外伝 アナスタシア事件 ~その17~
「どうしてテロリストの娘を庇うのよ……」
かすれた声でナターシャは言葉を紡ぎ出す。
「私の父アレクサンドル・サフィーナは、その女の父親に殺されたのよ!」
アレクサンドル・サフィーナの名を聞き、阿弥の体はびくっと強張った。
とても良く知っている名前である。
自分が初めて暗殺した精霊使いだ。
忘れるはずがない。
阿弥は胸の動悸が早くなった。
「なぜ、相手を特定できたのです?」
そこは日南としても気になる所だった。
恩師はあまり表に出たがる人間ではなかったと、日南は記憶している。
「名前を名乗ったのよ」
今でもあのときの事は、ナターシャは鮮明に覚えている。
冬月樹が引きつれてきたマトリョーシカと父の激しい戦い。
その最中に一発の銃弾が飛来し、父の頭蓋骨を撃ち抜いたことも……。
「親の罪を、子供が背負うのか?」
彰の低い声音には怒気が孕んでいた。
テロリストの娘かもしれないが、阿弥自身は何もしていないのなら罪はないはずだ。
それなのに犯罪者扱いをするのが彰は許せなかった。
「それは……」
急速に全身の熱が冷めていくのを、ナターシャは感じた。
さらに日南が畳み掛けるように告げる。
「冬月樹の身柄の引き渡しについても、正式な文章で要求して下さい。上司が判断しますので」
「確か、日南さんの上司って……」
「なんです、まさか忘れたんですか? 彰君の上司でもあるというのに」
「いや、精霊レンジャー課は首相直轄の部隊だから、課長の上はつまり」
一介の高校生に過ぎない彰にとって、イメージできないスケールの大きさだ。
「日本の内閣総理大臣ですね」
一国の首相が相手となると、高度に政治的な問題となってくる。
ロシア軍極東軍管区の偉いさん程度では、門前払いとなってしまうだろう。
少なくともそれなりの力を持った政治家、あるいは外交官を担ぎ出す必要があるが、果たして既に解散しているテロ組織の構成員1人のために、そこまでしてくれる者がいるだろうか?
あるいはロシア軍極東軍管区に、そこまでの政治力があるだろうか?
無理だろうな。
ナターシャは頭を振った。
もちろん、そこまで見越して日南は正式な手順に則って、要求しろと言っているのだ。
「万が一、身柄の引き渡しを要求してきても、根室市街戦の貸しがありますから、突っぱねますがね」
数年前、暴走したロシア国境警備隊が北海道に上陸し、根室市で自衛隊と本格的な戦闘が行われた。
多くの民間人を巻き込んだ根室市街戦。
この戦いは日本が勝利を収めたものの、ロシアはろくな賠償をしていない。
ロシア国境警備隊の司令官セルゲイ・アレニチェフ准将に責任の全てを押し付け、実際にその通りだったのだが、ロシア政府は我関せずを通した。
この件を引き合いに出せば、さすがにロシア政府は無理に冬月樹の身柄を要求したりはしない。
ナターシャは打つ手がないことを悟った。
その碧い瞳は諦念の色を帯びる。
「もちろん、ちゃんと日本の法で裁きを受けてもらいます。残念ですが、極刑は免れないでしょう」
それでも日本で裁かれるだけマシ、と日南は考えている。
第一、冬月の望みは自分の命と引き換えに娘を守ることだ。
ロシアに身柄を渡したら、阿弥を救うことができない。
根室市街戦の対価としては差額が大き過ぎるが、日南とて人間である。
私情を挟んででも、守りたいものがあるのだ。
「ナターシャさんは、日本の司法が信用できませんか?」
まわりくどい言い方だが、日南は矛を収めるように説得しているのだ。
しかしナターシャは感情を抑えきれず、固めた拳をわなわなと震わせていた。
「日本の司法なんて、信じられないわよ!」
大声で叫んだのは、阿弥だった。
彰も日南も、そしてナターシャも突然のことに目を丸くする。
「ナターシャさん。あなたが、アレクサンドルの娘なのね?」
阿弥は大きな眼でナターシャを正面から見据えた。
「阿弥!」
横から割り込むような形で、彰は好きな女の子の名を呼ぶ。
嫌な予感がしてたまらない。
「ありがとう、彰。それに日南さんも」
2人に微笑みかけながら、いつも肌身離さず持ち歩いている拳銃を、阿弥はそっと自分のこめかみに押し付けた。
「何やってるんだ!」
彰は心臓が口から飛び出しそうになる。
「もう十分よ……」
「十分って何だよ? 阿弥は何もしていないんだろう?」
一般人が拳銃を所持していること自体、不自然なのに彰は最後まで阿弥のことを信じようとした。
「ナターシャのお父さん、アレクサンドル・サフィーナを殺したのは……、私なのよ」
何もかもが吹っ切れたような顔で、阿弥は真実を吐露する。
限界が訪れたのだ。
「だからナターシャさん、あなたが私を憎むのは正しいわ」
「はあ? 父が死んだのは4年前よ。私と同じ年齢だから、当時まだ13歳でしょ? あなたに殺せるわけないじゃない。私があなたを憎んでいるのは、冬月樹の娘だからよ!」
さすがに作り話だろうとナターシャは一蹴した。
13歳の自分は、まだ普通の女の子だったのである。
とても人を殺すことなど出来ない。
「ナターシャさんのお父さん、アレクサンドル・サフィーナはマトリョーシカと戦っている最中に狙撃された……、違う?」
「違わないわ。だけど、それがどうかしたの?」
「そして、あなたは父親の死体にしがみついて、泣き喚いた」
「……何故それを?! じゃあ、本当にあなたが」
「狙撃に使用したライフルのスコープから、見ていたわ」
「「「……………………」」」
あまりの衝撃の大きさに、ナターシャだけでなく彰と日南は沈黙してしまう。
4年前から、阿弥は血で手を染めていたのだ。
「それだけじゃないわ。ロシアの精霊使いを何人も殺したし、戸狩や若林もこの手で始末した。人形使いというのは、私のことなのよ」
最後の人形使いである阿弥は、一度大きく深呼吸をした。
「彰達といるときは、そういった事を全て忘れられた。この1年と半年の間、普通の高校生になれたみたいで、とても楽しかったわ」
「阿弥……」
「どうして普通の人生を送るのが、こんなに難しいのかしらね? あんな事がなければ、こうはならなかったのに」
「今からでも遅くはない! きっとやり直せる!!」
自分自身、信じていない事を彰は口にした。
どんな形でもいい。
阿弥に生きていて欲しいのだ。
「もう無理なのよ。私が耐えられない。あれだけの人を殺しておいて、そのうえ大事な友達を裏切るのが!」
ずっと罪の意識に心が押し潰されそうになるのを、阿弥は懸命に耐えてきた。
しかし、もう堪えきれない。
「ナターシャさん、仇を討たせてあげられずにごめんなさい。彰、杏華と仲良くね。日南さん、父をよろしくお願いします」
「やめろ阿弥、死んじゃ駄目だ!」
これ以上ないくらい、彰は取り乱した。
こんな状況で冷静でいられたら、そいつは人間ではない。
「優と慎二には、これから謝りに行くから」
覚悟を決めた阿弥は、ゆっくりと瞼を閉じる。
すかさず彰は、全力で地面を蹴り手を伸ばす。
刹那、銃声が轟き、冬月阿弥は17年の短い生涯を閉じた。
阿弥の体が砂浜に崩れ落ちるのが、彰の目にはとても遅く感じられた。
「何で、こうなるんだよ……」
人目もはばからず彰は涙を流し、脳漿が飛び散って真っ赤な血液が溢れ出す阿弥の体を躊躇うことなく抱き締める。
ついさっきまで一緒に海岸を歩き、キスをした。
その相手が目の前で、物言わぬ屍に変わってしまったのだ。
想像を絶するショックに襲われた彰は阿弥だったモノを抱き締めたまま、ずっと嗚咽を漏らし続けた。
「彰君、申し訳ありませんが……」
恐る恐る、日南は声をかけ彰の背中を揺さぶった。
嫌な役である。
「警察が遺体を引き取りにきているので」
「……大事に扱って下さい」
反対する気力もないのか、彰はあっさりと阿弥を渡した。
死体袋に入れられ運ばれていく様子を、光沢を失った瞳で見送る。
「なあ、日南さん」
「なんですか?」
「墓を建ててやりたいんだ。精霊レンジャー課としての給料、前借できないか?」
「彰君は事件解決に、多大な貢献をしてくれたのです。それぐらい、経費で落としますよ」
「そうか、助かる」
まるで乾ききった砂漠のような笑みを、彰は浮かべる。
笑ってはいるものの、そこには一片の感情も籠っていない。
「それで彰君は、今後どうしますか?」
「どう、とは?」
「アナスタシアによる事件は解決しました。彰君は、不本意ながらも友達の仇を討てた。精霊学園と精霊レンジャー課、どちらも辞めてもらって構いませんが?」
「ん? あ、ああ! そういう事になるのか!」
彰は、はたと気が付いた。
「もちろん、僕としては彰君のような優秀な人材には、残ってもらいたいんですがね」
日南はいつもの片頬を歪めた笑みを浮かべる。
使える人材は、いくらでも手元に置いておきたいものだ。
もともと彰は優と慎二の仇を討つために精霊学園に編入し、精霊レンジャー課に入隊(恐らくこの言い方が最も適している)したのだ。
目的は達成した。
精霊学園にも精霊レンジャー課にも、留まる理由は無くなったのだ。
しばし彰は熟考した。




