外伝 アナスタシア事件 ~その12~
「藍家の護衛?」
電話越しに彰に命令を下したのは無論、日南である。
ちなみに授業中に通話したら迷惑になると勝手に判断し、勝手に教室を抜け出した。
携帯の電源を切る、という殊勝な選択肢はない。
「はい。ついアナスタシアが藍家に対して本格的な……、いえ無差別な攻撃を仕掛けてきましてね」
その割には、日南の声は陽気だった。
藍家が狙われる理由は知らないが、マトリョーシカという兵器があれば藍家を潰すことは可能かもしれない。
「それで彰君には同じクラスの、藍涼一君を護衛してもらいたいのですよ」
「とにかく、くっついていればいいのか?」
「ええ、それでお願いします。涼一君は藍家の有力な次期当主候補ですからね。頼みましたよ」
「それは構わないが……」
彰は言葉に詰まる。
日南に聞きたいことがあった。
しかし、聞くのが怖い。
「そう長い期間ではありませんよ。犯人の目星はついていますので」
まるで彰の内心を見透かしたかのような、日南の発言だった。
それで電話が一方的に切られる。
目星のついている犯人とは誰なのか?
彰には聞く勇気がなかった。
当たり前だが、阿弥が犯人ではないと信じている。
しかし、日南に目星のついている犯人を聞けなかったのは、心のどこかで疑っているからだ。
二律背反する心情が、彰の中でない交ぜとなっていた。
「またサボリか」
「涼一……」
「なに1人で難しい顔をしてるんだ?」
「お前を護衛しろって、上司に言われたからだよ。可愛い子だったら、よかったんだがな」
「俺も野郎に護衛されるより、奥村さんのが良いに決まっている」
互いに自分の都合ばかりを述べ、彰も涼一もおかしくなった。
2人とも廊下で笑い始める。
「さてと……」
彰は教室のある方向とは、正反対の方向へ歩き始めた。
下手な図書館よりも蔵書の多い図書室に向かうためである。
どうしても調べなければならない事があった。
涼一のことは放っておいて構わない。
さすがに精霊学園までは襲ってこないだろうし、来ても問題はない。
優れた精霊使いが常駐しているから、返り討ちに合うだろう。
「思っていた以上に、彰は不良なんだな」
「不良って」
彰は苦笑いを浮かべる。
まさか涼一も一緒に授業をふけるとは思わなかった。
2人揃って図書室に足を運ぶ。
「若林弁護士と、戸狩精神科医か」
まずは、そこからである。
彰は図書室のパソコンで検索したり、判例集を引っ張り出してきて、若林弁護士と戸狩精神科医が関係している事件を全て拾っていく。
「この2人が一緒に関わっている事件は少ないな」
そもそも精神科医がでしゃばるような事件が少ないのである。
次に彰は拾い上げた事件について掲載している、当時の新聞に目を通す。
こういう風に新聞を保存してある精霊学園の図書室に、彰は感謝した。
「なあ、高城。もう調べるのを止めないか?」
ずっと黙って見守っていた涼一が、気まずそうに口を開いた。
「さっきから涼一は、何もしていないじゃないか」
彰は涼一の方を見向きもせず、新聞の記事を目で追い続けた。
割と分量があり、大変だ。
「彰が調べなくても、犯人は捕まるのだろう?」
「そしたら俺は、親友の仇が討てなくなる」
「それでも、止めてくれないか?」
ここでやっと彰は顔を上げて、涼一に厳しい目を向ける。
涼一はひどく怯えた様子だった。
「俺が事件の真相を突き止めてしまうと、何か都合が悪いのか?」
聞かなくてもわかるが、あえて彰は問い質した。
次の瞬間、涼一は苦悶に顔をゆがませる。
「頼む……」
その言葉を絞り出すだけで、涼一は精一杯だった。
涼一の懇願を無視して、彰は再び新聞に目を落とす。
そして、
「これだな」
若林弁護士と戸狩精神科医、さらに幾人かの名前をその記事に見てけて、彰は自分の予測が正しかったことを知った。
5年前の無差別殺人事件。
この事件の犯人は藍英明である。
それは、
「俺の……、兄さんだ……」
涼一はがっくりとうなだれた。
その表情は淀んでいる。
「知っていたのか?」
「若林弁護士と戸狩精神科医、と聞いてな」
「そうか」
彰は小さな息を吐き出した。
確かに涼一が黙っていたことに憤りを感じないでもないが、直接聞きだしていたとしても、事態が好転したとも思えない。
それに涼一に構っている余裕もなかった。
英明に殺された被害者の中に、彰の知っている人物の名前があったのだ。
以前、阿弥と一緒にみんなで墓参りに行ったことがある。
その墓石に刻まれた名前が、新聞に載っていた。
冬月圭澄、阿弥の母親である。
北海道夕張市に存在するタタール・ヨーク社に、日南はいた。
ずかずかと社屋の奥へと踏み込んでいく。
そのことを見咎められることはない。
従業員などいないからだ。
やがて目当ての人物のもとへ辿り着き、日南は感慨深げに声をかけた。
「お久しぶりです、冬月教授」
「日南君か。よりによって君が真っ先に、私に辿り着くとはな」
ガラスの向こうに見える製造ラインから目を離さず、冬月は語りかける。
「君は当時のゼミ生の中でも、劣等生だった」
「返す言葉もありません」
「そんな君が、よりによって精霊レンジャー課の課長になるとは、思ってもみなかったよ」
「憎まれっ子世に憚る、というやつですかね」
「はっはっはっ! 全くその通りだな」
冬月は無性におかしくなった。
ゼミで1番の劣等生が自分を逮捕しようとしているのだ。
何という運命の皮肉だろうか。
製造ラインでは、今もマトリョーシカが生産されていた。
その流れは非常に緩やかだ。
「タタール・ヨーク、タタールの軛ですか」
その名の由来を思い浮かべ、日南は片頬を歪めた笑みを浮かべる。
「ロシアで精霊使いを相手取ったこともあるのだよ」
「ほとんど書類上の見せかけ企業、いわゆるペーパーカンパニーですが、これほど巨大な工場を作る必要があったのですか?}
大部分が空きスペースで、作業しているのは目の前の部屋だけなのである。
日南が疑問を抱くのも無理はなかった。
「虚仮脅しだよ。それに巨大な工場の建築は、それなりの雇用を生む」
「なるほど。夕張市の市民には貴重な勤務先ですね。さらに巨額の寄付金と税金ですか、冬月教授?」
「そうだ。自治体が破綻した夕張市は、それで多少の不審にも目を瞑った」
軽く頭を垂れ、冬月は首肯した。
製造ラインが虚しく作動している。
その数は、わずかに1つ。
「その資金源は、ロシアの政治家からですか?」
「表向きはマフィアの依頼ということになっている」
「ああ。ロシアの政治家とロシアンマフィアは、ズブズブの癒着が噂されていますからね」
色々と黒い噂は後を絶えない。
日南の耳にも届いていた。
「日南君。だからこそ、アナスタシアとして活動する機会を得たのだ」
政治に介入してくる精霊使いなど、政治家にとって煙たい事この上ない。
その煙たい存在を消す代償として、アナスタシアは資金と情報の提供を受けていた。
「その資金を構成員に握らせ、アナスタシアを解散させた。違いますか?」
日南の双眸が妖しく輝く。
ほう、と冬月は感心した。
「かなり正解に近いな。もう劣等生とはいえないか」
「組織と活動の規模の大きさの割には、あまりにも人が捕まらない。通常なら末端の構成員の1人も検挙できるものなのですが……」
「解散させたというよりは、アナスタシアの看板を買ったというのが正解だがな」
「捜査の目を眩ませますからね」
「存在しない組織を操作することなど、不可能だからな」
ウラジオストックの拠点はもぬけの殻ではなく、ただ放置しただけなのだ。
もちろん、冬月の指示で。
「そして、ロシアでマトリョーシカの性能テストを終えた冬月教授、あなたは日本に帰国した」
「うむ。マトリョーシカは予想以上の性能を示したよ。本来の目的を果たすために、必要以上のな」
「本来の目的とは、藍英明の抹殺ですか?」
「そうだ」
間髪入れず冬月は冷たく言い放った。
そこには微塵も躊躇はないようだ。
「なあ、日南君。家族を殺されて罪に問えないのなら、遺族はどうすればいい?」
「それは……」
日南は言葉に詰まる。
答えられるはずがなかった。
「PTSDで刑法39条の適用。根室市街戦の英雄で、さらに藍家の圧力……。そして我々遺族は、泣き寝入りを強要された」
淡々と冬月は事実を告げる。
それまでガラス越しに製造ラインを眺めていた視線を日南に向けた。
「私は我慢できなかった!」
突如、冬月は感情を爆発させた。
腹の底からわき上がる怒りに、固めた拳が震えている。
が、それも一瞬のことだった。
「藍家の精霊使い達を次々と抹殺していき、あと1歩というところで時間切れとは……。いつも君は課題の提出が期限ぎりぎりだったが、その癖はなおっていないようだな」
昔の教授の顔に戻り、冬月は穏やかに言った。
或いは、誰かに止めて欲しかったのかもしれない。
「毎度のことで申し訳ありません」
日南の胸の裡に苦い物が込み上げてくる。
恩師を逮捕するなど、誰も望むわけがないのだ。
つくづく間尺に合わない仕事だと思う。
「日南君。全て私が1人でやったことだ。娘は何1つ知らない」
「……わかりました」
少し間を置いて、日南は返事をした。
恩師の言葉は明らかな嘘だとわかったからだ。
「私が犯人だと、いつ気付いた? いや、確信した?」
「確信したのは冬月教授に会ったときですが、マトリョーシカを知ったときから、常にひっかかっていました」
「あそこまでわかりやすい研究をしていたからな。しかし、君がね」
冬月の研究は精霊力の動力化だ。
ゼミ生には警察関係を進路に選んだ者も多くいるが、精霊使いを生業としているのが劣等生だった日南だけというもの、不思議なものである。
「今では立派な『精霊師』か」
「はい」
精霊使いの中でも階級があり、特に優秀な者が『精霊師』としての資格を得ることが出来るのだが、冬月は日南が精霊師であることに、いまだに納得していない。
「ん? 今、気付いたのだが、どうして最初から精霊大学に進学しなかったのかね?」
精霊大学の卒業というのが、精霊師の資格入手のための必須条件である。
「冬月教授は精霊使いでもないのに、精霊に関して研究をしておられた。そのことに興味が湧いたんですよ」
日南は本人としては満面の、しかし他人が見たら薄気味の悪い、片頬を歪めた笑みを浮かべた。
「そうか。私の研究テーマにね……」
それが仇となってしまったが、なぜか冬月の胸中は穏やかだった。
「そういえば、進藤君とはどうなったのかね?」
どういうわけか冬月ゼミで才女、かつ美人の進藤玲奈が劣等生の日南に好意を寄せていたのだ。
世の中、わからないものである。
「どう、と言われましても」
日南は返答に窮してしまう質問だ。
冬月はその様子を見て微笑む。
そして、日南に連れられ冬月は近くの警察に出頭したのだった。




