第4章 ゴールデンウィークの出来事 ~その8~
「ヤルナ……」
孫は目を瞠った。
精霊魔法の撃ち合いでは押し負け、得意の近接戦闘でも轟炎の剣と瞬間的に放たれる威力の小さい精霊魔法で凌がれる。
それに、まだ切り札を隠し持っている。孫の直感がそう告げていた。
しかし、それは過大評価というものだ。
事実は孫の想像と全く違い、悠斗の体は孫の攻撃を受ける度に悲鳴を上げていた。
自分がこの世界にいられるのも、あとわずかだと悠斗は悟った。
そんなとき――。
異常なほどの正確さで、悠斗と孫の間に突如として岩壁が屹立した。
「悠斗さん!」
愛李が息せき切って悠斗のもとへ駆けよる。
「古式、さん……」
「バカ! どうして何でも1人で背負い込もうとするんですか!?」
「ごめん」
戦いで息をするのも苦しかったが、何とか悠斗は素直に謝った。
――どうして戻ってきた?
助けられた分際で、そんなこと言えるはずがなかった。
一方、汐莉は孫と睨み合っていた。
「なるほど、ダーリンが私たちを遠ざけようとするわけだ」
『江東の虎』の纏っている気配で汐莉は全てを把握した。
じっと汐莉は孫の目を注視する。
人にはどうしてもやってしまう動作がある。F1レーサーが気を付けていてさえ、行ってしまう動作。
それは『瞬き』だ。
孫が瞬きをする。
目を開けたときには、汐莉がすぐそこまで肉迫していた。
「!」
それでも孫は空気の流れ、気配、反射神経で汐莉の動きを読み、渾身の一撃をファイティングナイフで受け止めてしまう。歴戦の勇士であればこそだ。
「む!」
わずかに汐莉の顔が曇ったが、孫の動揺はその上をいっていた。
機先を制することに成功した汐莉は、一方的に斬撃を浴びせ続ける。
その攻撃を躱すことは、孫にとって容易な事だった。
容易ならざるは精霊力を高めている、この場に存在するもう1人の少女だ。
もう1人の少女とは、蒼茉夏である。
この機を逃すほど茉夏は凡庸ではありえなかった。
「海神の三叉槍!」
茉夏の持つ精霊魔法の中で、最大最高の威力のものが放たれた。
すでに汐莉は迅雷を発動させ、海神の三叉槍の効果範囲から退避している。
このあたりは阿吽の呼吸の連携だった。
孫は窮地に追い込まれていることを自覚せざるを得なかった。
海神の三叉槍を完全に防ぐのは不可能と判断するも、だからといって防御魔法を展開しないわけにはいかない。
直撃すれば即死だ。
孫は死にもの狂いで印を結び防御魔法を完成させる。海神の三叉槍とぶつかり消し飛ぶも、その威力を低減させることに成功した。
さらに孫は己の内に宿る精霊力を振り絞り、海神の三叉槍に抵抗しようとする。精霊力が上回れば受けるダメージを減少させられるのだが、無傷というわけにはいくまい。
孫は自分の見通しが甘かったことを思い知らされた。
こんな平和ボケした国に、ここまで傑出した精霊使いが幾人も存在するとは。
まだ年端もいかない少女2人に自分が翻弄されている……。
孫は歯ぎしりした。
そして、海神の三叉槍が炸裂する。
精霊魔法の属性が自分と同じ水であることも幸いし、どうにか孫は耐え抜くことができた。
だが危機を切り抜けたことでほんの少しだけ、孫に油断が生じてしまう。
その間隙をぬって、汐莉は孫を背後から袈裟がけに切り裂いた。
「これは!」
斬った手応えが全くなかった。
次の瞬間、パシャっと音を立てて大量の水がぶちまけられた。
「水で分身を……」
自分が全く成長していないことを汐莉は痛切に感じた。
そして突如、物陰から飛び出した人影が無防備になっている悠斗に襲いかかる。
汐莉も茉夏も、そして悠斗自身も全く反応出来なかった中、ただ1人、愛李だけが動きえたのだ。
咄嗟にその身を投げ出し、悠斗の盾となる。
「うっ…………」
深々と愛李の脇腹にファイティングナイフが突き刺さった。
孫はファイティングナイフから手を離して後ろへ跳び退る。
この場にいる誰もが、突き刺した当人の孫でさえ唖然として棒立ちになった。
「古式さん!」
悠斗が愛李の体を抱き支える。
「私が守るって、言ったでしょう?」
気丈にも愛李は微笑んだ。しばらくしてガクッと体の力が抜けた。
悔恨。
悠斗は激しく後悔した。狙われていることをもっと自覚しておけば、こんなことにはならなかったのだ。己の迂闊さを呪わずにはいられなかった。
「古式さんのこと、お願いします」
愛李のことを汐莉と茉夏に任せ、悠斗は怒りの感情を全て孫へ向けた。
「てめえは、何で俺の大事な人達を殺すんだよ? 関係の無い人間を巻き込むんだよ?」
悠斗の家族も孫がいなければ生きていた。
「其レガ、戦イトイウモノダ」
「そうかよ」
ずん、と悠斗は一歩前へと踏み出した。
「じゃあ、てめえが殺されても仕方ねえよな」
悠斗は覚悟を決めた。絶対に仇を取る確実な方法を選ぶ。
「イフリート、代われ!」
10年前のあの日以来――。
失って心を抉られるほど、大事なものなど最早無い。悠斗はそう思っていた。
しかし、それは完全に間違いだったのだ。
「あいつを、殺せ!」
――よかろう。
畢竟、悠斗の全身から勢いよく炎が噴き出し、全身が燃え盛る。
「ずいぶんと久し振りなものだ。人間の体を介してとはいえ、こちらの世界にこうして顕現するのは。氷の王、魔狼フェンリルの契約者と対決したとき以来か」
炎に包まれた人の形をしたそれが、くつくつと喉を鳴らす。その声が悠斗のものとは明らかに違っていた。
「褒めてやるぞ? わしを引きずり出すまで、わしの契約者を追い詰めたことを」
今や悠斗は悠斗でなく火の王、魔神イフリートそのものだった。
それが凄絶に笑う。
圧倒的な、巨大な精霊力。死を具現化した存在。
ただの人である身に抗う術はない。
孫は恐怖し、絶望した。




