外伝 アナスタシア事件 ~その19~
「流水の球体!」
英明は市民を殺すことに熱中していたロシア兵に向けて、流水の球体を放った。
威力が大き過ぎて、そのロシア兵は壁と水球に押し潰され、ぺしゃんこになり見るも無残な姿になってしまう。
始めて人を殺したにもかかわらず、英明は何の痛痒も感じない。
戦場という名の狂騒が英明の感情を鈍くしていた。
「くそ!」
また1人、子供が銃弾を浴びて短い生涯を終えた。
藍家次期当主といえど、自分だけでは少しの人数しか助けられない。
「水の弾丸!」
人差し指ほどの大きさの水の弾丸が数発放たれ、ロシア兵の体を貫き絶命させる。
根室の人たちが殺害される度に、英明の心は蝕まれていった。
しかし精霊使いなら助けられる。
その手ごたえを、英明は感じていた。
初陣の自分でさえ、これだけの働きを見せているのである。
経験を積んだ者なら、もっと上手にやれるはず。
今回の戦いには、藍家の精霊使いが多く動員されていた。
北海道は虹七家の中でも藍家の管轄なのだから、当然の差配だ。
英明は隙を見て一度陣地へ引き上げる。
藍家の他の精霊使い達の協力を得るためだった。
そこで精霊使い達の意外な反応に、英明は愕然としてしまう。
「そのような命令は、出ていない」
気まずそうに顔を逸らして、藍家の精霊使い達はこのような返答を寄越したのだ。
戦う気が本当にあるのだろうか……?
しかし、英明も言い返す。
「それは、俺が藍家の次期当主と知った上での答えか?」
「まだ当主になったわけではない」
「責任は俺が取る! だから一緒に」
「くどい! 自衛隊から命令は出ていないのだから、動く必要はない!」
後ろめたさを誤魔化すために、藍家の精霊使い達は声を荒げた。
だから、このことを知った彰は、藍家をヘタレと断言したのである。
「あなたも次期当主なら、少しは自重なされよ」
この一言で、英明の中の何かが音を立てて崩れ去った。
今まで英明は虹七家の、藍家の一員であることを誇りに思ってきた。
日本を、日本国民を守るために、虹七家は存在すると信じていたからだ。
しかし、現実は全く違っていた。
ただ力にモノを言わせ、特権を貪るだけの家なのだ。
自分達さえよければ、他はどうでもいいのである。
英明は泣いた。
泣きながら市街地を縦横無尽に走りまわり、多くの人々の命を助け出す。
それでも、その手からは少なくない命がこぼれ落ちてしまう。
その都度、英明は精神に異常をきたしていく。
心の平衡が保てない。
「ここは、まるで地獄だ」
本物の戦場を目の当たりにし、信じていた者に裏切られた英明は、PTSDとなってしまう。
そして、それが後に新たな悲劇を生むこととなった……。
根室市街戦と呼ばれることとなる、この一連の戦闘は日本側の勝利に終わった。
この結果、北方四島は住民に自治を与えた上で、日露両国が施政する共同統治という形式が取られることになる。
北方領土問題の解決に向けて1歩前進と言いたいところだったが、住民の数はロシア人が圧倒的に多く、いまだロシア側実権を握っているようなものだった。
さらに悪いことに住民に自治が与えられているため、訳ありの人間が多く流れ込むようになり、日本政府は容易に手を出せない状況となってしまう。
これでは北方四島返還など、夢物語だった。
暗雲が垂れこみ、雷が鳴り響く空。
雨こそ降っていないものの、とても好天とはいえない。
だが雷の精霊、雷獣ハオカーの契約者にとっては悪くない天候だ。
彰は杏華を伴って、墓参りに訪れていた。
何時間か後には、ある人物をここで土下座させている予定である。
「1週間も学校をさぼって、何をしていたの?」
彰は1週間ほど精霊学園を休んだ、という生易しいものではなく、完全に行方をくらましていたのだ。
杏華が心配するのも無理はない。
「少し気になる事があって、根室市まで足を運んでみた。酷い有様だったよ」
人口は激減し、閑散としていた。
土地は更地になったままで放置されていたのだ。
もといた住民が帰ってこず、家が建たないのだろう。
根室市街戦は何年も前の話なのに、今だその爪痕は色濃く残っていた。
「じゃあ行ってくるよ、阿弥」
墓前で挨拶し、彰は墓地を後にする。
しかし、1つ懸念があった。
「なあ、やっぱり杏華は」
「そのことは何度も話し合ったはずよ。阿弥は私にとっても大事な親友だったの」
いくら説得しても、杏華は頑として聞き入れなかった。
彰と一緒に、藍家に乗り込む気なのだ。
「立場が逆だったら、彰もそうしたでしょ?」
「……そうだな」
軽く溜め息を吐き、彰は観念した。
全くもって杏華の言う通りだからだ。
「私も、ご一緒していいかしら?」
ふらりと姿を現したのはナターシャである。
さすがに軍人なのか、彰は全く気配を感じなかった。
「根室市街戦に端を発した、一連の事件の結末を見届けたいのよ。私だって、当事者なのだから」
阿弥が父のアレクサンドルを殺害したのも、根室市街戦が影響しているのだ。
ここで脱落するのは、ナターシャの本意ではかった。
「諦めなさい、彰。1人よりも2人、2人よりも3人の方が、成功率は高くなるわよ」
「杏華さんの言う通りね」
女の子2人に詰め寄られ、彰はやれやれと肩を竦める。
「じゃ、両手に花で乗り込むとするか」
何を言っても無駄だと悟り、彰は大股で歩きだす。
3人とも、とてもこれから死地に飛び込もうとしている人間の表情ではなかった。
「そういえば私と彰が来たとき、添えられていた花が新しかったんだけど、ナターシャさんが添えたの?」
「いえ、私はそういうことを知らないし……」
「じゃあ、誰が?」
杏華は首を捻るものの、すぐにその疑問を頭から締め出した。
藍家の屋敷が視界に入ったからだ。
藍家の屋敷は、常にいかつい門番達が警備している。
マトリョーシカに対しては無力だったわけだが、だからといって警備の者を置かないわけにはいかない。
「藍英明さんに用事があるのですが、取り次いでもらえますか?」
上辺だけ、彰は礼を尽くして門番に接する。
取り次いでもらえるはずがないとわかっているので、無益なことなのだが。
「虹七家の者以外は通すなと、藍家の当主であられる彩花様から仰せつかっている。早々に立ち去られよ」
あまりにも予想通りの対応だったことに、彰は少々面食らってしまう。
しかし、予定を変更する気はない。
「まあ、それが普通だよな。じゃあ、力づくでいかせてもらう。虹七家の人間がやっているようにな!」
口の端を吊り上げた壮絶な笑みを浮かべ、彰は皮肉を交えて言い放った。
「何を言っているんだ、この子供! 痛い目を見ないうちに……」
彰の豹変ぶりと精霊力の高まりに、応対した門番は威勢の良さが途中から尻すぼみとなる。
ただの子供ではないと、気付いたからだ。
「どかないと、そっちが痛い目を見るぞ!」
彰は精霊魔法を放つべく、印を結び始める。
容赦する気は欠片もなかった。
「こんなところで、無駄に消耗しては駄目よ?」
さっとナターシャは門番の背後に回り、たちまち絞め落としてしまう。
見れば他の門番たちもすでに気を失っていた。
「こういうのを目の当たりにすると、ナターシャは軍人なんだと実感するな」
彰は目を瞠る。
さすがは正規の訓練を受けた軍人といったところか。
「助かるよ、ナターシャ」
「連れてきて正解でしょ?」
「ああ」
今まで阿弥の事しか眼中になかったが、よく見れば整った顔立ちをしている金髪碧眼の美少女の微笑みに、少々あてられながら彰は屋敷の門をくぐる。
その先で最初に待ち受けていたのは、彰と杏華が精霊学園に編入してから、一緒に行動することの多い人物だった。
「どうしたんだ、こんな所で?」
彰が投げかけたこの問いは、その人物にとって理不尽な問いだ。
ここにいて何の問題もない、というよりいて当然なのだから。
「協力しろとは言わない。ここは友情に免じて、見逃してくれないか、涼一?」
「高城。それこそ友情に免じて兄さんことは、もう放っておいてくれないか?」
双方、妥協点を見出すのは困難だった。
彰も涼一も、自分の信念に基づいて行動しているのだ。
「別に殺したり、怪我をさせたりしない。ただ冬月家の墓の前で、土下座させたいだけだ」
「そんなことをしても意味はない。兄さんは、もう正常な思考が出来ないんだ……」
涼一の顔に苦悶の色が浮かぶ。
とうの昔に、根室から帰ってきたときに英明の心は壊れてしまったのだ。
まともに会話を交わすことも、ままならない。
藍家の当主として、輝かしい将来が嘱望されていた兄の変わり果てた姿を目にする度に、涼一は胸が抉られた気分になるのだ。
だからもう、許して欲しかった。
自分で良ければ、いくらでも墓前で土下座でも何でもしてやる。
涼一がそう提案しようとしたとき、
「で?」
たった1文字で彰は切り返した。
しかし、その1文字は非常に残酷な1文字だ。
一切の言い分を認めない。
そんな思いが込められている。
「どんな形でもいいから、俺は阿弥に生きていて欲しかったよ……」
阿弥は死んだのだ。
藍英明は生きている。
彰は涼一の言う事に耳を貸す気はなかった。
「……ここは通さない」
涼一も譲らない。
兄の事を大切に思うが故に。
「涼一君は、私が引き受けるわ。ナターシャさん、彰をよろしくね」
杏華はなるべく彰を無傷で送り出したかった。
その意図を即座に察した彰は、特に反論したりせず杏華の意見に賛成する。
「杏華も無理するなよ。あのときの仲間は、もう俺達しか残っていないんだからな」
「うん。あとで阿弥の墓前で会おうね」
「ああ、約束だ」
1度走り出すと、彰は振り返らなかった。
ナターシャも後を追う。
「高城、すんなり行かせると思うなよ!?」
もはや、かける情けはない。
涼一は躊躇なく背後から彰に向けて精霊魔法を放つ。
しかし、岩石の壁が現れ精霊魔法はむなしく弾かれてしまう。
「あなたの相手は、私がすると言ったはずよ?」
「奥村さん、そんなに高城のことを?」
「今日は違うわ」
今回は好きな男の子のためではない。
「阿弥は私にとっても、大事な親友だったのよ!」
過去形で言わなければならないことが、杏華はひどく悲しかった。
アナスタシア事件は次回で完結です。




