろう。
『ああ、これくらい平気だ。問題無い』
シャルロットの手前、ネイトは強がってみせた。
肉体はともかく精神的にかなりまいっていたが、プライドにかけて表には出せない。
『そう。じゃあ私達は行くわね』
そっけない口調でシャルロットは告げる。
正直、今回の一件でネイトのことを精霊使いとしても興味を失ってしまったのだ。
『待ってくれ!』
『なに?』
『あいつは、何者なんだ?』
少し離れた所で物珍しそうにキョロキョロしている達也を、ネイトは顎でしゃくった。
自分を破った相手の事を知っておきたいのだ。
『高柳達也。精霊学園第3分校の生徒よ』
『学生に、負けたのか……』
『精霊争覇戦新人戦チーム戦の優勝メンバーでもあるわ』
そう答えるシャルロットの声には、どこか自慢げな響きが含まれていた。
自分の眼力の正しさを証明できたのだ。
シャルロットは軽くなった足どりで、達也と共にネイトの前から立ち去った。




