第5章 香港四天王 ~その6~
しかし、その台詞の中には聞き逃せない名詞がいくつか含まれている。
「香港四天王だと?」
「紅悠斗?」
「まさか、いきなり遭遇するとは思っていませんでしたが」
特に悠斗は顔色を変えたりするでもなく、麻婆豆腐を口へ運んだ。
「うま。壬生先輩も食べましょう! そうそうこんな高い料理は奢れませんよ?」
「ふふ、ダーリン。よくそんなに冷静でいられるな」
「ここは安全ですよ」
「安全って……」
すぐそこに敵がいるせいか汐莉は不安が拭えない。どうしても林彩華に対して警戒心を抱いてしまう。
というよりも悠斗が無防備すぎるのだ。
「あなたが紅悠斗なのね!」
林彩華の確認をするような物言いに、悠斗の方が意表を突かれた。
こちらの事を十全に調査して日本に潜入していると思ったからだ。
「先ほど名乗りましたが?」
「写真と全然違うから、わからなかったわ」
林彩華は資料に目を通していたが、そのとき見た写真の悠斗は非常に張りつめた表情をしていたのだ。
目の前で穏やかに麻婆豆腐を頬張っている人物と同一人物とは思えない。
「日本語が、とてもお上手ですね」
「馬鹿にしているの!?」
「そんなつもりはありませんが……。どうです、ご一緒に?」
何を血迷ったか悠斗は相席を勧める。
「ふざけないで!」
頭にきた林彩華は場所柄も弁えずに印を結び始めた。
「林殿、ここで争うのは慎んでいただきたい」
「陸遜、これは東方不敗様の命令なのよ!」
「ここを失ったら、あなた方も困るはず。それに今、クロウリー家のお孫さんもいらっしゃいます。香港はクロウリー家を、ひいては英国を敵に回すおつもりですか?」
ここで戦った場合の損失を訴え、陸遜は説得を試みた。
「……命拾いしたわね」
去り際に、きっ! と林彩華は悠斗を睨みつけた。
「ほらね。ここは安全でしょう?」
けろりと悠斗はおどけてみせる。
「ダーリン、ひやひやしたぞ」
「もう少し上手に、時間稼ぎが出来ればよかったんですけどね」
「もしかして、意図的にやっていたのか?」
「なんだと思っていたんですか……」
陸遜が訪れるまで、林彩華が印を結ぶまでの時間を引き延ばしていたというのに。
肩を落としながら、悠斗は陸遜に話を振った。
「東洋一の精霊使いである東方不敗が、何のために俺のことを狙ってくるかわかりますか?」
「目的までは、残念ながら」
「では、香港軍の動きは?」
「徐々に人員を日本に送り込んでいる……、ここまででお許しください」
「具体的に、いつ、どこで、どんな軍事行動を起こすのか、まではさすがに口を割れませんか」
まあ無理な注文だよなあというのは、訊いた悠斗自身もわかっていた。
「日本の情報は、どれだけ流しました?」
これまた聞きづらいことを、悠斗はズバリ口にした。
「申し訳ありませんが、それも……」
「俺の情報は江東の虎や香港軍に流しているのに? さらに付け加えると、あのショッピングモールの防犯カメラの記録映像を、どこから入手してコピーしました?」
「………………」
陸遜は絶句した。
それこそ、どうして悠斗が知っているのだ?
「あの戦闘の映像は、確かに相当な価値がある」
いつのまにか悠斗の眼差しが、冷徹なものに変わっていた。
表でも裏でも情報を取り扱っている陸遜だからこそ、悠斗の指摘の正しさを否定できない。
火の王、魔神イフリートの存在と、その契約者の確定。
紅京介の不死鳥の能力。
紅織姫や蒼茉夏、そして壬生汐莉のような、まだ表に出ていない若き有能な精霊使いの存在。
日本を仮想敵国としている国からすれば、非常に有益な情報だ。
「ダーリン、この男……」
これまでの会話で、汐莉は陸遜がかなり危険な存在だと察知していた。
与える情報の匙加減1つで、勢力図が塗り替わってしまうのではないか?
そういう意味では香港四天王以上に用心すべき相手だ。
「手を出していない相手を斬ってはいけませんよ、壬生先輩」
「ダーリンの動きが筒抜けなのだぞ?」
偶然、と思っていたショッピングモールでの江東の虎との遭遇は、もしかすると……。
「今は1人ではないですから。壬生先輩や織姫に古式さん、蒼会長も達也だっている」
「ダーリン……」
「これからは最初から頼らせてもらいますよ。俺1人では無理でも、みんなと一緒なら、どんな困難でも何とかなりますよ」
我ながら、よくこんな青臭い台詞が言えたものだ。
しかし、間違いなく悠斗の本心だった。
「変わったな、ダーリン」
汐莉は満足気に微笑んだ。
「香港四天王と香港軍が動いている。それがわかっただけで、よしとするか」
「こちらの事情を理解していただき助かります。サービス致しますので、どうぞゆっくりしていってください」
この場を去ろうとして、ふと思い出したかのように陸遜は話し始めた。
「御二人とも精霊争覇戦の代表には選ばれましたか?」
「私もダーリンも、まず間違いなく代表に選ばれるはずだ。それが、どうかしたか?」
陸遜のことを危険視いている汐莉は棘のある言い方になる。
「そうでしたか。高校生の大会とはいえ『どんな相手が出てきて』、『何が起きるか』わかりません。悠斗殿以外にも壬生さんのように『若くて優秀な精霊使い』が集まる大会です。充分に『気を付けてください』」
それだけ言い残すと、今度こそ陸遜は踵を返し去っていく。
悠斗と汐莉は互いの目が合った。
「単なる世間話の範疇で済むかな?」
苦笑を交えながら悠斗は嘆息するが、陸遜がいくつかの重大な示唆を残していってくれたことに、内心で少しだけ感謝した。
ぎりぎりの譲歩だろうし、林彩華に対する意趣返しでもあるのだろう。
単に香港側が勝ち過ぎると、陸遜の都合が悪くなるだけかもしれないが。
「私も気を付けるとしよう」
「ええ、壬生先輩も気を付けてください」
若い芽を摘むべく、悠斗以外の精霊学園の生徒も香港軍のターゲットに含まれている。
精霊争覇戦は分校対抗戦であり、将来有望な精霊使いが集まる。そこを狙えば、間違いなく将来の日本の戦力を削ぐ結果となるのだ。
このことを悠斗に告げることにより、陸遜は日本に貸しを作った。
香港軍に対しては、警備が厳重になったといえば済む。
「なかなかの策士だな」
片頬を歪めて笑う悠斗の上司と、どちらが喰えないだろうか?
そんなことを考えて、悠斗は1人にんまり笑うのだった。
※次の月曜日は祝日ですので、14日に投稿します。




