第8章 スタジアム襲撃 ~その4~
「ゆりあ様、こちらです。急ぎましょう!」
「零、ちょっと待って。外は混乱しているんでしょ? だったら無理に外へ出ず、スタジアムの中で落ち着くまで待った方がいいんじゃないの?」
急かす零に対し、ゆりあは落ち着いて自分の考えを述べた。
出来るなら再会したばかりの兄と合流したいところである。
きっとこの状況に対する何らかの有効な手立てを持っていることを、ゆりあは確信していた。
「我々も、ゆりあ様と同じ意見です」
2人の黒服のSPも仕事で培った経験からくる勘が、スタジアムの外へ出るのを避けた方がいいと警告を発したいた。
謎の武装集団による襲撃、それもかなりの数を繰り出しているようだ。
外へ出た瞬間遮る物がなくなり、囲まれてしまう可能性が極めて高い。
応戦している自衛隊に保護されれば問題無いが、自衛隊にも都合があるだろうし、そんな余裕があるとも思えない。
黒服のSPがゆりあの意見を支持したのは、これらの理由からである。
「…………っ!!」
だが零としては面白くない。
どうして自分の意見は、ゆりあに聞き入れられないのだろうか?
蒼家の養子である、ゆりあの傍にいて何くれと世話を焼いたのは自分ではないか。
その自分の意見を軽んじるとは何事か!
これほど尽くしているというのに、ゆりあから何の見返りも得られないことにどうしても納得がいかず、零の胸の裡にドス黒い感情が渦巻いてしまう。
蒼家の人間というだけで学校の女子生徒などは零の気を引こうとするのに、ゆりあだけが振り向いてくれない。全く合点のいかない話だった。
だからこそ、零はゆりあに執着してしまうのだが……。
ありありと不満が噴出しているであろう顔を見られまいと、ゆりあに背を向けた零の視界に1人の男が入ってくる。
「おい! そこのお前!!」
苛立ちを抑えきれず、零は持て余した感情をその男にぶつけるように呼び止めた。
これを非難したのは、ゆりあである。
「ちょっと零! そんな言い方したらダメよ。どうもすみません」
礼を失した零に代わって、ゆりあは丁寧にお辞儀した。
ゆりあが零に興味を示さない理由が、ここにある。
蒼家の人間としてではなく中学3年生の、15歳の少年としては精神が未熟に過ぎた。
全ての肩書を外し1人の少年として公正な視点で考えれば、とてもではないが、ゆりあは零に対して好意を抱けない。
だから零は兄の悠斗や、目の前の男から手痛いしっぺ返しを食らう羽目になる。
「そっちのお嬢さんの言う通り、そういう態度はよくない、よくないよ~?」
男の口から発せられた聞き慣れない言語に、ゆりあは背筋に悪寒が走り後ずさる。
これまでに感じたことのない恐れを覚えたのだ。
「邪魔だよ」
その男、林徳華が素早く印を結び精霊魔法を放つ。
火を噴く石が一度に複数顕現し、零の体に打ち込まれた。
「零!」
悲鳴をあげる間もなく白目を剥いて気絶してしまった零のもとへ駆け寄り、ゆりあは屈みこんで介抱する。
若輩とはいえ、零も蒼家に連なる精霊使いだ。養子のゆりあよりも、血統は秀でていた。
それを至近距離から不意を突いたとはいえ、一撃で戦闘不能に追い込むとは……。
黒服のSPの2人も、ゆりあを庇おうとして次々と倒されてしまう。
林徳華は無抵抗の相手にも手を緩めることなく、印を結び始めトドメを刺そうとした。
「お兄ちゃん……」
恐怖に身が竦んでしまい、ゆりあは指1つピクリとも動かせないでいた。
「炎熱の投げ槍!」
爛々と燃え盛る投げ槍が、ゆりあ目がけて一直線に迫る。
――もうダメ!
ぎゅっと目を瞑り、ゆりあは抗うことを放棄してしまった。
「流水の球!」
横合いから飛び込んできた流水の球が、炎熱の投げ槍を打ち消す。
「誰だ!?」
もうもう漂う蒸気から体を避けつつ、林徳華は突如この場に乱入してきた人物を見遣った。
「変な仮面しやがって」
林徳華はふんと鼻を鳴らしてニヤリとした笑みを浮かべる。
乱入者は仮面を装着しているのだ。
「香港四天王、林徳華か」
仮面の下から、くぐもった声であるものの流暢な中国語が発せられたことに、林徳華とゆりあは揃ってぎょっとした。
2人とも仮面の男は、てっきり日本人だと思っていたからだ。
「早ク、逃ゲロ……」
今度はたどたどしい日本語で、仮面の男はゆりあに告げると右手にファイティングナイフを携え、林徳華に構えを取る。
その仮面の男の構えを目にした林徳華、並びにゆりあは驚愕のあまり目を見開いた。
先ほどの流水の球から推測するに、精霊使いとしてもかなりのレベルに達しているに違いない。
それでも仮面の男は精霊魔法だけに頼ろうとせず、ファイティングナイフまで活用した戦い方を選択した。
精霊魔法と近接戦闘を高い次元で融合した人物で林徳華と、ゆりあが共通して知っているのは1人しかいない。
「貴様は死んだはずだ!」
よもやの新事実に狼狽しながらも、林徳華は鋭い視線で仮面の男を斬りつける。
「ブータンで、劉崇も同じことを言っていた」
「そうか! 貴様が中国巴蜀軍の司令部を壊滅させたんだな」
これで林徳華は腑に落ちたと同時に、仮面の男の正体も掴めたのだが紅悠斗と戦う前に相手にするのは、非常に厄介な相手といえよう。
「どうして私を助けてくれたんですか? あなたはお兄ちゃんを、紅悠斗を殺そうとしたんでしょ? それに、ずっと以前から日本で精霊使いを殺害していたはず……」
次いで、ゆりあが質問をした。
かつて日本国内でテロ活動を行っていた相手を、そう簡単に信用できるはずがない。
仮面の男と紅京介の戦いに巻き込まれて、ゆりあの両親は死に、兄の悠斗とも生き別れになってしまったし、ゆりあ自身も生死の境をさ迷ったのだ。
つい最近も、再び悠斗の命を狙ったと聞いた。
そんな人物が何故、ゆりあを助けようとするのだろうか?
不可解に思うのも当然だった。
「命令、ダカラダ」
仮面の男は抑揚のない声で応じる。
ここで紅悠斗の妹を助けようとするのも、10年前の紅京介暗殺も、別の組織であるが上からの命令に従った結果に過ぎなかった。
そこに個人の感情を挟む余地など一片もない。
「命令で人を殺し合う……、お兄ちゃんはそういう世界にいるのね」
ゆりあは己の不甲斐なさを痛感した。
兄に比べて、自分はどれほど手厚い保護を受けているのだろう?
このままいいはずがない。
「今から言うことを、翻訳して欲しいんだけど?」
「イイダロウ」
「あなたの相手は、私がすると伝えて下さい」
強い意志の光が、ゆりあのつぶらな瞳に宿っていた。




