第3章 蠢動 ~その6~
「どうした?」
伊織が運転手に問うた。リムジンが急停止したのだ。
「それが、道の真ん中に……」
運転手が言い終える前に、伊織はリムジンから飛び出していた。晴信も危険を察知して降りる。
「黄晴信ダナ?」
リムジンの行く手に立ち塞がっていたのは、
「孫虎江! 貴様がテロリストだったのか!!」
反射的に伊織は抜刀していた。
「晴信さん、逃げて下さい。自分が時間を稼ぎます」
「何者かね?」
「江東の虎です」
「あの男が……」
「はい。2年前にソウルで戦いました。間違いありません」
間違いであって欲しかったがそうではない。
伊織は晴信を庇うように前へ出た。
「アノトキノ、侍カ」
孫の方も伊織のことは覚えていた。日本人では稀有なことに、近接戦闘で自分と互角に渡り合った男のことだ。忘れようもない。
あくまで2年前の話だが。
「貴様トハ、マトモニヤラナイ」
ファイティングナイフを手にせず、意表をついて孫は精霊魔法の印を結び始めた。
「いかん!」
伊織は焦燥に駆られた。
江東の虎は確かに精霊使いとしても一流だ。そのことを失念していたわけではないが、戦闘スタイルは精霊魔法を織り交ぜた近接戦闘のはずである。
それが精霊使いとして挑んできた。
まんまと伊織は裏をかかれてしまった。
今から斬り込んでも伊織の刀が届く前に孫の精霊魔法は完成するだろう。伊織の契約精霊はシルフだ。迅雷のような技はない。
妹の汐莉なら余裕で間に合うだろう。こういうとき自分の能力の限界を、妹との差を痛感してしまう。汐莉のが剣士に向いていた。
だが、今は泣き言を言っている場合ではなかった。とにかく精霊魔法の一撃に耐えなければいけない。
例え精霊使いとしての伊織は、江東の虎より数段劣るとしてもだ。
孫の周りに数多の水滴が浮いていた。次第にその水滴が細く、より細く針のような形状へと変化していく。
「水の針!」
無数の針と化した水滴が、伊織と晴信に襲いかかる。
「竜巻!」
小さな竜巻を精霊魔法で顕現し、伊織は水滴で作られた針の軌道を逸らそうと試みた。
まるで横殴りの雨のような勢いで降りかかる水滴の針の攻撃が、パタリと止んだ。
「……ヤハリアノ少年、紅悠斗ダケカ」
どこか虚しさを漂わせて、孫は身を翻した。
「ま、待て!」
無論ここで放置するわけにはいかない。伊織は孫のあとを追いかけようとした。
「痛――――」
両脚に激痛が走る。見れば夥しい量の出血をしていた。竜巻を貫いて何本もの水滴の針が突き刺さっていたのだ。
驚愕の面持ちで伊織は恐る恐る振り返る。運転手と、そして晴信は体の前面が針ねずみのようになり絶命していた。
「そんな……」
晴信も防御魔法を展開したらしいが、どうやら意味を為さなかったようだ。
精霊使いとしては伊織よりも晴信の方が遙かに格上だというのに。
そして自分にトドメを刺さずに立ち去った。それはつまり江東の虎にとって自分のことなど、まるで眼中に無いことを示していた。
「あんな化け物、どうやったら止められるんだ」
絶望、の2文字が伊織の頭に浮かんだ。
ウンディーネの精霊魔法による効果が解けたのだろう。
水滴の針が水となり、流された血と混ざり合うのだった。
さすがにウンディーネ5体を相手にしては、悠斗であっても骨だった。
それでも日が明ければ学園に行かなければならない。
教室に着くと愛李と目が合い、どことなく悠斗はぎくしゃくしてしまう。
後ろめたいことなど、何もないのだが……。
「悠斗、昨日はお疲れさん」
「達也もな」
意外に指示をテキパキ出せる達也の一面に、悠斗は素直に感心した。
「今、職員会議をやってるけど何か知ってるか?」
「恐らく小田切先生の処遇だろうな」
「小田切先生?」
「達也は見てなかったか。生徒を置き去りにして逃げ出した」
「マジか……」
「さすがに、庇いようがない」
現実を直視するにはよかったかもしれないが、ショックも大きいだろう。
「悠斗さん、それで小田切先生はどうなるの?」
「えっ? あ、ああ古式さん……」
我知らず悠斗はどぎまぎしてしまう。その様子を見て達也は、はは~んと訳知り顔になる。
「多分、二級精霊使いの資格の剥奪と精霊との契約を解除させられるんじゃないかな?」
その辺りが落としどころとしては妥当だろう。
「契約解除、ですか」
「納得いかない?」
「少し厳しすぎるんじゃ」
「別に実刑に処されたり、罰金を取り立てるわけじゃないから普通に暮らせるよ。これが軍隊なら、敵前逃亡はその場で射殺されることもある」
そういう意味では温情のある処罰といえた。
「そんな! 射殺だなんて」
「あのとき悠斗がいなかったら、何人か死んでいた可能性があるからな」
きちんと状況を飲み込めている達也だからこその発言だ。
「外国では俺達よりもずっと若い子供が戦っている。厳しい言い方だが、覚悟がないなら精霊使いなんてやめた方がいい」
悠斗は望んで精霊使いになったのではないのだ。精霊使いになりたがる奴らの気持ちが今一つ理解出来ない。
「私はそこまで割り切れません。精霊使いは誰かを守ることも出来るはずです!」
愛李の言葉に悠斗は、はっとなった。
「そうだね。古式さんには立派な覚悟が、いや勇気が備わっている」
ウンディーネ5体に対し、愛李は果敢に立ち向かったのだ。
「きっと素晴らしい精霊使いになれるよ」
「えっ……? あ、はい!」
愛李は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「もうすぐゴールデン・ウィークだけど、悠斗は空いてるか?」
「珍しく今年は仕事が入っていない」
例年、海外を嫌な理由で飛び回っていたのだが本当に珍しい。
「じゃあさ……」
「私と買い物に付き合ってください!」
「あ、ああ。うん。いいよ」
「古式に譲るわ」
男2人がひいてしまう愛李の気迫だった。
ゴールデンウィークがすぐそこまで迫っていた……。




