外伝 アナスタシア事件 ~その14~
ヴィクトルは、
――復讐なんか忘れて、俺についてこい!
などと、テロリストらしからぬ台詞を叫びたくなったが、辛うじて自制した。
マトリョーシカを使い大事な人の仇を討つために、いつかは日本に帰国する。
これは冬月親子の既定路線なのだ。
マトリョーシカの量産も、大量には無理だが成功し、莫大な資金も得た。
冬月親子の復讐はこれからなのである。
そのことがわかっていたから、ヴィクトルは口を噤み、それ以上は追及しなかった。
代わりに別れを惜しむように、ベッドの中で阿弥を求めた。
阿弥も3年過ごしたウラジオストックを離れる寂しさを紛らわせるように、積極的になる。
殺しを生業としてきたが、アナスタシアのメンバーと過ごした日々は充実していたのだ。
それにリーダーのヴィクトルに、心のどこかで魅かれていたのかもしれない。
だから体を許したのである。
こうして阿弥のロシアでの、ウラジオストックでの生活は終わりを告げることになった。
ただし帰国したのは阿弥だけで、父親の樹は1年間、ウラジオストックでアナスタシアとして活動する。
ヴィクトルらに対する捜査への牽制という意味もあったし、存在しない組織をいつまでも追跡させるためだ。
まんまとロシア軍極東軍管区の目を眩まし、ウラジオストックの工場がロシア軍に踏み込まれる前に冬月は日本に帰国する。
その後、工場にロシア軍は殺到するが、そのときはすでにもぬけの殻だったのは、周知の通りである。
「容赦がなくなってきたな」
つい弱気の虫が顔を覗かせた彰だった。
精霊学園の校門から少し離れたところで、マトリョーシカとばったり(と彰は思っている)遭遇するや否や、精霊魔法を浴びせてきたのだ。
それを彰は稲妻の防御柵で防ぐ。
「狙われているのは俺だけだ。高城と奥村さんは逃げてくれ! 2人には関係ない……」
パチン!
と乾いた音が響いて、涼一の言葉を遮った。
杏華が涼一の頬をはたいたのだ。
「そんな事、出来るわけないでしょう!」
「奥村さん……」
「もう、あんな思いをするのは、嫌よ……」
杏華は涙がこぼれそうになるのを、ぐっとこらえる。
親しい人を失って、胸が張り裂けそうになったのだ。
2度とあんな思いをしたくなかった。
「大体、1人でマトリョーシカ2体は手に負えないだろう?」
彰は呆れ交じりに言った。
今まで連戦連勝だが、決してマトリョーシカが彰達より劣っているわけではない。
現状、1対1なら恐らくマトリョーシカのが強いはずだ。
これまで何とかなってきたのは、多対多なのと常にマトリョーシカよりも多い人数で戦えたからである。
それを1人で2体同時に相手取るのは、無謀を通り越して自殺行為といえる。
「いいのかよ? 俺の兄貴は……」
「それは終わってから考える。そもそも一連の出来事は俺と杏華に深く関係しているし、もう涼一は友達だしな」
「そうね。彰の言う通り、もう友達よね」
彰と杏華は、涼一を助ける理由を見出していた。
2人は阿吽の呼吸で精霊魔法を放つ。
精霊使いとしての付き合いは短いが、彰と涼一は知り合ってそろそろ1年半の付き合いだ。
呼吸を合わせられるようになっていた。
「岩石の杭!」
まずは杏華が岩石の杭でマトリョーシカの動きを封じようと試みる。
そして畳み掛けるように、彰が精霊魔法を放った。
「む! マトリョーシカが連携しているのか」
眉根を寄せて彰は呟く。
マトリョーシカが防御魔法を展開し、もう1体のマトリョーシカを守ったからだ。
「精霊使いタイプと物理攻撃タイプ、といったところか」
その彰の分析は概ね正しかった。
もちろん精霊使いタイプのマトリョーシカも近接攻撃に秀でているし、物理攻撃タイプでも精霊魔法は行使できる。
物理攻撃タイプと思しきマトリョーシカがロボットならではの膂力で、岩石の杭を粉砕し高速移動を邪石した。
「杏華、足止めを頼む。俺と涼一で接近してくる奴を狙う」
矢継ぎ早に指示を出し、彰はマトリョーシカを倒すべく再び印を結び始める。
即座に杏華と涼一も対応に動く。
「流水の外套!」
精霊使いタイプのマトリョーシカがこちらの手の打ちを読んだのか、物理攻撃タイプに再び防御魔法を展開する。
「岩石の盾!」
杏華は巨大な岩石の盾を顕現させ、物理攻撃タイプのマトリョーシカの突進を阻もうとした。
しかし手刀による突きの一撃で、岩石の盾は脆くも崩壊してしまう。
これは計算外、というほどでもない。
こちらの精霊魔法が完成するまで接近させなければ、それで十分だった。
「雷神の槌!」
まずは彰の精霊魔法が完成した。
雷神の槌による強烈な一撃が、流水の外套を剥ぎ取ってしまう。
そうして物理攻撃タイプのマトリョーシカの防御が薄くなったところへ、
「炎熱の重量刀!」
涼一の精霊魔法が炸裂した。
物理攻撃タイプのマトリョーシカは抵抗を試みるも、炎熱の重量刀は硬い装甲をものともせず胸に突き刺さった。
たちまちのうちに、全身が炎に包まれた物理攻撃タイプのマトリョーシカは昨日を停止する。
「しま……」
った、と全て言い終える前に彰は水の精霊魔法の直撃を受け、したたかに腰を打ってしまった。。
見事に隙を突かれた格好だ。
生身の体には威力の低い精霊魔法でも、致命的とはいかないまでも、それなりにダメージを負ってしまう。
そのことをマトリョーシカはよく理解している。
杏華と涼一が精霊魔法を放つが、さすが精霊使いタイプということだろう。
あまり効いているようには見えなかった。
彰もそうだが、1体倒すために杏華と涼一は精霊力をかなり消費してしまったようだ。
これがマトリョーシカと戦う際の厄介なところだ。
機械なだけに消耗の度合いが違う。
一気に寄り切ってしまわないと、倒すことは難しいのである。
「このままでは、埒が明かない」
意を決して彰は起き上がり、地面を蹴った。
マトリョーシカの体に触れ、直接電流を流す。
それが思い付いた作戦である。
水の精霊魔法が彰を襲う。
わざわざ単独で突出しているのだ。
いい的である。
「石の衛星!」
いくつもの石が、彰の周囲を衛星のごとく浮遊する。
水の精霊魔法が迫ると、それらの石が一か所に集まり彰の身を守るのだ。
このような気の利いた防御魔法を展開するのは、もちろん杏華だった。
涼一も手持ちぶさただったのではない。
火の精霊魔法で攻撃し、少しでも気を逸らそうとしている。
全力で走っているつもりでも、彰の足が遅くなるのは致し方ないところだろう。
それでも様々な苦労が実を結び、彰は左手で精霊使いタイプのマトリョーシカの右手首を掴んだ。
空いた方の右手で手早く印を結ぶ。
「雷火花!」
渾身の一撃が決まった。
体に直接流れてくる雷は、さすがに防げないようだ。
そしてマトリョーシカの体内に入った雷が、あちこちで火花を起こす。
ついに精霊使いタイプのマトリョーシカは、ぶすぶすと関節から煙をもうもうと吹き出し始めた。
ただし、これは彰も危険な状態だ。
触れているので逃げ場を失った雷の電気が逆流してくるし、爆発の可能性もある。
「もう十分だ。高城、離れろ!」
その涼一の警告で、彰は咄嗟に横へ飛び退いた。
かすかにタイムラグがあって、炎熱の投げ槍が精霊使いタイプのマトリョーシカの胸に突き刺さる。
まさに糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
「近接攻撃の手段も、考えないといけないな……」
今度の戦闘で、彰はそのことを思い知らされた。
思い知らされたが、その手段を編み出している時間的猶予はない。
「2人も、まだ戦えそうか?」
酷な質問を彰は口にする。
杏華も涼一も相当へばっているのを知っていて、それでも聞いたのだ。
2人は大きく肩で息をし、彰の質問には答えない。
「今、恐らく藍家の屋敷が攻撃されているはずだ」
日南の言葉と、今回の戦闘から彰はそのように結論付けた。
「本当か?」
血相を変えた涼一が彰に向き直る。
「違っているなら、それで問題はない。涼一を殺すのなら、もっとマトリョーシカを繰り出すはずだ。それなのに2体だけなのは、何故だと思う?」
「時間稼ぎか……」
「多分な」
さらに理由を付け加えるなら、彰と杏華が一緒にいる可能性を考慮したかもしれない。
彰と杏華に傷ついて欲しくなかった、という理由で。
しかし、それが事実なら犯人は阿弥ということになってしまう。
ほとんど確定していても、彰はまだ、信じたくなかった。
「電話が繋がらない」
涼一の嘆きは彰の台詞は彰の予測を裏付けるものだった。
「行くしかないな」
こんな状態で、のこのこ出向いて大丈夫なのだろうか?
彰はそう思うが、それでも行かなければならない。
大事な人に、これ以上罪を重ねさせるわけにはいかないからだ。
藍家の門番を蹴散らし、マトリョーシカを引きつれ、正門から堂々と阿弥は藍家の敷地に入る。
これを予期していたのか、はたまた偶然かは知らないが想像以上に守りが堅牢だった。
「自分の子供は、可愛いわよね」
まさに反吐が出る!
そんな顔をして阿弥は吐き棄てた。
それだけ警備の人数が多かったのである。
「家族を殺されたら、藍家は泣き寝入りするのかしら?」
藍家が英明のことを大事に守ろうとすればするほど、阿弥の裡に眠る憎悪が膨れあがっていく。
藍家の精霊使いに向けて、阿弥は情け容赦なくサイレンサー付きの拳銃の引き金を絞った。
マトリョーシカとの戦いに夢中になっている横から、弾丸を喰らわせたのだ。
ろくに防御魔法を展開する暇もなかったのか直撃し、藍家の精霊使いはもんどりうって倒れた。
マトリョーシカも次々と藍家の人間を、藍家に与する者を屠っていく。
「くっくっく、あーはっはっは!」
阿弥は気分爽快、愉快痛快の極みだった。




