第9章 錯綜する思惑 ~その5~
「見くびられたものですね」
不満げに総司は清涼な声を発した。理由は明白だ。
「次の悠斗君との戦いに備えて、僕相手に手を抜くとは」
精霊学園第3分校最強の面目丸潰れである。総司は短く笑った。
聖騎士というのは、まあ、どうでもいい。
ただ悠斗ほどでないにしても、自分もそれなりに実力を有しているという自負が総司にはあった。
それなのに林彩華は総司のことなど、まるで眼中にないといった態度なのである。
かなり時間を無駄に費しているにも関わらず、だ。
「子供相手に香港四天王筆頭ともあろう者が、本気で戦えるわけないでしょ?」
このとき林彩華は、あからさまに総司のことを侮っていた。いや、紅悠斗のことも下に見ている。
大人の社会で、本当の戦争を経験した自分達に、中でも香港四天王に敵うはずがないと最初から決めてかかっていた。
ここら辺は、姉弟らしいといえる。
「では僕に負けても、それを言い訳にしないで下さいよ?」
爽やかな笑顔を浮かべながら、総司はさり気なく挑発した。
このまま持久戦を続けても構わないが、逃したりでもしたら精霊レンジャー課として示しがつかない。
総司は一気に精霊力を高める。
「岩石の城壁!」
防御魔法が展開され、2人の間に幾重もの岩石の城壁が張り巡らされた。
さらに総司は手を緩めず、決定的な精霊魔法の準備をする。
岩石の城壁により、精霊魔法が完成するまで凌げるはずだ。
「子供が舐めた口をきいて! こんな壁くらいで私の精霊魔法を抑えられるとでも? 笑わせないで!!」
教師が生徒に罰を与える。
林彩華はそのような気分で印を結んだ。
この程度の防御魔法、何の役にも立ちはしない。
あくまで気を引き締めず慢心したまま戦うのだった。
「旋風の鎌!」
自信を持って林彩華は精霊魔法を放つ。
精霊魔法一発で、全ての壁を破壊できると決めつけていた。
それが重大な誤りだったと気付いたのは、旋風の鎌が一番手前の岩石の城壁にわずかにヒビを入れただけで消滅してしまったときである。
「た、たまたまよ。そうよ、ぜんぜん本気じゃなかったわ!」
心理的動揺が激し過ぎたのか、林彩華はテンプレ通りの台詞を口にしていることさえ、自覚していなかった。
完全に負けフラグが立ったのだ。
そうとも知らず(当たり前だが)に林彩華は数秒間躊躇ったあと、矢継ぎ早に精霊魔法を放った。
辛うじて岩石の城壁をいくつか切り崩すが、そんなものは何の慰めにもならない。
総司はオーケストラの指揮者のように、華麗に印を結び続けていたのだ。
まるで攻撃が通用していない!
林彩華の顔から、さっと血の気が引いていく。
「負けられない、あんな子供に! 絶対に負けられない……」
両目に殺気を閃かせながら、林彩華は精霊魔法を行使する。
もはやなりふり構ってなどいられなかった。
「こんなの、こんなのって!」
何かの間違いだ。きっとそうに違いない。
本来あるべき理想の自分と、現在の自分があまりにも乖離しているという事実が緩慢に、だが確実にプライドの高い林彩華の精神を蝕んでいく。
「翼竜の羽撃き」
最後の切り札に頼らざるを得ないほどに、林彩華は追い込まれていた。
この精霊魔法なら岩石の城壁は灰燼に帰し、あの清涼な声で笑う少年も殺せるだろう。
いや、絶対にそうならなければいけない。
もはや打つ手は残されていないのだから……。
「ほお!」
そよ風が、総司の方を撫でた。
岩石の城壁の半数が崩れ落ちている。が、それだけだ。
翼竜の羽撃きは防がれたのである。
そして……、
「岩石の檻!」
無慈悲な総司の精霊魔法が完成した。
命を奪うでもなく、致命傷を与えるでもない。
相手を無傷で閉じ込める精霊魔法だった。
全ての精霊力を放出した林彩華に抗う術はない。命を奪おうと思えばできるのに、意図的に総司はその選択肢を選ばなかった。
特に拷問して楽しむ趣味があるわけでもないが、首実検の意味がある。
まさか死体の首を持ち運ぶ訳にもいかないだろう。
実戦経験者である総司に情けをかけるという感情は持ち合わせていないため、単に生かしておいた方が都合がよいだけだった。
「そんな、私は、香港四天王筆頭なのよ……」
それが今や虜囚の身となっている。
林彩華の表情から全ての色が失われていた。
「あはは、あはははははっ! わ、私達が失敗したら、次は黒旗軍が出てくるわよ? まだ私達に負けた方が良かったと、必ず後悔するわ!」
髪を振り乱しながら、林彩華は半狂乱で不吉な予言をする。
「黒旗軍ですか。確かチベットや東トルキスタンで、派手に暴れていると聞きましたが」
顎に手を当て、総司は記憶の糸を手繰り寄せる。
微かだが黒旗軍についての情報を思い出した。
「ですが大規模な暴動が起きた際、『雷帝』と呼ばれる精霊使いにまるで歯が立たなかったのでは?」
その『雷帝』という人物の行方は杳として知れない。何者かということさえ、わかっていないのだ。
総司も興味はあった。
「黒旗軍の怖いところは、無差別に殺戮を行うところよ。まわりに一般人がいようが、まるでお構いなしに攻撃してくるわ。その暴動のときだって、大勢の市民が犠牲になったわ!」
たくさんの市民が犠牲になったのは自慢にならないが、時間も場所も選ばない豪胆さが手に負えないと林彩華は言いたいのだろう。
総司には単なるならず者にしか思えないが。
「ご忠告、感謝しますよ。戦う場所の選定とか、一般人の避難誘導は僕の上司が上手くやるはずですから。あとで上に報告しておこう」
「余裕ね。相当、自信があるのかしら」
私を捕えるくらいだし、とは林彩華は言えなかった。
「そんなことはありませんよ。ただ責任は上が取るし、自分は全力で戦い死んでも後悔しないようにするだけです」
どこか疲れた笑みを総司は横顔に刻む。
またソウル防衛戦みたいになるのだろうか……?
「それよりも、あなた方の目的がようやくわかりましたよ」
気分を変えるため、総司は話題を転じる。
「そんなの紅悠斗を倒すことよ」
決まり切ったことを言うなと、林彩華は毒づいた。
「その裏にある本当の目的ですよ。イフリートを東方不敗が手に入れることが、狙いではなかったんです。恐らく、こういうことでしょう。香港四天王の皆さんには、耳の痛い話ですか」
清涼な声で、総司は長広舌をぶつ。
別に東方不敗がイフリートと契約を交わす必要はない。
とにかく中国と敵対している国に、王がいてはマズイのだ。
仮に悠斗の次にイフリートと契約を交わした精霊使いがインドにでも現れれば、今度はインドに軍を派遣するだろう。
「東方不敗様は、王に匹敵する力があるわ。そこまで王の精霊にこだわる必要なんてないじゃない?」
「では、何故あなた方は日本へ来た? ……ということは置いておきましょう。そう、仰る通り東方不敗は王に匹敵する力を持っている。それは論を俟たない。では、東方不敗がいなくなったら香港は、中国はどうなります?」
「当然、誰かが東方不敗様の跡を継いで、新しい東方不敗として……」
自分で口にしてみて、林彩華は総司が何を言おうとしているのか、全てを理解した。




