第4章 ゴールデンウィークの出来事 ~その10~
パチリ、と愛李のアーモンドのような瞳が開いた。
「大丈夫か、古式さん?」
「壬生先輩……。私は確かナイフで刺されたんじゃ?」
言いながら愛李は刺された脇腹に触れてみた。
「あれ?」
傷跡が全くない。というより刺される前の状態に戻った感じだ。
「ダーリンの父上の契約精霊は不死鳥で、その再生能力を使ったんだ」
「そうだったんですか。それで、悠斗さんは?」
「古式さんが刺されたことで我を忘れてしまった……」
くいっと汐莉は顎をしゃくった。愛李がそちらへ目をやると、炎の魔神がいた。
「まさか! あれが悠斗さんなの?」
ごくり、と愛李は喉を鳴らした。
「あれがダーリンだ。私もダーリンの父上や茉夏の助太刀をする。1人で大丈夫だな?」
「はい」
愛李は立ち上がり、炎に全身を覆われた悠斗を真っ直ぐに見つめた。
「……泣いているの?」
そう見えた。戦いなど望んでいない。誰かにわかって欲しい。悠斗はそう訴えている。
「悠斗さん……」
意を決して愛李は悠斗を救うべく行動に移した。しかし、精霊魔法を行使するのではない。
愛李は悠斗に歩み寄る――――。
一歩近づく度に、頬を炙る炎の熱が強くなる。
愛李は悠斗に歩み寄る――――。
イフリートの炎を抑え込むために、みんなは必死に精霊魔法を駆使していた。
愛李は悠斗に歩み寄る――――。
「古式さん! それ以上、前に行ったら燃えてしまう」
汐莉が愛李の肩に手を伸ばして止めようとした。
愛李は悠斗に歩み寄る――――。
しかし愛李はその手をやんわりと払って、悠斗を正面から見つめた。
愛李は悠斗に歩み寄る――――。
髪に火が燃え移るが、そんなことに構わず愛李は悠斗を視界の正面に捉えて離さない。
愛李は悠斗に歩み寄る――――。
もう少し、あと少しで手が届く位置まで辿り着いた。
愛李は悠斗に歩み寄る――――。
すっと手を伸ばし、愛李は悠斗の頬に触れた。手が焼けただれ激痛が走る。
それでも愛李は微笑みかけた。
「私は大丈夫だから」
「古式……、さん……」
「私の事で、悠斗さんが苦しむ必要はないから」
「あ、ああ……」
ただ、それだけのことだった。イフリートは悠斗の体からいなくなり、たちまち炎は跡形もなく消え去ったのだ。
全身が黒焦げとなりながらも、いまだ孫の足取りはしっかりしていた。精霊力をほぼ絞り出したとはいえ、逃亡を計るのには問題無い。
「火の王に触れられてその程度で済むとは、さすが『江東の虎』といったところかな」
清涼な声が孫の耳朶を打った。
「ですが、すでに精霊レンジャー課がこの建物を封鎖しています。逃げられませんよ?」
「精霊騎士団、カ……」
「その呼び名、とても恥ずかしいんですがね。そのうえ自分は聖騎士などと、あまりありがたくない肩書をちょうだいしましたよ」
――こういうのはインパクトが大事ですから。
片頬を歪めて笑う精霊レンジャー課の課長が、熱弁を振るってこんな通称になってしまった。
聖騎士とは精霊レンジャー課、通称精霊騎士団で唯一の存在だ。
「いい加減にしてもらいたいものですよ」
その清涼な声音は、とても困っているようには聞こえなかった。
「それでどうします? 大人しく捕まれば、悪い様にはしませんが?」
「素直二、言ウ通リニ従ウト思ウノカ?」
孫は最後の一振り残ったファイティングナイフを構えた。
「そうそう。陸遜の手勢をアテにしているのなら、無駄ですよ。あなたの情報を漏らしたのは、他ならぬ彼ですから」
「陸遜殿ガ……?」
別にアテにはしていなかったが、裏切られるとも孫は思っていなかった。
「悠斗君の情報を漏らしたのも、陸遜ですが。双方に恩を売りたかったのかな?」
「ソウナルナ」
孫は深い溜息を吐いた。
「名ハ、何トイウ?」
「北条総司です。そろそろ、いいですかね?」
総司の目に、奇妙な光がたたえられていた。
孫はファイティングナイフを振りかざす。
その後、『江東の虎』の姿を見た者はいない……。
5月4日
悠斗は病院のベッドの上で目を覚ました。
全く体に力が入らず、全身が気怠い。
「悠斗さん。今日1日は安静にしていないと駄目ですよ」
不死鳥の能力で悠斗の外傷は治癒したが、疲労や消耗までは回復できない。こればかりは静養しないといけなかった。
「はい、これ」
愛李が差し出したのは、ちゃんとウサギになったリンゴだった。
「上手だなあ」
感心しながら悠斗はリンゴを口に運んだ。
その様子を織姫と汐莉は病室の片隅でじっと窺っていた。
「ダーリン。別にリンゴが剥けないくらい、どうということはないよな?」
「そうですよね、お兄様?」
「はあ?」
悠斗は状況が飲み込めない。
「ふふ。あのですね悠斗さん。リンゴを1番上手に剥けた人が、こうして看病することになったんですよ」
これ以上ないドヤ顔を愛李は披露した。
「ぷ! あっはっは! なるほど、それで古式さんが傍にいたのか」
妙に説得力のある話だった。
悠斗は愛李の顔を見つめた。確かに3人の中では1番料理が上手そうだ。悠斗も下手ではない。紅家では悠斗が食事を用意している。
「悠斗さん……」
つい見入ってしまったようだ。愛李が真っ赤になっている。
織姫と汐莉は面白くないのか、2人して口をへの字にしてむくれてしまう。
「まあまあ」
悠斗は2人を宥める。機嫌を損ねたままでは話を切り出しにくい。
「みんなは明日、空いてるかな?」
急な提案だったからだ。
だが、
「はい」「お兄様の仰せなら」「ダーリンの頼みではな」
3人同時で即答した。答え方は3者3様だったが。
悠斗は安心して穏やかな声で、言った。
「俺の大事な人達に会って欲しいんだ……」




