第18章 満州の地で ~その3~
パーヴェルは自分の判断を褒めてやりたかった。
ナターシャを後方へ撤退させたことである。
あのまま留まっていたら、確実に殺されていただろう。
それくらい、目の前の精霊使いは強かった。
まだ10代の少女を死なせるのは、忍びないのだ。
「あの精霊使いに火力を集中しろ!」
残っていた味方にパーヴェルは檄を飛ばした。
明らかに異様な雰囲気を放っている中国軍の精霊使い。
それを倒せば流れが変わる。
パーヴェルも精霊魔法を放つが、その精霊使い王成徳は鉱石という変わった属性の精霊と契約しており防御は鉄壁だった。
いくら攻撃を浴びせようが、びくともしない。
「氷の王でも連れてこないと、まともに相手にならないか」
つい弱気の虫が顔を覗かせるパーヴェルだった。
倒すことを諦め、足止めに専念することに方針を変更する。
もはや生きてハバロフスクの地を踏むのは無理だろう。
いつか死ぬ時が来るとは思っていたが、それが今日になるとは思わなかった。
「ナターシャに、きちんと告白しておけば良かったな」
年齢が離れすぎているとか、そんな事を気にするんじゃなかったと、この土壇場でパーヴェルは後悔する。
しかし何もかもが遅すぎた。
「鉱石の短剣!」
敵精霊使いが放った強力な精霊魔法が飛来したからだ。
「がはっ!」
何本もの鉱石の短剣がパーヴェルの全身に突き刺ささった。
もちろん即死である。
「ハバロフスクまで後退する」
ゴリツィンは苦渋の決断を下した。
パーヴェルらの犠牲により合流を果たしたロシア軍であったが、それでも中国軍の兵力には遠く及ばない。
ハバロフスクに籠り増援を待つ他なかった。
この場に留まり戦っても中国軍の数と勢いを前に、被害は増すばかりだろう。
今後の方策が決まると兵たちは活発に動き始める。
退却戦は難しい。
数少ない戦車部隊は砲撃をし続け、少しでも中国軍の足止めを試みた。
その間に歩兵は地雷をばら撒いたり、敵に損害を与えるための労を厭わない。
命がかかっているからである。
だが中国軍は砲弾に晒されながらも、追撃の手を緩めない。
王成徳の義和団が中心となって防御魔法を展開し進撃を支援しているのだ。
「ゴリツィン少将、急いで下さい!」
側近の参謀が悲鳴にも似た声をあげる。
それほど自体は切迫していた。
ゴリツィンは悔しかったが、ここで自分が死んでは兵たちはバラバラになってしまう。
一軍の将は兵に対する責任を追わねばならない。
簡単に死んでいい存在ではないのだ。
「わかった」
固めた拳を震わせながら、ゴリツィンは参謀に勧められるまま装甲車に乗り込みハバロフスクへ避難した。
ナターシャも一緒だ。
敵の将が戦線を離脱したからといって、中国軍が攻勢を止めることはない。
ゴリツィンが逃げ出したことを王成徳は知らなかった。
「どうやら敵はハバロフスクに逃げ込むようだな」
王成徳はロシア軍の動きを看破した、というか自分がゴリツィンの立場でもそうする。
ハバロフスクは極東ロシア地域の行政の中心であり、ハバロフスク地方の州都だ。
さらにシベリア鉄道の重要な拠点であり、ロシア軍極東軍管区の本拠地だった。
ロシア軍は地の利を活かしていくらでも立て籠もれるのだ。
ここで王成徳は判断に迷いが生じてしまう。
ゴリツィンの首を取ることは出来なかったが、ロシア軍をハバロフスクまで押し込んだのである。
目的はほぼ達成されたと言っていい。
それにこのままハバロフスクに攻め込めば間違いなくロシアは増援を、それも大軍を派遣してくるだろうことは疑いなかった。
ハバロフスクはロシアにとって、それほど重要な場所である。
ここを抑えられたら、ロシア唯一の不凍港ウラジオストックへが孤立してしまうからだ。
「ゴリツィンの首を取らねば、劉煌様に合わせる顔がないか」
結局、王成徳は進撃する方を選んだ。
ただし無茶な攻撃はしない。
ゴリツィンを殺しさえすれば良いのである。
それに本気でロシアを怒らせるわけにもいかなかった。
ロシアと本格的な戦争になれば、海洋進出どころではなくなってしまう。
ほどほどに痛めつけ、中国と事を構えたらただでは済まない。
そう思わせるのが肝心だった。
「慎重に進軍せよ」
あえて王成徳が勢いに乗る中国軍にブレーキをかけるような指示を出すのも、ロシアを本気で怒らせないためだ。
ロシア軍の砲撃を避け地雷を撤去しつつ、ゆっくりとした進軍速度で中国軍はハバロフスクを目指す。
いわゆる満州の地は、北京のある河北省からほど近い位置にある。
しかし今回動員された中国軍は中国河北軍ではなく、義和団以外は寄せ集めの集団だった。
首都防衛大隊である中国河北軍を、国境紛争程度でおいそれと動かすわけにはいかない。
そのため急遽、兵が集められた訳だが統制するのが難しかった。
士気も上がらないため、むしろ遅く進むというのは歓迎される命令らしい。
訳も分からず、こんな寒い所へ連れてこられたのだ。
少しでも楽がしたい。
それが兵たちの本音だろう。
しっかりと休息を取らせ、無理のない速度で進軍する。
そうしてハバロフスクの手前に布陣した。
「ほどほどに攻撃を仕掛けよ。その隙に私と義和団でハバロフスクに潜入する」
とにかく注意を引きつけておいてくれれば、それでよい。
王成徳は副官にこの場を任せ、自分は手勢を率いてハバロフスクに潜入すべく回り込むように移動する。
中国軍による陽動が始まり、しばらくしてから王成徳はハバロフスクの南西から侵入した。
ロシア軍極東軍管区の本部はハバロフスク空港のすぐ近くにある。
現代の戦争では航空機は重要な戦力であるし、いざとなれば逃走にも使える。
ゴリツィンにハバロフスクを離れる気は毛頭ないが、民間人を逃がすことは考えねばならないのだ。
幸いにも、あるいは作戦通りロシア軍は外の戦いに気を取られて、ハバロフスクの警備は手薄だった。
王成徳は知らなかったが、弱腰の中国軍が押されて後退しつつあるのも、ロシア軍をハバロフスクから引き離す要因となっていたのである。
あまりに順調にロシア軍極東軍管区の庁舎に辿り着いたので、王成徳は心のどこかで油断したのかもしれない。
「やれやれ。ここまで侵入させるとは、ロシア軍が無能なのか敵である中国軍が優秀なのか」
片頬を歪めた男があえて聞こえるように、しかも中国語で言葉を発した。
注意を引くためだ。
「日南君。敵とわかっているなら、どうして不意を突いて攻撃しないのかね?」
「……言われてみれば、そうですね」
「全く」
呆れ交じりに溜め息を吐いたのは、冬月樹である。
かつての教え子に怪訝な目を向けた。
これでも本当に精霊師なのだろうか?
冬月にとっては、いまだに不肖の教え子でしかない。
もっとも日南の尽力もあって釈放されたのだが。
「いけ、マトリョーシカ!」
気配を消していたマトリョーシカ数体が冬月の命令で、一斉に王成徳ら義和団に襲いかかった。
まさか再びロシアの地でマトリョーシカに殺しを命じる日が来るとは、運命の皮肉を感じる。
「鉱石の柳葉刀!」
いかにも中国人らしく王成徳は、片刃で湾曲している刃が非常に幅広い鉱石で形作られた片手刀を3振り顕現させた。
その威力は凄まじく、マトリョーシカの体を容易く分断してしまう。
古代精霊カイチの契約者である王成徳からすれば、造作もないことだ。
しかし元大学教授と教え子は目を丸くしてしまう。
「日南君、あの精霊使いはマトリョーシカの手に余るようだ。ここは精霊師である君に任せる」
「ええっ!? 僕は精霊使いとしては大したことないから、裏方なのですよ?」
「君が精霊師に合格したのは実力ではなく、誰か大物のコネということか」
「よくわかりましたね。さすが僕の恩師です」
冬月はとてもキツイ皮肉を言ったのだが、日南は悪びれることなく事実を認めた。
色々と追及したいところではあるが、今はそんな場合ではない事も冬月は理解している。
「何か打つ手はあるのかね?」
「逃げましょうか。所詮は他国のことです」
「その割り切りの良さが、私は羨ましいよ」
遅れてレポートを提出したときも、開き直って資料が見つからなかったと下手な嘘を吐いていたことを冬月は思い出した。
しかも目をかけていた教え子である進藤玲奈を、常に巻き込むのだ。
如才ないといえば、如才なかった。
そういった抜け目のなさが大物に気に入られたのだろう。
さらに自分もロシアで戦わされている。
何とも面白くない。
「日南さん、遅くなった」
2人の窮地に現れたのは高城彰だった。
ハバロフスクの別のエリアを警邏していたため、すぐに駆けつけられなかったのだ。
彰の姿を確認すると、冬月の目に戸惑いの色が宿る。
彼のせいで目的を果たせなかったとも言えるし、阿弥を止められたとも言えるのだ。
「いえいえ彰君、ナイスなタイミングですよ」
対照的に日南は例の片頬を歪めた笑みを浮かべ、気持ちよく出迎えた。
もちろん戦ってもらうためである。




