第9章 錯綜する思惑 ~その4~
香港四天王を倒したのならば、間違いなく精霊使いとしても屈指の才能の持ち主だろう。
契約精霊の差で勝てるほど、香港四天王はヤワな相手ではない。
「私も負けてられないわね」
これ以上、茉夏はゆりあに単独で先頭を走らせるわけにはいかなかった。
巻き返せる余地は、まだある。
「それは、こちらの台詞ですよ」
香港軍の視点から見れば、ここで周朝偉が敗北すれば作戦の継続は困難だろう。
香港四天王が2人も倒れたら、残りの2人も無傷で紅悠斗に挑むことは不可能に近い。
まだ周朝偉は知らないが、王慧琳がすでに翠瞬によって止められていたので、この予想が正しいことを証明していたのだ。
互いの事情から絶対に負けられない戦いであり、一気に2人の緊張が高まった。
「「流水の球」」
「「流水の鞭!」」
「「流水の……」」
同じ精霊と契約を交わした者同士、まるで力比べをするかのごとく、同じ精霊魔法をぶつけ合う。
全て互角の威力で、局面を打開しようと渾身の精霊力を込めて放った次の精霊魔法も同一のものだった。
「「海神の三叉槍!」」
激突した2槍の海神の三叉槍は大気を震わせ、まるで生き物のように身悶えして消滅する。
「それだけの実力を有していながら、蒼家の次期当主でないのは解せませんね」
ここまで自分を追い込むほどの実力の持ち主が、蒼家の次期当主ではないという事実に周朝偉は軽い眩暈がした。
先ほど腐してしまったが、林徳華がやられたのも当然の帰結なのしれない。
目の前の少女を差し置いて、蒼家の次期当主となる予定の人物と戦ったのだから。
「次の戦いに備えて、力を温存している人に言われてもね」
事情はわからないでもないが、それでは茉夏は自分の実力を示せない。
誰のために余力を残そうとしているのかも、茉夏の癪に障った。
兄妹揃って、厄介な存在といえなくもない。
「全力を出してもらいたいから、奥の手を使うわ」
すでに多くの精霊魔法を放ち、かなりの精霊力を消耗しているはずなのに、茉夏の精霊力がググッと高まり始める。
「これは……?」
周朝偉の表情が険しさをました。
異様ともいえる茉夏の精霊力の高まりに、得体の知れない恐怖を感じたのだ。
「ウンディーネ、いくわよ!」
――承知しました、我が契約者……。
茉夏の求めに応じ、ウンディーネが実体化する。
「召喚? いや、違う。これは……」
驚愕のあまり周朝偉は瞠目した。
契約精霊と意思の疎通を図っている!
まさか、と思うが他に考えられない。今、起きている事象から周朝偉は目を離せなかった。
「紅悠斗に出来て、私に出来ないはずがないわ!」
茉夏の双眸が妖しく輝く。
精霊を体に憑依させる。そうすれば天井知らずの精霊力が手に入ることは、つい最近のショッピングモールにおける江東の虎との戦いで、紅悠斗が実証してみせた。
しかし、それと引き換えに意識を乗っ取られては意味が無い。
あくまでウンディーネの能力だけを、茉夏は欲したのだ。
紅悠斗と魔神イフリートのやりとりを目にして、精霊と会話が成立するのを知って以来、茉夏はウンディーネとの対話を試みた。
くる日も、くる日も、何度でも……。
声が聞こえるようになり、互いの存在を認め、説得した。
その成果を発揮するときがきたのだ。
「契約者、大丈夫ですか」
「ええ、ありがとう。問題無いわ」
今では気遣ってもらえるほど、茉夏とウンディーネは信頼関係を気付いていた。
だが莫大な量の精霊力が茉夏の体内に満ちてくるものの、まだ不完全な憑依であるため体中が軋む。
悠斗の場合は意識も飛んでいるため、そういう意味では楽だった。
その代わりイフリートを制御できないし、意識が戻ったときのダメージも深刻になるという危険も伴った。
気を抜けば失いかけそうになる意識を、茉夏は懸命に引き留める。
まだ未完成の妙技だった。
「次の一撃に耐えれば、あなたの勝ちよ……」
今の茉夏に長時間ウンディーネを憑依させることは不可能だ。
急いで決着を付ける必要があった。
「なるほど。長時間、その状態でいるのは無理みたいですね」
冷静に分析する周朝偉の声は、心なしか震えている。
長時間、維持できないから何だというのだろう?
次の一撃で仕留められたら終わりなのである。
茉夏の精霊力は先ほどとは比べ物にならないくらい高まっていた。
どう考えてもここで周朝偉の任務は終了である。
「王は大丈夫でしょうか……?」
せめて彼女だけは、無事に香港に帰還して欲しいと、周朝偉は願った。
そして風車に挑むドンキ・ホーテのように、半ば精霊と化した強大な敵に挑む。
「海神の三叉槍!」
同じ契約精霊であっても、同じ精霊魔法であっても、精霊使いの能力によって精霊魔法の威力が違ってくるということは、繰り返し述べてきた。
不安定ながらも精霊と一体化した茉夏は、先ほどまでとは全くの別人といえる。
これまで一本しか顕現させられなかった海神の三叉槍を、今回は3本も顕現してみせたのがその証だ。
加えて、1本ごとの威力も格段に上がっていた。
「流水の凧盾!」
例え絶望的といえど、自分の身を護ろうとしなければ、周朝偉を待っているのは確実な『死』である。
事ここに至って、任務の遂行に拘ってはいられなかった。
海神の三叉槍を受け止めるべく、3枚の流水の凧盾が顕現し宙に浮かび上がる。
水の精霊魔法なのに激突した際に、バチバチと電流が走り衝突の苛烈さをまき散らしていた。
1枚、2枚、そして3枚と流水の凧盾は貫かれて消滅する。
そして海神の三叉槍は周朝偉に殺到した。
全てを受け入れた周朝偉は、静かに目を閉じる。
1本は右腕を、
1本は左腕を、
1本は右脚を、それぞれ串刺しにしていた。
これでは周朝偉は印を結ぶことは出来ないが、致命傷にもなっていない。
「……情けをかけたのですか?」
あえて急所を外した茉夏の意図を、周朝偉はそのように解釈した。
逆に言えば、殺す価値もない存在だ、と。
しかし茉夏の返答は周朝偉の意表を突いた、いや考えもしないものだった。
「まだ私には、人を殺す覚悟が出来ていないのよ……」
虹七家に属する蒼家の直系とはいえ、茉夏は世間的に見ればまだ世慣れぬ高校生でしかない。
一線を越えることが出来ないでいるのは、当然だった。
むしろ悠斗や総司が、同世代の感覚からズレており成熟し過ぎなのである。
異端、と言っていいかもしれない。
「それとも香港では17歳の女の子が、当たり前のように人殺しをするのかしら?」
茉夏はセクシー担当のお株を奪うような、嫣然とした笑みを浮かべた。
「! それは……」
二重の意味で茉夏の言葉にショックを受け、いきおい周朝偉は鼻白む。
1つは自分達が殺戮しようとしていたのは、まだ年端もいかない高校生だという事。
いま1つは、そんな若者に自分が膝を屈した事。
弁解の余地のない敗北を喫したことを、周朝偉は認めるしかなかった……。




