第4章 ゴールデンウィークの出来事 ~その7~
「――――――――!」
悠斗の背筋がざわりと粟立つ。獰猛な殺気が自分に向けられていることが、すぐにわかった。
ここは3階だ。無粋な人物は吹き抜けを挟んだ反対側の通路にいて、こちらをじっと見据えていた。
「偶然、か?」
だとしたら全身にみなぎっている殺気の説明がつかない。ここで仕掛けてくる気なのか……。
悠斗は無言で愛李の手を引き、茉夏達3人娘のところまで連れてきた。
「急いでこの場から少しでも遠くに逃げて下さい」
有無を言わさぬ口調で悠斗は愛李のことを託す。
そして手近な火災報知器のボタンを迷うことなく押した。
「ダーリン。あれが『江東の虎』なんだな?」
「はい」
「護衛の私でも駄目か?」
「……はい」
それでは何のための護衛なのか?
だが悠斗は誰も巻き込む気はなかった。
「わかった。ダーリン死ぬなよ」
思いの外、汐莉はあっさりと引き下がった。茉夏、愛李も静かにこの場を離れようとした。
「私はお兄様と一緒に戦います!」
ただ1人、妹の織姫だけが悠斗に逆らった。
「織姫!」
「お兄様には、どこまでもお供します。例えあの世でも……」
「聞き分けのないことを言うんじゃない。それに、生きたくても生きられない人だっているんだぞ!」
「お兄様のいない世界で生きていたって、何の意味もありません!」
織姫の瞳には本気の色が宿っていた。
「どうしてそこまで……」
「お兄様は、いつも私の代わりに戦ってくれています。海外で、日本で」
本来、それは紅家の次期当主である織姫の役目である。少なくとも日本においては矢面に立たなくてはならない。
それを、いつも兄が身代りになってくれている。
紅家どころか虹七家とは本来、縁もゆかりもないのに。
これで魅かれないはずがない。織姫はいつしか悠斗に思いを寄せるようになった。
「……妹じゃない」
ひたむきに慕ってくれる妹だからこそ、悠斗は心を鬼にした。
「え? お兄様?」
「お前なんか、妹じゃない」
「な、何を仰っているんですか……?」
織姫の表情が、みるみるひび割れていく。
「俺の妹は10年前に死んでしまった、ゆりあだけだ」
年齢は悠斗の1つ下で、わずか5歳でその命を落とした。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
と、丸顔でつぶらな瞳のゆりあは、よく悠斗の後ろにくっついてきたものだ。
その妹には、もう会うことができない……。
「それに俺の家族は、ある精霊師とテロリストとの戦いに巻き込まれて死んだんだ。その精霊師というのは」
ここで悠斗は言葉に詰まった。言ってよいものかどうか、逡巡したのだ。しかし、意を決して真実を吐露した。
「その精霊師というのは紅京介、つまり織姫、お前の父親だ」
「う、うそですよね? それじゃあ、お兄様は……」
「家族の仇と一緒に暮らすのは、とても苦痛だったよ。その娘と顔を合わせるのもな。妹だなんて、思えるわけがない」
衝撃の真実だった。
織姫は顔面蒼白となって立ちすくんでしまう。胸にぽっかり穴が開く。他に例えようのない心境だった。
「織姫さん、行きますよ」
茉夏が織姫を支えて連れて行く。そのとき悠斗は目配せし、茉夏は軽く頷いた。
「今ノ話ハ本当ナノカ?」
たどたどしい日本語で孫は訊ねる。
「暗殺者が盗み聞きか。みんながいなくなるまで、手を出さなかったことに免じて教えてやる。本当のことだ」
「ク、ククク。ハアーハッハッハッ!」
突然、孫が高らかに笑い出した。
「ソノ、テロリストトイウノハ、我ノ事ダ」
「なん……、だと……」
「10年前ノアノトキ、精霊力ガ高マリ、炎ガ急二消エタノハ貴様ノ仕業ダナ? 紅悠斗」
「どうやら、本当の事らしいな」
当時の事を悠斗は途中から全て見ていた。火の王、魔神イフリートと契約を結んだあとに、イフリートの目を通じて。
「……仇を討たせてもらう」
右手をかざして魔神イフリート固有の武器、轟炎の剣を顕現させ、悠斗は臨戦態勢に入った。
「さて、戻るとするか」
火災報知器の警報が鳴り響く中、汐莉は踵を返した。護衛としての任務以上に、悠斗の身が案じられる。
「そうしましょう。織姫さんの事を頼まれたけど、このまま見過ごすわけにはいかないわ」
それに茉夏も蒼家の人間だ。虹七家としての責務がある。
「お二人は、最初からそのつもりで?」
あまりに簡単に汐莉や茉夏が引き下がったのを見て、愛李は不思議に思っていた。
「もちろんだ。あそこでゴネてもダーリンが一緒に戦わせてくれないのは、わかっていたからな」
「私や汐莉はいずれ江東の虎のような相手と戦うことになる。それが今になっただけよ」
蒼家の当主候補としてのプライドも、茉夏にはあった。2つ年下の筆頭候補に負けたくないという気持ちもあった。
「わ、私も一緒に行きます!」
愛李は悠斗のことが心配でいてもたってもいられなかった。
ただ織姫だけは、心ここに在らずといった風采である。
「織姫さん。あなたはこのまま外へ出て、じきに駆けつける消防隊に保護を求めなさい」
茉夏の言う事も上の空で聞いている。よほど先ほどの事実が堪えたのだろう。
織姫のことは、いずれやってくるであろう消防隊に任せて茉夏、汐莉、愛李の3人は悠斗のもとへと舞い戻ることにした。
「ダーリン、無事だとイイが」
「無事に決まっています!」
愛李が口を尖らせる。
「だな。すまん」
「強い精霊力の反応が2つ。その割には強力な精霊魔法を行使している感じではないのだけれど……」
不自然に思うが、茉夏も理由はわからない。
「急ぐとしよう」
汐莉の言う通り無駄話をしている暇はない。3人は先を急いだ。




