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外伝 アナスタシア事件 ~その11~

「ただ?」


 ナターシャの眼差しが杏華に注がれる。


「……廃工場でマトリョーシカに襲われたとき、阿弥は逃げずにどこかへ行ってしまいました。自分は安全だと確信していたみたい」


 あのときの阿弥の行動は、不自然だった。

 杏華はそれを否定できなかった。


「本当は彰だって気付いているんじゃないの? あんなに射撃が得意なのだって、おかしいわよ……」


 杏華は俯いて目を伏せた。

 こんな風に友人を貶めるようなことは言いたくないのだ。


 彰は返答に窮してしまう。

 つまり、それが答えだった。

 阿弥の様子に妙な点があるのを、薄々ながら察してはいたのだ。


 今まで、それを力づくでねじ伏せていた。

 信じたくないのだ。


――阿弥が優と慎二を殺した犯人の一味であるなどと。


「まだ状況証拠、単なる推論の域を出ないわ。だけど、一度洗いざらい調べる必要があるわね」


 方針が決定すると、行動は迅速だ。

 ナターシャはレシートを手に取り、颯爽と席を立った。

 対照的に彰は虚脱した表情で、しばらく椅子に体を固定したままだった。






「おかえり、阿弥」


 阿弥が夕張市から帰宅すると、玄関の前で杏華が立っていた。


「杏華……」


 突然の訪問に、阿弥は狼狽してしまう。

 何故か、嫌な予感がした。


「心配で来ちゃった。外出できるなら、もう大丈夫ね」

「うん。もう平気よ」


 別の意味で平気ではなかったが、杏華に悟られまいと阿弥は務めて明るく振る舞う。


「よかった」


 杏華はニッコリと笑っているが、垂れ気味の瞳には翳りの色が滲んでいた。


「ちょっと、いいかな?」


 このように杏華が切りだしたときは、悩みごとを聞いて欲しいというサインだった。

 いつもの、やりとりである。

 ぶらぶらと散歩をしながら会話をするのが、2人の間の暗黙の了解だ。


「いいわよ」


 なので阿弥は二つ返事で快諾する。


「ありがとう」


 杏華はゆっくりと歩き出す。

 阿弥は横に並んだ。


「阿弥は彰のことを、どう思っているの?」


 唐突に切りだした杏華に、

 そっちなの!?

 と阿弥は目を剥いた。


 深刻な顔をしているので、杏華は阿弥が犯人という事実に到達したのではないか?


 そう思って冷や冷やしていたのだ。

 だが、この実門になら答えられる。


「とても大事な友達よ」

「本当に?」

「本当よ?」

「彰が阿弥のことを好きでも?」


 これには阿弥が面食らってしまった。


「そういうことを、他人が告げてしまっていいのかしら?」

「いいから答えて!」


 いつになく真剣な友人の面持ちに、阿弥は一瞬戸惑う。

 が、それも束の間の事だ。


「杏華、私の答えは変わらないわ。彰は大事な友達よ。もちろん、杏華も、優も、慎二も」


 自分はその友人たちを裏切っている。

 そのことに、阿弥は後ろめたさを感じずにはいられない。

 だが、すでにどうすることも出来なかった。


「そう……」


 杏華は全身に落胆の色を湛えていた。


「彰を悲しませないでね……」


 そう言い残して、杏華は別れの挨拶も告げずに、阿弥を置いて去ってしまった。


「もしかして」


 今のは警告だったのかもしれない。

 ふいに歯痛にも似た感覚が、阿弥の精神回路を埋め尽くす。

 そしてこれが、阿弥と杏華の最後の会話となった。


 自分の手は、とうに血塗られている。

 ウラジオストックで始めて人を殺したときのことを、阿弥は思い出した……。






「その精霊使いを始末すれば、ロシア議会の議員から報酬が出るというわけか」


 アナスタシアのリーダー、ヴィクトル・グラジエフからこの話を持ちかけられたとき、冬月は半信半疑だった。


「日本にも虹七家という、政府に口出しする精霊使い集団がいると聞いているが?」

「そういうことか」


 ヴィクトルの言わんとしていることを、冬月は咄嗟に察した。

 邪魔な精霊使いに対抗する手段が違うだけだ。

 日本は精霊レンジャー課のような組織を創設し、ロシアは暗殺する……。


 冬月はその事実に考え至った。

 2人はロシア語で会話をしている。


 冬月はロシア語を操ることができた。

 これでも元大学教授だ。


「そろそろ、あの人形の性能も見てみたいしな」


 ヴィクトルはニヤと口元を緩めた。


「無事に精霊と契約を交わし、調整も済んだ。ちょうどいい頃合いだ」

「これまで他のASUが何度か仕掛けたが、悉く失敗している」

「だからこそ、マトリョーシカの価値も上がるというものだ」

「その言葉、忘れんぞ」


 じっとりと絡みつくような目で、ヴィクトルは冬月を睨み据えた。


「わかっている。ここで失敗したら、私たち親子は後がない」


 娘を連れて、はるばるロシアまでやって来たことが徒労に終わってしまう。


「車と運転手を1人用意してもらって、構わないかな?」


 冬月はマトリョーシカ1体で、強敵の精霊使いアレキサンドル・サフィーナを始末する予定だった。

 依頼主の議員が流してくれたアレキサンドルの情報は、全て目を通してある。


 おかげで、おおよその強さが把握できた。

 普通の人間なら手こずる力を持っていたが、マトリョーシカならば余裕を持って対処できる相手だ。


「別に、そのくらいは構わないさ」


 どのみちヴィクトルは見張りをつける予定だったから、手間が省けていい。

 冬月はマトリョーシカ1体を伴って工場を後にした。


 アレクサンドルの生活パターンは読めているのだから、所在を掴むのは容易い。

 そこへ行くのに時間はかかったが、見つけるのに手間はかからなかった。


 阿弥と同じ年頃の娘と肩を寄せて歩いていたため、冬月はやりきれない思いに捉われるが、無理矢理感情を押し殺す。

 覚悟を決め、冬月はマトリョーシカと一緒にアレクサンドルの行く手を、無造作に塞いだ。


「誰かね?」


 憮然とした表情で、アレクサンドルは問いかけた。

 娘と過ごす貴重な時間を邪魔され、苛立っているのだ。


「冬月樹と申します。アレクサンドル殿、あなたの命を頂きに参りました」

「貴様もASUの手の者か!」


 アレクサンドルの怒声で四方の視線が集中する。


「娘さんの安全は保障しますよ」


 あえて人目に付く場所で殺す予定だったため、冬月は眉一つ動かさない。

 結果から逆算すれば、ここで娘も殺しておかなかったことが、後に致命的な失敗に繋がってしまうのだが、このときの冬月が知る由もなかった。


「離れてなさい。すぐにこの悪党どもを退治するからね」


 こくりと頷いて、アレクサンドルの娘は言われた通りに、少し離れた建物の陰に隠れた。

 頭だけひょこっと出して、様子を窺っている。


 いきなりアレクサンドルの精霊魔法が冬月に襲いかかった。

 悪人には不意打ちも辞さないらしい。

 マトリョーシカが前に出て、冬月の盾になる。


「ハンデは、これくらいでいいですかね?」


 この程度の精霊魔法でダメージを受けるほど。冬月はマトリョーシカをヤワに作った覚えはなかった。

 お返しとばかりに、今度はマトリョーシカが精霊魔法を放つ。

 3本の炎の矢が、弧を描くように3方向からアレクサンドルを襲う。


流水の滝アクアンフォール!」


 まるで壁のような流水が、アレクサンドルの身を守る。

 消してくれ、と依頼されるだけの実力は有しているようだ。


「情報通り、といったところかな」


 マトリョーシカに接近戦をさせれば、すぐに片が付くところを冬月はあえて、精霊魔法での戦いを選択した。

 性能実験、という一面もある。


 とにかく実戦データが欲しかった。

 冬月はまるでスポーツ観戦でもしているかのように、マトリョーシカとアレクサンドルの戦闘を見つめている。

 参加者ではなく、第三者のようだった。


「そろそろ潮時ですか」


 冬月が想定していた通り、アレクサンドルの息が上がり始めた。

 機会であるマトリョーシカは疲労しないという仮説は、これで証明されたのだ。


 トドメを刺すべく、冬月はマトリョーシカに突進するよう命じたとき、一発の銃弾がアレクサンドルの頭蓋骨を撃ち抜いた。

 マトリョーシカにかかりきりで、全くの別角度から狙撃されるとは、夢にも思わなかったのだろう。


 冬月も同様である。

 恐らくアナスタシアの誰かがやったのだろうが。

 一応の目標は達成できた。

 しかし、冬月は胸のつかえが取れなかった。






「まさか、本当にやるとは……」


 ヴィクトルは肝を潰した。

 遠く離れた高層ビルから双眼鏡で戦闘を、アレクサンドルの様子を覗いていたのだ。


 マトリョーシカというロボットが、兵器として優秀で完成度が高い物であると確認した後、狙撃の許可を出したのだ。


「ふうっ」


 阿弥はスコープから目を離し、溜息を吐く。

 そう、アレクサンドルを狙撃し、正確なヘッドショットを決めたのは阿弥なのだ。


「これで報酬はもらえるのよね?」


 1年間過ごし、阿弥もロシア語を話せるようになっていた。

 何もかも進歩が速い。


「間違いなくな。あのマトリョーシカというのが使えることもわかったし……」


 ヴィクトルは言葉の途中で阿弥に視線を移す。

 娘の方も、銃の腕前がかなりのものだという発見もあった。


「あの女の子……」


 アレクサンドルの娘が、このあとどうなるか阿弥は気になった。


「身寄りがあれば引き取られるだろうし、そうでなければ施設に入れられて軍人になる」

「そうなんだ」


 どちらにしても、自分のように復讐の道を歩むのだろうか?

 阿弥の胸中は悶々としていた。


「これでウラジオストックでは、仕事がやりやすくなるな」

「どういうこと?」

「アレクサンドル・サフィーナは反ASUの急先鋒だったからな。特にアナスタシアは目の敵にされていたからな」


 ともにウラジオストックで活動しているから、利害が対立してしまうから、無理もないとヴィクトルは思った。

 それにアナスタシアは、確かに非合法に精霊使いを排除していた。


「邪魔者がいなくなったんだ。ウラジオストックの裏社会はアナスタシアが牛耳る!」


 ヴィクトルは目を爛々と輝かせて豪語する。

 マトリョーシカがあれば、十分実現可能と思われる野望だった。


「そのために、阿弥にも働いてもらうぞ?」

「別にいいけど」


 それが人殺しというのを阿弥は知っていたが、今さら鼻白んだりはしなかった。

 すでに1人、この手にかけてしまったのだ。

 阿弥は父が無事に逃げおおせたか心配になり、再びライフルのスコープを覗きこむ。


 その心配は杞憂だったが、アレクサンドルの死体にしがみついて涙を流している娘の姿を目にし、阿弥は胸が抉られた気分になった。


 いっそのこと殺してしまおうか?


 そんな悪魔の誘惑に負けそうになる。

 事前に娘は殺さないと決めておかなければ、本当に殺していたかもしれない。


「戻るぞ」


 ヴィクトルに促されて、阿弥はライフルを片付けた。

 運ぶのはアナスタシアの構成員がやってくれる。

 別に嫌だからではなく、重くて子供には運べないのだ。


 阿弥は知らなかった。

 このとき自分が殺したアレクサンドルの娘が、ナターシャ・サフィーナだということを……。

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