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第18章 満州の地で ~その2~

――中国黒竜江省、アムール川(中国名は黒竜江)。


 この広大な川を挟んで、ロシア軍と中国軍が睨みあっていた。

 中国東北部、日本人には満州国のあった場所といった方がわかりやすいかもしれない。


 ここは度々、ロシア軍が侵入し中国軍と紛争が起きる危険な地域である。

 全面戦争に発展した場合、精霊使いでは全ての核は防げない。

 両国の上層部に懸命な判断が求められるところだ。


「ゴリツィン少将、よろしいでしょうか?」


 ロシア軍の臨時の本部となっているトレーラーを訪れた少女がいた。

 ナターシャ・サフィーナである。

 地理的にいって、極東軍管区が中心となって軍が編成されているのだ。


 ナターシャが今回の作戦に参加していても不思議ではない、というよりも命令が下ったので、参加しない方が問題である。


「勝手にやってきて、よろしいも何もないだろう?」


 恰幅のよい歴戦の軍人であるゴリツィンは、ふんと鼻を鳴らした。

 2人は親子ほども年齢が離れている。


 ロシア軍極東軍管区では、上司と部下としてそれなりに折り合いをつけて任務をこなしていた。

 ゴリツィンとしては、ナターシャのような若い娘に戦場に出て欲しくはないのだが。


「今回の作戦のことです」

「クレムリンからの命令だ。差し出がましい口を叩くな」


 ナターシャが何を言おうとしたのか察したゴリツィンは、先回りしてぴしゃりと反論を封じた。

 軍人は命令が絶対である。

 そこに異論を挟んではならない。


「しかし……」


 そうは言われても、このような小競り合いに納得のできないナターシャだった。

 しつこく食い下がる。


「ほどほどに戦うことで、壊滅的な戦いになるのを防ぐのだ。それに国境を守る意味もある」


 ロシアの立場からすれば、黒竜江省から押し出してくる中国軍を脅威に感じていた。

 これ以上、他国の軍隊をハバロフスクに近付けさせるわけにはいかない。


「提督は、納得されているんですか?」

「納得も何も、このような小競り合いで給料がもらえるなら、ありがたい話だ」


 大人としての見解をゴリツィンは、何の感傷もなく告げた。

 それこそ抵抗運動の激しいウクライナに飛ばされるよりも、ずっと楽なのだ。


 だが、まだ若いナターシャは不服そうにしている。

 そこにゴリツィンは、以前の彼女とは違うものを見出していた。


「ずいぶんと人間らしくなったじゃないか? 少し前までは、何の疑問も抱かず任務を遂行していたというのに」


 それこそ、顔色1つ変えずに敵を殺していたのである。

 ゴリツィンが人間らしくなったと言うのも、当然だった。


「日本に行って、何かあったのか?」

「それは……」

「ナターシャ。お前はもう、軍人を辞めろ」

「!!!!っ! 何故です? 疑問を口にしただけで、軍を辞めなければならないのですか!?」


 激しい剣幕でナターシャはつっかかる。

 かつてのナターシャなら、決して上官に対してこのような態度を取るようなことはなかった。


 だがゴリツィンは無礼な部下を叱責したりはせず、むしろ優しく諭す。

 まるで本当の娘に接するように。


「日本で何があったかは聞かん。だが、お前のような子供が人殺しをするのは、わしでも間違っていると思う」

「……ですが、私は軍から多額の援助をしてもらっています。それを返さないと、軍を辞めれません」


 アナスタシア事件で身寄りを失って以来、ナターシャは軍に食べさせてもらっていた。

 精霊使いだからこそ、兵曹上長などという身分にいるが、そうでなかったら階級はもっと低いだろう。


 だが軍を辞めるとなると、今まで払ってもらった諸々の金を返さないといけない。

 兵曹上長の給料では、とても払えない額だ。


「そんなもの、わしが肩代わりしてやるさ」


 さらっとゴリツィンは口にした。

 他人の借金を払う気でいるのだ。

 ナターシャは言葉を失う。


「あまり上司の懐具合を見くびらないことだ。お前さんの軍に対する借金くらい、耳を揃えて返してやるさ」


 提督であれば、何の問題もない金額だ。

 それにゴリツィンには養うべき妻も、子供もいない。


 当然のように息子は軍人にしたのだが、それが良くなかった。

 息子は戦死し、そのことが原因で妻とは離縁してしまう。

 ナターシャを自分の娘のように思ってしまうのも、当然の成り行きかもしれない。


「そこまでしてもらう、理由がありません」


 ありがたい申し出ではあるが、ナターシャは断った。


「そう遠慮するな。子供は大人の脛をかじって生きていくもんだぞ?」

「どうして、そこまでしてくれるんですか?」

「さっきも言っただろう? 子供が人殺しをしているのを見るのが、嫌だからさ」


 それに死ぬところを見るのも、とはゴリツィンは言えなかった。

 体中に穴の空いた息子と対面したときばかりは、さすがに後悔したし、どうしようもないショックを受けたものだ。


 ナターシャには、息子のようになってもらいたくないのである。

 だから軍を辞めるよう勧めた。


「考えておきます……」

「ああ、全てはこの戦いが終わってからの話だ」


 このときナターシャとゴリツィンは、戦いが終わった後の予定を話す余裕があった。

 だが、今回の中国軍はこれまでとは違っていた。

 油断していたロシア軍を、悲劇が襲うのである。






 アムール川の中州にある珍宝島に、中国軍は集結していた。

 1988年に中国側の領土となっているので、何の問題もない。


「ロシア軍極東軍管区か」


 それが王成徳と彼の率いる義和団の目下の敵だ。

 主である劉煌から、徹底的に叩くように言い含められていた。


 渡河準備は着々と進められている。

 王成徳もカイチの力を使い、兵がアムール川を渡るのを手助けしていた。


 それらの努力が実り、中国軍は一気にアムール川を渡り切りロシア軍に強襲を仕掛ける。

 本格的な戦闘になると想定していなかったロシア軍は慌てふためき、一方的に押しまくられる展開となった。


「全軍、後方に布陣している味方の場所まで後退しろ!」


 迷わずゴリツィンは撤退命令を出した。

 不意を突かれたとはいえ、そこは歴戦の強者である。


 即座に戦況を見極め、適切な命令を下す。

 もたもたしていたら犠牲がたくさん出てしまう。

 後方の部隊と合流し、態勢を立て直すのが急務だった。


氷の嵐アイスストーム!」


 そんな中、ナターシャは味方の退却を援護すべく、精霊魔法で中国兵の足止めをしていた。

 ロシア軍極東軍管区所属の軍人で、精霊使いは少ない。

 だが不幸中の幸いか、中国軍も精霊使いは数が揃っていないようだった。


「ナターシャ、君は後退しろ!」

「自分は精霊魔法が使えます。足手まといにはなりません、パーヴェル少佐」

「だから言っているのだ。ゴリツィン少将を守ってくれ」


 パーヴェル・ゼレノフ少佐は軍人としても、精霊使いとしてもナターシャよりも優れた人物だった。

 そんな彼が判断したのである。

 邪魔になるからナターシャに退くよう指示したのでは、決してない。


「わかりました。ご武運を、パーヴェル少佐」


 ビシっとした敬礼をし、後ろ髪を引かれる思いでナターシャは身を翻し駆け出した。


「ゴリツィン少将のことを、頼んだぞ」


 その背中に声をかけ、パーヴェルは中国兵の前に立ちふさがった。

 火の精霊魔法を放ちつつ、逃げ遅れた兵を救出しながら自らも徐々に後退する。

 殿を受け持ったが、死ぬ気はさらさらない。


「…………っ!」


 パーヴェルのすぐ隣にいた味方のどてっ腹に、鉱石で出来た槍が突き刺さった。

 精霊魔法が放たれたのだが、かなりの手練れの仕業である。


 この戦いに対する敵味方の温度差を知り、パーヴェルは愕然とした。

 中国軍はかなりの戦力を送り込んできたのだ。

 対して、ロシア軍は備えをろくにしていない。


「まずいな」


 ごくりとパーヴェルは喉を鳴らした。

 この戦いはロシア軍の敗色濃厚なのが見えてしまったのである。


炎熱の投げ槍ブレイズジャベリン!」


 だからこそ、ここで少しでも敵の数を減らしておかなくてはならない。

 多少無理をしてでも、パーヴェルは威力の高い精霊魔法を放つ。


鉱石の城壁ミネラルウォール!」


 覚悟を持って放ったパーヴェルの精霊魔法が、鉱石の城壁によって脆くも消滅してしまう。

 先ほど味方に鉱石の槍を突き刺した精霊使いの仕業だった。


「ロシア軍極東軍管区にも、それなりに強い精霊使いがいるのか」


 感心したように王成徳はパーヴェルを見やる。

 あまりにも順調に事が運び、自分が出馬してきた意味があるのか、疑問を生じていたのだ。


 そこへロシア軍の精霊使いが現れ、やっと王成徳は活躍の場を見つけた気分である。

 劉煌はロシア軍を徹底的に叩くよう命令を出した。

 ここで精霊使いを倒しておくことは、その命令に沿ったものとなる。


「古代精霊カイチの力を、存分に見せつけてやる!」


 王成徳は不敵に微笑んだ。

 ロシアも過去に母国を苦しめた欧米列強の一角である。

 その恨みを晴らせるため、王成徳の鼻息は荒かった。

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