外伝 アナスタシア事件 エピローグ
今、彰は藍彩花と対峙していた。
アナスタシア……、いや阿弥とマトリョーシカの襲撃で藍家の精霊使いは数が減じ、その穴を埋まられずにいたのだ。
そうでなければ、彰は藍家の屋敷まで辿りつけなかったはずである。
数少ない藍家の精霊使いは、ナターシャが引きつけていた。
「数年前の根室市街戦が、凄惨なものだったのは認める。藍英明が民間人を救出することに尽力し、その過程で精神を患ってしまったことも」
一旦、気持ちを落ち着かせるために、彰は大きく深呼吸をする。
「何故、そんな人間を1人で外出させた?」
なまじ精霊使いとして能力が高かったために、多くの人間が命を失う事となった。
その中には阿弥の母親も含まれる。
「……直前まで一緒にいたわ」
「はあ? 藍家の当主がついていながら、どうして?」
「人の少ない場所では、何ともなかったの。それが人混みに入った途端に……」
突如、英明は頭を抱えて発狂し、彩花の手を離れて駆け出してしまったのだ。
もちろん彩花もすぐさま追いかけた。
しかし、人混みが邪魔をして追いつけない。
第一、身体能力は英明のが数段上なのである。
「追いついたときには、もう……」
当主といえど万能ではない。
どれほどの力を手にしていても、どうしようもないことがあると、彩花は痛感した。
「それで、多くの人が死んだというのか」
事実を知り、彰の声が震えてしまう。
話には聞いていたが、細部の事情まで知ると一層やるせなさが募った。
「あのとき、あの女の子が止めてくれなかったら、英明はさらに多くの人を殺していたわ」
数十人ではなく、数百人規模に跳ね上がっていただろう。
そうならずに済んで、彩花は心の底から感謝した。
「女の子?」
殺人鬼を止めた女の子。
まさか、と彰は思う。
「冬月阿弥さんよ」
「阿弥が……」
「だから私が死んで英明を許してくれるなら、喜んで命を差し出すつもりだった。でも阿弥さんは英明のことを、生かしておく気はなかったのよ。だから息子を守るために、戦うしかなかったのよ」
彩花の告白に、彰は気持ちが揺らいでいた。
藍家の当主は、自分の命を投げ出す覚悟がある。
罪の意識に、ずっと苛まれ続け苦悩していたのだ。
彩花の想いが、痛いほど彰に伝わったからである。
もっとわかりやすい悪人だったら、どれほど気が楽だったことだろうか?
だが、これならこちらの話も通じるかもしれない。
彰の目的は戦うことではないのだ。
「あなたの息子さんに墓参りをさせる、その許可を頂きたい」
「……許可も何も、あの子はもう現実を生きていないのよ」
「現実を生きていない?」
「あの子の心は、いまだに根室の戦場に留まったまま、帰ってこないのよ……」
彩花の口を突いて出た言葉に、彰は頭がくらっとした。
どう答えていいかわからず口を閉ざしたまま、それでも彰は彩花を押し退けて藍家の屋敷へと足を踏み入れる。
始めて入る家屋でも、その足取りに迷いはない。
強い精霊力が感じられる方角へ進めば、そこにいるのが明白だからだ。
「ここか」
やや緊張に汗ばみながらも、彰は戸を開けた。
そこで目にしたのは、部屋の隅で小さくなり、何かに怯えているように全身を震わせている青年だった。
どことなく彩花の面影があり、涼一に似ている。
藍英明に違いなかった。
「こんな所にもロシア兵が!」
彰の姿を認めると、英明はおもむろに立ち上がり印を結び始めた。
精霊魔法が完成されるまでの間隔が、異様に短い。
「ぶはっ……」
水球の精霊魔法で吹き飛ばされ、彰は思い切り壁に背中を打ちつけてしまう。
肺の中の酸素が一気に抜け、窒息しそうになった。
油断していなかったといえば、嘘になる。
精神に異常をきたしているとはいえ、英明は藍家直系の精霊使いだ。
この結果は十分に予測できるものだった。
「や、やるじゃないか……」
全身がバラバラになったような感覚に襲われながらも、彰はよろよろ立ち上がる。
「ていうか、家の中で精霊魔法をぶっ放すなよな」
のそのそと英明に近付き、彰はその肩を掴む。
「う、うあ、うああああ…………」
「そんなにビビるなよ。ただ、一緒に墓参りをしてもらいたいだけだ」
「は、墓参り……?」
どうやら全く話が通じないわけではないらしい。
彰の申し出に、英明はきょとんとしているのだ。
「そうだ」
お前に殺された人の、お前のせいで自殺するほど追い込まれた女の子の墓だ!
思い切り叫びたい衝動を、彰は懸命に抑えた。
英明も根室における悲劇がなければ、今ごろは藍家の当主として真っ当な人生を歩んでいたはずなのだから……。
彰、杏華、英明、彩花の4人は冬月家の墓前で手を合わせてお祈りをする。
特に土下座させたりはしていない。
道中、英明がおどおど挙動不審になるも、彩花が手を握ると落ち着きを取り戻す。
特に何の問題もなかった。
「ごめんな、阿弥」
結局、彰は仇を討つことができなかった。
阿弥は英明の墓参りなぞ、望んでいなかったのかもしれない。
何もかもが中途半端で消化不良だが、この辺りが限界であることも彰はわかっていた。
「あの、いつも墓に花を供えていたのは、あなたなんですか?」
おずおずと杏華は彩花に訊ねた。
墓参りをする度に、花が供えてあったからだ。
「それが免罪符になるとは思っていないわ」
そう答えると彩花は彰に向き直って黙礼し、英明を連れて帰っていった。
その後ろ姿は、ごく普通の仲の良い親子にしか見えない。
「ねえ、彰はどうして精霊学園に残ることにしたの?」
「う~ん、それは……」
正直に言うのが、彰は照れ臭かった。
消極的な理由としては、仲の良かった親友達がいない学校に戻ったところで、楽しくないだろう。
では積極的な理由は何か?
守りたい人を守れるだけの力が欲しかったのだ。
今の彰の力があれば、少なくとも優と慎二を助けることができたはず。
2度とあんな思いはしたくない。
精霊レンジャー課に入るのを保留したのも、実力不足を痛感したからである。
だが、この事を正直に杏華に言うのは、思春期の少年には抵抗があった。
酒など口にしたことはないが、とても素面では吐けない台詞である。
そこで彰は自分なりに、精一杯のの芝居を打つことにした。
「杏華がいるからかな?」
これだって決して嘘というわけではない。
「な、な、な、何、言って、るのよ?」
嬉しさと恥ずかしさで杏華は全身が一瞬で沸騰し、その場に立ち尽くしてしまう。
「あ、でも杏華が残らなかったら、意味無いな。そのときは俺も考えるか」
「もちろん私は精霊学園に残るわ!」
どさくさまぎれに、杏華は彰に身を寄せ体をくっつける。
「そうか、それなら問題無い。杏華は俺にとって大事な人だからな」
特に深い意味はなく彰は別段、異性として意識しての発言をしたのではなかった。
しかし、杏華はそうは捉えなかったようだ。
「べ、別に彰の事を、そんな風に見ているんじゃないんだからね!」
たまらず杏華は、その場から逃げ出してしまう。
「何か、おかしい事を言ったかな?」
仲の良かった5人のうち、残ったのは彰と杏華だけになってしまったのである。
杏華のことを大事に思うのは、当然だった。
彰は首を傾げつつ、明日も精霊学園で顔を合わせるだろうから、そのときにでも謝ろうかと考えた。
ところで、この物語はもう少しだけ続く。
阿弥に会いに行った翌日、精霊学園第一分校の2年F組の教室で、ちょっとした事件が起きた。
「はい。本日も転入生の紹介をします」
担任の辻村真那先生がこのように告げた途端、教室中がざわついた。
「どうぞ、入っていいわよ」
真那が促すと、教室の外で待機した転入生がドアをくぐり姿を現した。
その転入生を目にした途端、彰と杏華はぽかんとしてしまう。
「ロシアからやってきた、ナターシャ・サフィーナです」
金髪碧眼のロシア人美少女が、流暢な日本語で自己紹介を始める。
さすがにロシア軍極東軍管区のことは伏せていたが。
「ちょっと待て!」
「どうしてあなたが?」
しばらくして我に返った彰と杏華が、勢い腰を浮かべてしまう。
無理もない反応である。
何故か涼一は落ち着いているが……。
「彰に杏華、それに涼一君、よろしくね」
狼狽する2人を尻目に、ナターシャはひらひらと手を振った。
4人の関係にゴシップの臭いを嗅ぎ取った同級生が騒然とし始める。
「全く、やれやれだな」
彰は控えめに肩を竦めた。
突然の来訪者に面食らったが、人生というのはこういうものかもしれない。
別れがあれば、出会いもあるのだ。
思わず彰は自嘲気味な微笑みを浮かべてしまう。
これからも精霊学園の生活は、一波乱も二波乱も起きそうな、いや絶対に起きるだろう。
彰にはその確信があった。
「そんなことがあったんですか……」
悲痛な面持ちで織姫が感想を漏らした。
何というか、救いのない話に思えたからだ。
「このファミレスも、良く5人で来たよ」
懐かしくなり、彰は店内を見渡す。
ふっと5人で来たときのことを思い出してしまう。
「ん?」
すぐ傍の席にいた外人男性が、彰は妙に気になった。
理由はわからないが。
「すまなかったな、高城。嫌な事を思い出させて」
悠斗は素直に詫びた。
ここまで悲惨な事件とは思いもしなかったのだ。
「いや、構わないさ。俺は少し残っていくから、2人はデートの続きをどうぞ」
半ば強引に彰は悠斗と織姫に、席を立つよう勧める。
邪魔しては悪いし、もう少しこのファミレスに留まっていたかった。
それに……。
「高城、また仕事でな」
「それじゃあ」
紅兄妹は何かを察したのか、ファミレスを後にする。
気を利かせて、レシートを持っていった。
「何者かは知らないが、盗み聞きは良くないな」
「そう怖い顔しなさんな、高城彰。以前、冬月教授にお世話になった事があってね」
「名前を名乗らない時点で、怪し過ぎるんだが?」
じろりと彰は外人男性を睨むながら、そちらの席に移動した。
何者か聞きだすまで、逃がす気はない。
「……ヴィクトル・グラジエフだ」
その名を聞いた時の彰の反応は劇的だった。
「なっ! まさか、どうしてここにいる?」
精霊レンジャー課で彰は日南から詳細をアナスタシア事件の聞いていた。
ヴィクトル・グラジエフ。
アナスタシアのリーダーだった男だ。
「阿弥を迎えに来たんだが、遅すぎた様だな」
ヴィクトルは意気消沈していた。
とうの昔に死んでいたとは想像もしていなかったようだ。
「墓参りをして、さっさとカナダに戻るんだな」
「いいのか?」
ヴィクトルは、てっきり逮捕されるものだと思っていた。
「阿弥が……、いや、何でもない。冬月樹は藍家が起訴を取りやめたため、もうすぐ釈放される」
「そうか。代わりに礼を言っておいてくれ」
それだけ言い残すと、ヴィクトルは姿を消した。
「あの男も、俺と同じか」
阿弥の身を案じ、危険を冒して日本にやってきた。
そして正体まで明かしたのだ。
彰はヴィクトルの胸の裡が手に取るようにわかり、どうしても捕まえる気にはならなかった……。
まずは謝辞を。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
お気に入り登録してくださったり、評価点をつけてくれたり、レビューを書いてくれたりと、本当に感謝の念に堪えません。
第2部で出てきた高城彰班の話は、これで終わりかな?
本来ならば別枠で投稿すべきだったのかもしれませんが、文字数を増やしたったので、こちらに投稿しました。
平にご容赦下さい。
そして第4部ですが、なかなか書けません……。
もう少々、お待ちください。




