第9章 錯綜する思惑 ~その2~
「あの人と、紅悠斗はどっちが強いんですか?」
ゆりあとしては一番気になるところだった。
あの人というのは、言うまでもなく林徳華のことである。中国語の出来ないゆりあは、林徳華の名前をうまく聞き取れない。
そもそも中国語は読み書きはともかく、会話の難しい言語ではあるが。
「紅悠斗ヨリ強い精霊使いナド、ソウハイナイ……」
仮面の下でどんな表情をしているのかまるで読めないが、その声には苦いものが混ざっていた。
仮面の男もまた、紅悠斗に敗北を喫したからだ。
「じゃあ、あの人に勝てないようじゃお兄ちゃん……、いいえ紅悠斗と一緒に戦うなんて到底無理ってことね。うん、わかった。正々堂々と、どこからも文句の出ないカタチで勝負するわ」
香港四天王に対し極めて尊大な発言をしているのだが、ゆりあにそんな自覚は皆無だった。
本人はいたってまじめなのだ。
だから林徳華の正面に立ち、馬鹿丁寧にお辞儀をしてみせる。
今から戦いを始めますよ、と伝えているのだ。
林徳華の顔がみるみるすさんでいった。
「開始の合図を……、あ! その前に私の契約精霊は水の亜種精霊『海龍』だって、伝えて下さい」
ゆりあの馬鹿正直な要求に対し、やや面食らいながらも、仮面の男は林徳華に包み隠さず全てを通訳する。
それが本人の希望なのだ。
どうも、日本人の考えることは理解に苦しむ。これが武士道というものなのだろうか?
「舐めているのか!? それとも馬鹿なのか!?」
怒気を抑えきれず、林徳華の腸は煮えくり返った。
ここまで人を虚仮にした話があるだろうか?
正面からの戦いを希望し、自分の契約精霊を明かしてしまう。
つまり例え手の内を読まれても、不意を突かれなければ勝てると考えているのか!
林徳華は上から見下されることを、蔑まれることを何よりも嫌う。
香港四天王に選ばれるために、死にもの狂いの研鑽を積み重ねてきたというプライドがあるからだ。
時折、林徳華が自己中心的な振る舞いを見せるのも、それに見合うだけの苦労をしてきたが故である。
それを、こんな小娘に愚弄されたのだ。
許せるはずがなかった。
無論、初対面のゆりあに林徳華の生き様など知る由もなく、単に自分の力がどれほどのものか計りたかっただけである。
そのための対価に自分の命をチップにしなければならないことを、ゆりあは承知していたが。
「では、いきます!」
掛け声とともに、ゆりあは仮面の男に目で促した。
林徳華に合図しろ、という意味でだ。
「始めろ」
低い声で仮面の男は短く告げた。
ますます林徳華は憤怒の形相になるが、ゆりあはイチイチ気にも留めない。
わざわざ林徳華が印を結び始めたのを確認してから、ゆりあも精霊魔法を準備するという徹底ぶりだった。
「ふざけた真似しやがって!」
完全に頭に血が上っている林徳華は、後先考えずに全力を出した。
このあと、仮面の男や紅悠斗と戦うことを踏まえれば、最小限の力で勝つことを、いの一番にすべきである。
そして、ゆりあの契約精霊のことも頭に入れて精霊魔法をチョイスしなければならなかったはずだ。
しかし自分は香港四天王であるという自負と、長いあいだ高い地位に安寧していたことが林徳華に慎重さを失わせていた。
周朝偉に軽率と謗られる所以である。
いつのまにか林徳華は物事を強引に、力づくで片付けるようになっていたのだ。
そして、それは今回も同様だった。
しかし全力を出してくれるのであれば、ゆりあの思惑通りなのである。
これを狙ってやっているなら、ゆりあは相当な策士なのだが、当然そんなことはなく単なる結果論でこうなっただけだ。
「あの世で後悔しな! 炎熱の重量刀!!」
林徳華の渾身の精霊魔法が完成し、幅が広く質感を持った炎熱の重量刀が顕現した。
さすがに香港四天王の名は伊達ではない。かなりの威力を有する精霊魔法だとわかる。
思わず仮面の男は介入しようか、躊躇してしまったほどである。
それを思い留まらせたのは、洋々たる精霊力をゆりあから感じたからだ。
「やはり血は争えないか」
つい仮面の男は母国語で呟きをもらしてしまう。
紅、いや井崎悠斗とゆりあが兄妹なのは、10年前の紅京介との戦いのときから知っていた。
あの場から生還したのなら、ゆりあも兄同様の資質を備えていても、何ら不思議ではない。
炎熱の重量刀が荒々しくゆりあに襲いかかる。
間一髪の距離で、ようやくゆりあが精霊魔法を完成させた。
防御魔法を展開したのではない。
それは攻防一体の精霊魔法だった。
「大津波!」
通路の端から端まで幅広く海水が立ち上り、分厚い大津波となってゆっくりと林徳華を目指す。
炎熱の重量刀は呆気なく飲み込まれ、通路一杯の大津波は避けようもなく、悲鳴をあげることもできずに林徳華は押し潰された。
「まさか、死んじゃった……?」
死力を尽くして戦わなければ、負けていたのはゆりあの方だ。
しかし、人を殺してしまい気分がいいはずがない。
ゆりあの胃がキリキリと締めつけられる。
「生キテイル」
素っ気ない仮面の男の一言。
それでゆりあは深く安堵……、いや救われた気がした。
戦う以上は人が死ぬのは、手を血で染めるのは当然とはいえ、偽善と言われようが殺さずに済むならそうしたいというのが人の本心だろう。
この場を離れる理由を仮面の男に伝え、ゆりあは弾かれたように駆け出した。
「うぐ、そんな、馬鹿な……」
林徳華は仰向けに横たわったまま、指1つ動かすことができない。
全身に海水を叩きつけられ、体中が麻痺してしまったようだ。
このままでは仮面の男に殺されるのは確実だった。
それだけは免れようと懸命に力を込めるも、林徳華の意に反して体は一向に動いてくれる気配はない。
「勝負あったな」
予想外にも、仮面の男は林徳華の命に興味が無さそうな口ぶりである。
ブータンの戦いぶりから察するに、敵に情けをかけたりする男では断じてない。
それなのに、どうして自分のことを生かしておくのか?
「負けても恥にならない相手というのは、確かに存在する」
いきなり仮面の男は説明を始める。
ここで迂闊な事を言って機嫌を損ねて命を落としたくはないため、林徳華は大人しく聞くことにした。
「あの娘は紅悠斗の実の妹であり、蒼家の次期当主だそうだ」
くつくつと仮面の男は喉を鳴らす。
「だが、やはりまだ子供だな。貴様のために救護班を呼びに行った」
林徳華のことを仮面の男に任せて、ゆりあがこの場を離れた理由はこれである。
「なん……、だと……?」
自分を殺さない理由は判明したが、林徳華はゆりあの行動が不可解極まりないものに思えた。
「敵を助けるとは、愚かだと思わんか?」
仮面の男の質問は答えを期待していなかった、というより誰に対して発した質問だったのかわからない。
自分自身に言い聞かせているようにもみえる。
その甘さが自分に伝染しないように、と。
「俺を、助ける……?」
そして林徳華は認めざるを得なかった。
精霊使いとしても、人としての度量も何もかも、自分が完敗したことを。




